mudan tensai genkin desu -yuki
倉庫の中は大きく三つの部屋にわかれていた。
まずがらんとした広い部屋が隣り合わせに二つ。そのうちの片方には大きな鉄のコンテナがパズルゲームのように積まれている。それ以外は倉庫内で使うものなのか灯油缶が隅に並べられており、少し離れた場所には煤けた古いストーブが置かれていた。
もう片方の部屋は運搬用のスペースらしく、中央にかなり大きな転移ポート設備が備えつけられている。だが電源が落とされているようで、細い柱で外周を囲まれた作動部に踏み入っても一向に動く気配がない。直径七メートルはある円形のポート床は、暗く沈黙したままだった。
アキラたちは電源を探して、三つ目の部屋である管理室に入る。倉庫の隅にある小さなこの部屋には窓一つなかった。
「まっくらですね……」
「警報も鳴らないし、廃倉庫なのかもな」
だとしたら、転移ポートでの脱出は絶望的だ。設定が消されていたならどこにも移動できない。アキラはそうでないことを祈りつつ、手探りで壁のスイッチを探した。あせりのせいかやたらと手が震える。
少女はそんな彼の様子をじっと見つめた。
「私が出ていけば、彼はあなたまで傷つけないはずです」
「だといいけどな。ちょっとやばそうなやつだったぞ」
アキラは照明のスイッチらしきものを見つけたが、押しても部屋は明るくならない。やはり電気の供給自体が断たれているのだろう。舌打ちしたい気分でアキラは頭をかいた。
「どうすっかな……」
窓は割れているし、足跡は残っている。見つかるのは時間の問題だ。こうなったらコンテナの影にでも隠れて、相手が探しにきた隙に逃げるしかない。アキラは引き返そうとして、だが思いきりその場でのけぞった。少女にひっぱられた後ろ髪を押さえる。
「何すんだよ」
「私の代行者になってください。代行者であれば、彼に対抗することもできるはずです」
少女は右手のひらを見せる。暗い中でも浮き上がる青いコードは、少女の手の中でひどく非現実的に光っていた。
アキラは息を飲んで青くゆらめく式を注視する。
「私たちプレイヤーは未契約であるかぎり、この世界の物質と接触はしても、そのことによる影響を受けません。ですから雨に接触しても『濡れた』とは認識しませんし、殴られても痛みを感じない。――ただ代行者であれば、その制限を越えることができるのです」
「あいつを殴れるってことか」
「スキルを使うか、素手で直接攻撃するか、でなければいけませんが」
「きびしいな」
何しろアキラはこれまでの人生で、真剣に殴り合いの喧嘩をしたことなど一度もない。いくら攻撃が効くようになっても、素手限定では負ける可能性の方が高いだろう。相手の男はたぶん、人を殴ることに抵抗がない人間だ。ならば鍵となるのは「スキル」とやらの方だが――
「その代行者ってのは、後からやめることはできるわけ?」
断片的に聞いた話からは、彼らが何を目的として争っているのかがわからない。
そしてアキラは、わからないまま取り返しのつかない状態になることに、少なくない抵抗があった。うかつに首を突っ込んで、後から間違いとわかったなら目もあてられない。
緑のサンドレスを着た少女は、暗闇の中で息をつめる。
「それは……できません。手段がないわけではないのですが、条件が厳しいのです」
「やっぱりか」
「でも私は!」
「声大きいって」
アキラはあせって彼女の口をふさごうとしたが、暗闇に目が慣れてきたとは言え、相手のことはおぼろげな輪郭しかわからない。彼女がさかさに浮いているのも重なって、伸ばした手は濡れた額をぺちりと叩いた。少女はそれで怒られたと思ったのか黙りこむ。
気まずい沈黙に、アキラは先ほどまでとは違った意味で逃げ出したくなった。
「……言ってみろよ」
「なにをですか」
「何しにこっちに来たのかって。私欲で参加してるとか都市攻略とか、なんか物騒なこと言ってただろ。いいから本当のこと言ってみろよ」
