mudan tensai genkin desu -yuki
「よし、じゃあスキルってやつの説明頼む。殴り合いとか自信ないからな」
「わかりました。まずあなたのスキルですが――」
少女は口早に説明を始める。その時、けれど彼女は大きく両目を見開いた。
背後から薄い光がさした直後、二人の顔の横を赤い光が走っていく。
あまりの唐突さに硬直しかけたアキラだが、体は反射的に動いた。目の前にあった少女の手をつかんで床へと引き下ろす。
「伏せろ!」
次の光条がドアの隙間から迫る。アキラは咄嗟に少女の上に覆いかぶさった。頭のすぐ上を何かが走っていく。それはそのまま奥の壁に着弾して、赤い火花が上がった。アキラは体を跳ね上げると一人ドアへと走る。
「……っの!」
勢いのまま鉄扉を蹴り開ける。
先にいる人物が倉庫の管理人だったらどうしようかと一瞬思ったが、管理人ならドアの隙間から光を放ったりしないだろう。アキラの狙いは当たって、ドアは何かにぶつかり跳ね返ってきた。再び閉まってしまう前に、彼はすばやく外へとすべりでる。
足を止めては危ない。それは半ば直感であったが、この状況では正しく働いた。アキラのいた場所を赤い閃光が通り過ぎる。彼は固い床を蹴って移動しながら男を振り返った。
あいかわらず上下逆転している男は、何もない空中を一歩一歩沈みこむようにして歩きながら、アキラを追ってくる。さかさまの右手が上げられ、その指先から赤い光が放たれた。
「ガキが! ちょろちょろしてんじゃねぇ!」
「こええ……」
文字通り顔に泥を塗られた男は、アキラを当面の標的とみなしているようだ。漫画の中でしか見ないチンピラのような相手に、彼は今更ながら己の危機を確認した。
「こんなところで巻き込まれて終わりとか、マジ勘弁だからな」
そうならないためには、とりあえず目の前の男を何とかするしかないだろう。
アキラが駆けるすれすれの背後を、赤光がつらぬいていく。壁や床にあたって火花を散らす光は、しかし何かを破壊するというわけでもない。少女の言うとおり、プレイヤーはこの世界のものを直接破壊することはできないのだろう。――ただしアキラ自身は別だ。男はそれを知ってか知らずか、彼を狙って光を放つ。
「逃げ続けても後がないか」
相手に弾切れがあるというなら別だが、そのようなものを期待しない方がいい。ただでさえ体力の消耗は、逃げ続けているアキラの方が大きいのだ。理想を言えばこのまま大きく距離を取りたいが、逃げすぎて少女の方に標的が移っても困る。
アキラは転移ポートの反対側に回りこんだ。放たれる閃光をポート周囲の柱を盾にして避ける。ばちばちと耳障りな音が起こるが、白い円柱には傷一つない。アキラはそのことに安心して一息ついた。手短に状況を整理してみる。
「たしか物を介しての攻撃は効かないんだっけな」
不便なことに、代行者になっても直接攻撃でなければ、さかさまの人間には意味がない。
それは思い切り蹴ったドアがぶつかっただろうにもかかわらず、男が何の反応も見せていないことからも明らかだ。アキラが柱の影から様子をうかがっていると、相手は憎々しげに顔を引きつらせながら彼の方に向かってくる。ついに円柱の間からポート内部へと入ってきた男はゆっくりとしたペースで一歩一歩進んだ。
何もない空中を歩くということは、虚都人にとってもままならない行為なのかもしれない。アキラと契約した少女も、宙を泳ぐようにして移動していたのだ。男が素早い動きを取れないのであれば、付け入る隙もあるだろう。
「とりあえず一発殴ってみる、か?」
それで相手が弱ければラッキーだ。このまま逃げ回っているよりは、はるかに前向きである。
アキラは柱を背に近づいてくる男を待った。体の右すれすれを赤い光が走っていく。
「さっさと出てこい! 穴だらけにするぞ!」
「うへ」
――そんな脅しで出てくるやつはいない。
そう胸中で毒づいたアキラはしかし、次の瞬間ぎょっとして振り返った。倉庫内に、水晶を叩くような澄んだ声が響きわたる。
「やめなさい!」
管理室に残っていたはずの彼女は、開いたままのドアを背に男をにらみつけていた。何の武器も持たない華奢な体を、男は唇を吊り上げて振り返る。
「先に死にたいんですか、お嬢さん」
「やめなさいと言いましたよ」
硬い声は震えてはいなかった。少女は毅然とした態度で男に対する。天井に向かって広がる裾から白い爪先がのぞいて、アキラはその時はじめて彼女が裸足であることに気づいた。
