mudan tensai genkin desu -yuki
天井に座るシェラは、メロンパンを食べながらアキラの話を聞いていたが、一段落つくと頷いた。
「それは、こちらが原因です」
「それってどれが?」
「空塔が光った件についてです」
「へ……まじで?」
アキラがペットボトルにストローを入れて差し出すと、少女はゆっくりと下りてくる。乾かされた長い髪は一つに編まれ、まるで猫の尻尾のように天井に向かってゆらゆらと揺れていた。
彼女はかじりかけのパンをアキラに預けると、両手でペットボトルを受け取る。顔の前にそれを抱え、ストローを使って喉を湿すシェラは、無重力空間を泳ぐ人間を連想させた。
借り物のスウェットは袖も長いのか、袖口は何重かに折られていたが、さらさらとした布地のためすぐに落ちてきてしまう。それを何度もまくり直すシェラは、さかさであることを除けば普通の不器用な少女のように見えた。
ペットボトルを机に置いた彼女は、今はブラインドの下りている窓を指す。
「空塔の発光は、『シギル』が塔に置かれたためでしょう」
「シギルってなに」
「私たちの今回の目標です」
シェラはそこで言葉を切ると、指を伸ばして空塔のミニチュアをつついた。黒々とした瞳が真摯な光を帯びてアキラを見つめる。
「――遅くなってしまいましたが、お話します。私がなぜ虚都からこちらに来たのか、そして私をふくめたプレイヤーたちが、どのような勝負をしているのかを」
「勝負……」
その言葉が非常に物騒な意味合いを持つことは、先の出来事から明らかだ。
辛勝ではあったが既に出会い頭の一勝を得ているアキラは、己が置かれた状況を知るためにも彼女の話に集中する。
シェラは黒い双眸を伏せ、物憂げな微笑を浮かべた。
「さきほど私、虚都には空塔がないって言いましたよね」
「ああ」
「それは事実なのですが、代わりに虚都には空塔の動きを操作できるシステムがあるのです」
「……え?」
少女の言葉は、アキラを衝撃で凍りつかせるに充分な威力を持っていた。
――空塔は、管理部以外の何者も立ち入ることはできない。
それは公的なアナウンスとして出されているわけではないが、まぎれもない事実だ。
空塔には、いかなる立場の人間であろうとも、管理部以外の者に入場許可が下りることはない。また管理部に所属するためには、最難関と謳われる試験に合格しなければならず、その倍率は千倍にも及ぶと言われているのだ。
誰からも優秀であると認められた人間でさえ時に落とされる管理部試験は、全ての都市において最も狭き門として知られている。
そしてそれは裏を返せば、都市の象徴であり核でもある空塔に、たやすく関わる者がいてはならないということだろう。空塔は鏡面の色を変えるだけでなく都市の天候をコントロールする装置でもあるのだ。資格を持たない人間にそれを触らせることなどあってはならない。
都市住人にとって空塔は、いわば不可侵の聖域とも言える場所だ。厳重に制限されたその領域を侵犯するようなシェラの話に、アキラは激しく顔をしかめた。
「操作できるってどういうこと?」
「そんな顔をしないでください。誰しもができるわけではありませんから」
シェラは少し困ったような顔になると、アキラの正面まで漂ってきた。
繊細な造作を持った貌。間近で見ると睫毛がひどく長い。大きな瞳に自分の顔が映っているのを見つけて、彼は無意識のうちに息を飲んだ。額に触れてきた手の感触がよみがえる。
「アキラ? どうかしました?」
「……別に」
アキラは手の中に持っていたメロンパンを彼女に押しつけた。シェラは素直にそれを受け取ると、再び浮き上がり天井に立つ。部屋の明かりの前に彼女が立ったため、アキラの周囲はわずかにかげった。
「というわけで空塔を操作するシステムはあるのですが、それは管理者の意向で長く使われないままだったのです。ですが、その管理者が管理から離れることになりまして……以後システムをどうするか、話を聞きつけて集まった人間たちの間で揉め事になりかけたのです」
「ひょっとしてそれで、勝負で決めようとかいう話になった?」
「はい」
「なんだそれ……ふざけてんのか」
アキラの声に苛立ちがこもると、彼女はさっと顔をこわばらせた。だがシェラはそこでうつむくことなく、彼を見上げて続ける。
「こちらの世界で勝負を行うよう提案したのは、現在の管理者です。システムを以後誰がどのように扱うにしても、最低限の能力がなければ話にならないということで……」
「その結果が昼のアレか」
スガとの衝突を思い出し、アキラは嫌な顔になる。彼らの話から察するに、来訪者は他にもまだまだいるのだろう。その全てとあのような戦闘をしなくてはならないのかと思うと、なかなか気が重い。だが、勝手な話に腹も立った。
しかしシェラは複雑そうな表情でかぶりを振る。
「それなのですが、勝負の内容には本来、プレイヤー同士の戦闘は含まれていないのです」
「ん? どういうこと?」