居心地の悪さに耐えかねて促したアキラは、あわてて「嘘ついたらわかるからな」とつけたす。もちろんそれは嘘なのだが、釘をささないよりはきっとマシだ。空の向こうから来たというこの少女は、今のところ彼の目には、真面目な性格の持ち主であるように見えた。
袖口から滴る水が、ぴしゃりと音を立てる。
錆びた鉄の臭いが埃くささと混ざりあって、子供の時のことを思い出させた。初等部時代に友達同士三人で廃工場に忍び込んだ思い出。あの時たしかミヤは、かたくなについてくることを拒んだのだ。今でこそ人懐こくフットワークの軽い彼女は、昔はひどく融通のきかない性格をしていた。だが「女の子」とは得てしてそういうものなのかもしれないだろう。
だから目の前の少女も、本当のことは教えてくれないのかもしれない。なんとなくアキラはそう思った。
少女は自分の手のひらにあるコードを覗きこむ。
青い光に照らされる顔。夜の光を浴びたような彼女の貌は、綺麗ではあったが、ひどく寂しげであった。長い睫毛の落とす影が濡れた額に伸びる。
「プレイヤーの目的は先ほども言ったとおり人それぞれです。ただ基本的には、代行者と契約して与えられたキースキルを譲渡する、というのが準備段階。その後、二人で協力して割り振られた都市を確保することが、全員共通の目標と言えます」
「都市を確保? ってそれ、征服でもするつもりか」
「そうしようとするプレイヤーも、中にはいるかもしれません」
「は……? 本気かよ」
冗談交じりの言葉に聞き逃せない内容を返され、アキラはあんぐりと口をあけた。
呆れるべきか怒るべきかわからない。たとえば自分とこの少女が協力したとして、治安維持部や空塔管理部などの目を出し抜いて第八都市をどうこうできるとは思わない。
だが彼女は少なくとも、真剣にその可能性があると信じているようだった。唖然としているアキラに、強い語調で訴える。
「でも、私は違います! 私は、この世界をどうしようとも思ってないんです!」
「なんだそりゃ」
「今までここのこと何も知らなかったから……。ちゃんと見ておきたくて、私は」
もどかしげに口ごもる彼女は、どう説明すべきか迷っているように見える。
しかしそれは、嘘をつこうとしているというわけではなく、単純にふさわしい言葉が見つからずに困っているようだった。じっと様子をうかがっていたアキラは、黒い瞳が急にうるむのを見てぎょっとする。
「なんだよ」
「……お姉ちゃんが」
「うん?」
「お姉ちゃんが、病気なんです……。昔からずっとそうで……。それで、こっちの世界になら、手立てがあるって聞いて……」
小さくなって消える声に、またぴしゃりと水滴の音が重なる。
まるで涙の音のようなそれは、しかしアキラの耳に入らない。彼の脳裏にはその時、自分自身のあいまいな記憶が浮かび上がっていた。
脳裏に広がるものは、純白の空だ。
白い光。空塔は見えない。まぶしくて目を開けていられない。
アキラは繋がれた左手を握りしめ、隣の少年へと尋ねる。
「おにいちゃん。どこにいくの?」
「違うところ。――お前も行く?」
「いきたいけど。みんながこまらないかな」
当然の心配に、兄は答えない。
ただ高い空を仰ぐ少年をアキラは眺める。小さな左手にぎゅっと力をこめた。
世界に音はない。そのような記憶はない。
彼はまぶしくてしかたのない空を、兄越しに見上げる。
白い、のっぺりとした空。
そして気がついた時――アキラの兄はもうどこにもいなかった。
「あの?」
コードを持たない方の手が伸ばされる。その手と心配そうな声に、アキラははっと我に返った。ただの夢だと、散々周囲から言われた記憶から意識を引き戻す。
「悪い。ちょっとぼけっとしてた」
今は時間がないのだ。アキラは背後のドアを振り返ったが、まだそこが開けられる気配はない。もっとも相手は足音をさせないのだから、この瞬間に嘲笑とともに男が現れてもおかしくはないだろう。その瞬間を想像すると背筋がぞっとする。