少女は拳を作った右手を上げ、男へ向ける。
「あなたがそういう態度を崩さないのなら、私もあなたへのスキルの直接行使をためらいませんよ、スガ」
――はったりだ。
アキラは彼女の無謀さに唖然となった。握ったままの手の中にもうコードはない。それは彼と契約した時に消えたのだ。だがスガと呼ばれた男はそれを知らない。だからこそ彼女はこのような賭けに出たのだろう。アキラは汗のにじむ手のひらを握り締めた。
スガは体ごと彼女に向き直る。
「やってみたらいいじゃないですか、お嬢さん」
「あなたもただでは済みませんよ」
「ただで済まないのはそっちだけだと思いますけどね。あんたに振られたスキルはオレのものとは違う。住人に譲渡しなきゃ意味がないものだ」
「……私のスキルを知っているの?」
少女の顔に動揺が走る。今までぶしつけな競争者へ対し、なんとか保たれていた気丈さが揺らいだ。スガは陰惨な笑いを浮かべる。男の右手が彼女に向かって上げられた。
「っ、アホかよ!」
柱の影からアキラは飛び出す。赤い光を打ち出そうとする男に向かい、床を蹴った。
男が目だけで彼を一瞥する。
暗い圧力を帯びた視線。
それは刹那、彼の身をすくませた。前に出しかけた足が鈍る。
――恐れを抱いてしまったのは一秒にも満たぬ時間だ。
だが、ほんのわずかな躊躇をあざ笑うように、赤光は少女に向かって放たれる。
大きく見開かれる黒い瞳。少女の体が大きく震えた。
アキラはそれを見て我に返る。
残り三メートル。
さかさまの男までの距離を一気に詰める。スガはまだ、彼女の方を見ていた。
「クソッタレが……っ!」
アキラは走ってきた勢いのまま、男の側頭部を蹴り上げる。
先ほどの攻撃が効かなかったこともあり、スガはアキラのことをさほど警戒していなかったのだろう。嫌な音がして首が傾き、黒のキャップが宙に飛んだ。
アキラはさらに拳を作ると、男の顔めがけてそれを振るう。
鼻を狙って振り下ろした攻撃は、けれどスガが顔をそむけたせいで、頬をかすったに留まった。そのまま体勢を崩しかけたアキラに、男の右手が向けられる。
「死んどけ、ガキ」
「ちょ……っ」
アキラは何とか踏みとどまると、咄嗟に男の右手首を掴んで曲げた。方向を逸らされた閃光が円柱の一つに当たって四散する。
だがそれに安堵する間もなく、アキラの鳩尾には男の左拳が埋まった。
「ぐ……ごっ」
息が止まる。上体を折ってアキラは衝撃の波をこらえた。頭の中では隙を見せてはいけないとわかっていたが、体が思うように動かない。
スガは右手をアキラの頭にあてた。
「消えろ」
――ここまでか、と。
アキラは歯噛みする。
まるで持っていたものを全て投げ出し、あおむけに寝転がるような気分だ。
大事なものも、そうでないものも、皆ここに置いていく。
そうして唐突に終わってしまうのだろう。ぼやけかけた記憶も今度こそ消えてしまう。
怖くはない。ただひたすらむなしい。
そして悔しかった。
「ア、 キラっ!」
細い声が彼の名を叫ぶ。
アキラはすぐ近くからその声が聞こえたことに驚愕し、顔を上げた。
見ると、少女が後ろから男に取りついている。彼女は黒い液体に濡れた両手で、スガの顔に爪を立てていた。男は彼女を振り払おうと体を大きく揺する。
「離せ、コラ! ……っぐッ」
凄みのある怒声にうめき声がわずかに混ざったのは、少女の指がスガの目に入ったからだ。男は彼女の肩をつかむと無理やりに引きはがした。そのまま宙に投げ出されそうになった彼女へとアキラは反射的に手を伸ばす。
「おい!」
少女の名は聞いていない。だがその手にはかろうじて届いた。
アキラは彼女を引き寄せつつ、その場から逃げ出す。背後から狙撃されるかとも思ったが、赤い光は追ってこなかった。少女の爪だけでなく黒い液体が目に入ったのかもしれない。苦痛がかった舌打ちがかすかに聞こえる。
二人は見通しのいい場所から、コンテナの詰まれた隣のスペースへと入った。すぐには見つからないだろう入り組んだ積荷の裏へと回る。そこで足を止めたアキラは、ようやく振り返ると手を引いていた少女の様子を確認した。
「無事か?」
「はい」
スガが放った閃光は、彼女に致命傷を与えてはいなかったらしい。よく見るとむき出しの白い左腕が、肘の少し上から黒い液体で汚れていた。彼女の両手についているのも同じ液体だろう。アキラは眉をしかめる。