「具体的にこの勝負は、各空塔の最上層に置かれた石、シギルというのですが、その石を代行者が取り、プレイヤーである来訪者が空塔頂上の台座に置くことでゴールとなります」
「空塔の最上層? って入れるわけねーだろそれ……。どうすんだよ」
「ですから、私たちには一つだけ攻略のためのスキルが与えられています。それを上手く使って最上層に二人で到達することこそが、この勝負の趣旨なのです」
「まるでゲームだな」
怒りを通り越して呆れが勝ったアキラは、軽い脱力感に襲われる。
だがたしかにそれが本当の話であるなら、プレイヤー同士の戦闘はよけいな要素だろう。シェラは自分たちプレイヤーについて「それぞれ別の都市に飛ぶよう取り決めた」と言っていたのだ。空塔全てにシギルが置かれている以上、彼らの目的は割り振られた都市のシギルであって、他のプレイヤーではない。
そこまで考えたアキラは、しかし一つの問題に気づいた。
「でもそれだと誰か一人が勝つってことにはならないんじゃないか? シギルは十二個あるわけだろ」
「ええ。勝負の期間は一ヶ月とされていますが、もちろん全員がその間にゴールする可能性もあります。ですが、それについて勝負を提案した管理者は、『シギルを取れた者たちで決めろ』と」
「勝負にしといて丸投げかよ」
「あの人が何を考えているのか、実は私にもよくわからないのです」
逆光になっているシェラの顔は、微笑んではいるのだがそれ以上の感情が読めない。ただアキラの目にはその時、黒い瞳がゆるやかな孤独と後悔を宿しているように見えた。机の上の小さな空塔が、あいまいな影を公園のミニチュアに投げかけている。
「結局、そういった状況ですので、プレイヤー間で事前に話し合いを持ちました。結果無事ゴールできた者たちの協議によってその後の管理を決めることになり……もしそこで決裂したとしても、自分が確保した都市については権利が主張できることになったのです」
「そりゃなんつーか……こっちとしては、腹立つ上にすっきりしない話だな」
自分たちの知らないところで都市干渉の権利をやり取りされるという話は、どう落ち着いて考えても業腹である。
しかも空塔最上層への侵入は、まず重大な犯罪行為とみなされるのだ。
代行者となってそれだけの危険を冒して得られるものが、自分の契約者を話し合いのテーブルにつかせるだけ、というのは割に合わないのではないか。アキラはそう考えて眉をよせたが、自分個人の問題に限って言うなら、昼のような戦闘が最後の一人になるまで続くよりは、まだましかもしれない。
シェラは両手でメロンパンを持ったまま苦笑する。
「システムをどうするかは難しい問題ですから。勝負で全てを決めてしまうと後々問題が大きくなるかもしれません。今回のやり方は迂遠に思えますが、妥当な線と言えばそうでしょう」
「まぁ、言われてみれば。スガみたいなやつに一人勝ちされても困るしな」
とは言え、あの男の性格では素直に協力する代行者もいないだろう。
そう考えるとこの勝負は、自都市を任せてもいい人物かどうか、住人が来訪者を見極めるという性格も兼ね備えているのだ。
うずくような耳の痛みに、アキラは倉庫での記憶を反芻する。
シェラを罵倒し、第八都市を潰してやると言った男。まるでガラス細工が壊れるような音を立てて消え去った彼は、勝負から脱落したという話だが、これで全てが終わりというわけでもない。少なくとも自都市を守るためには、「都市に干渉しない」としているシェラに、シギルを確保させなければならないのだ。加えてもっと大事なこととして、彼女の姉の治療法を探すという目的もある。これについては明日データベースにアクセスして、あてのありそうなところを調べてみなければならないだろう。
やるべきことについて考えこんでいたアキラは、急に目の前がかげったことで視線をあげた。見るとすぐそこに少女の顔がある。大きな目が一度まばたきをして、じっとアキラを見つめた。
「ちょっ……近い! なんだよ!」
「す、すみません。傷が痛むのかと思って」
「全然違うし」
アキラの顔を覗きこんでいたシェラは、彼が手を払うとあわてて離れた。かんちがいが恥ずかしかったのかわずかに顔を赤らめる。怒られる子供のように白い膝を折って空中に正座した彼女は、まだメロンパンを両手で大事に持っていた。
どことなく気が抜けてしまうその姿に、アキラはメロンパンを指す。
「とりあえず食べとけよ。続きは後でいいから」
「これ、おいしいです」
「よかったな」
「おいしいって、変な感じです」
「普段何食ってんだよ」
さかさまではあるが行儀よくパンを食べる少女は、クルミをかじるリスに似ている。
アキラはその姿に溜息を一つつくと、ベッドの上へ疲れた体を横たえた。
「これがおかしな夢だったらいいな……」
「いいえ、夢ではないです」
シェラの声は、体の中に染み入って不思議な郷愁を呼び起こす。
その晩アキラはひさしぶりに、白い空を見上げる夢を見た。
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