「どうしたんだ、それ」
「多分、血です」
「は?」
「避けたつもりなんですが、かすってしまいました」
言いながら傷口を押さえる少女に、彼は言葉を失いかけたが、すぐに現状を思い出した。
「何とかなったら手当てしてやるからな。――スキルの使い方教えてくれ」
「わかりました」
殴り合いでは勝てないということは、期せずして証明されてしまった。
ならば残る手段はもうスキルを使うしかない。
アキラはそう思いながら、ちらりと先ほどの彼女の狼狽を思い出した。いくぶん顔色の悪くなった少女は、しかし気弱になっている様子もなく説明し始める。
「私に与えられたスキル……あなたのスキルは『チェンジリング』という特殊なものです。これはスガの言った通り、代行者、つまりこの世界の住人でなければ使えないスキルで、直接の攻撃や防御はできません」
「なんか面倒そうだな」
「その代わり使い道は多いですし、うまくいけば逆転も可能になります。――いいですか、『チェンジリング』は、使用者に属する物質や性質を、短時間対象のものと入れ替えることができるんです」
「……全然わかんね」
「たとえば、あなたの腕力と相手の腕力を入れ替えるとか」
「え、そんなことができるのか?」
それが可能だとしたら話はだいぶ変わってくる。不利を有利に覆せるスキル。たしかに使いようによっては逆転も難しくない。アキラは声を潜めたままであったが、手の届きそうな打開策を前に、意気込んで続きを問うた。
「どうやって入れ替えるんだ?」
「宣言で入れ替えます。あなたが『自分のこれと相手のあれを入れ替える』と宣言するのです」
「それだけ?」
「それだけです。が、むしろ宣言によって固められる意志の指向性の方が重要と思ってください。言っただけで確固としたイメージが伴わない場合は入れ替えできませんし、入れ替える物や属性の差異が大きいほど持続時間が短くなります。おそらく、あなたと相手の体の位置を入れ替えようなどと思っても、スキルが初期状態の今では十分の一秒も難しいでしょう」
「使いどころが問題か」
「初期状態ですと一度使うとしばらく使えなくなりますから、よく考えてください」
「一回勝負とかプレッシャーすぎんだろ。追試くらい用意しろよ」
おそらく相手のスキルはあの赤い閃光なのだろうが、汎用性が違うとは言え、今の状況では差がありすぎる。アキラはかつてないほど必死に思考をめぐらせた。
「さっきの腕力を取り替えるってやつだったら、どれくらい持続する?」
「二十秒……いえ、十五秒でしょうか」
「短い……」
「特殊なスキルですから。傾向としては物質的な交換ほど短くなります」
「って言われてもな」
仮に腕力を変えて攻撃したとして、はたして十秒で勝負をつけることができるのだろうか。入れ替わるのは力だけなのだ。避けられてしまったら意味がない。
アキラは小刻みに震えている自分の両手に目を落とす。先ほど殴り殴られた時は必死でそれどころではなかったが、こうして少し離れると、自分がいかに喧嘩に不慣れであるのかわかる。怯えているというつもりはないが、体が勝手に震えて止まらないのだ。
自分を見続けていてもしかたないと自嘲気味になったアキラは、あらためて倉庫内を見回した。その視線が隅に並べられたあるものを捉える。
「……これ、どこまでやっていいんだ?」
「え?」
「いや、なんでもない」
少女の血を見て気になってしまったが、アキラたちは手加減などを考えていられる状況ではない。少なくともスガにはまったくその気がなかった。あの男相手に甘い考えを持てば、それは自分たちの身に跳ね返ってくるだけだろう。
アキラは短い間に腹をくくると少女に尋ねる。
「たとえば、こういう入れ替えだったら何秒持つ?」
そういって説明すると、彼女は目をまたたかせた。アキラの提案が意外だったのか少し考え込み、だが答を出す。
「おそらく、三十秒」
「充分だな」
「ですが、それをどうやって――」
「一つ思いついた。けどそれより先に」
さかさまの少女をアキラは見やる。同じ目の高さ。だが別の世界に属する来訪者と代行者の二人は、トランプの絵札のように天地を異にしている。アキラは怪訝そうな表情の少女に、まじめくさった目で告げた。
「名前教えてくれ。けっこう不便なんだよ」
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