アキラは濡れて重くなった制服の上着を脱ぐ。白いカッターシャツの首元もゆるめ、両袖をまくった。たいして鍛えられているわけでもない腕に自分でも苦笑いしてしまう。
「姉貴がいるのか」
「……はい」
「それで、その治療法とかはこっちの医療センターとか行って聞いてみればいいわけ?」
「え、あ……わかりません」
「俺、研究所とかそういうの知らないからな。もし第八都市でわからなかったら無理だ。まだ十六歳だから出都許可がおりないんだよ」
通常、他都市に移動する許可が取れるのは十九歳からだ。もし彼女の姉を救う手立てが別都市にあるのだとしたら、アキラが協力者であるかぎり行き詰まりになってしまう。
それを一応断ってみたのだが、少女は微苦笑してかぶりを振った。
「いえ、多分大丈夫です。振り分けられた都市を確保できれば、他都市の権利者と交渉もできますので」
「ふーん? まぁ、じゃあいいか」
わからないことはまだまだ多い。
だからきっとこれは最低限の対応だ。今この場を切り抜けるためだけの決意。
追われて飛び出してしまった車道から、植え込みを越えて元の歩道へと戻るように、外れかけた日常に戻るためには現状を飛び越えなければいけない。
アキラは自分の右手のひらを眺めた。部屋が暗くてよく見えずとも、そこがじっとりと濡れていることは感じ取れる。雨か汗かといったら後者だろう。思考は麻痺していても、強い危機感は内心で息づいている。彼は一度手を強く握り締めた。
汗を拭った程度で何かが払拭できるわけではないが、多少の見栄は張りたい。アキラは湿った制服の裾で手のひらを拭いた。
そして改めて、浮いている少女に向かって右手を差し出す。
「手」
「あ、はい」
「違う。右手」
「え……」
コードがある側の手を呼ぶと、彼女は両目をまたたかせた。アキラはドアの方をうかがいながら少女を急かす。
「早くしろって。いいかげん追いつかれちまう」
「でも、いいんですか?」
「他にどうしようもないだろ」
――彼女の目的を聞いて、気が変わったとは言わない。
姉の為に何かをしたいと言う少女に共感を覚えた。けれどそれは人に言う必要もないことだろう。言ってもしかたのないことはあると、この十年でアキラは学んだのだ。だからただうながす。
「早く」
少女は一度、自分の光る手のひらを見た。黒い瞳に静かな感情が満ちる。
夜の海に似た凪。だがそこに映る意思の光は強い。
彼女は小さく頷くと、左手でアキラの手を取った。水中を泳ぐように自分の体を引き寄せる。漂う髪先は闇へと溶け、薄い服の裾がふわりとたなびいた。白い指先がアキラの顔へと伸ばされる。
青く浮かぶ式。アキラは向けられるコードを注視した。少女はその彼を見つめる。
「名前を」
「ん?」
「名前を教えてください」
「瀬戸アキラ」
「セト・アキラ」
復唱された自分の名は、抑揚のない発音とあいまって扉を開く呪文のように聞こえた。初等部のころ読んだ童話に、そんな話があったことをアキラは思い出す。
ならば彼女の役割は語り部か導き手か。少女の右手が、ついに彼の額に触れる。
「プレイヤーナンバー13、シェラ・ハーディ。コマンド・コントラクト」
ぴたりとあてられた手のひらから熱が伝わる。
アキラは両目を閉じる。例のコードが熱源であるのだろう。低温火傷しそうなほどのじんわりとした熱さが、額から脳の中へと忍び込んできた。少女の声が続く。
「ターゲット、セト・アキラ。アナリゼーション……タイプE、レベル1」
少女の声にかすかな驚きが混ざったことにアキラは気がついた。だがその意味まではわからない。触れられた場所がじんじんと熱を持ち、考え事がしづらかった。
彼女は小さく息を吐く。
「コマンド・トランスファー、キースキル『チェンジリング』……セット」
――脳が焼ける。
そう思ったのはほんの一瞬だった。苦痛を感じる前に熱はさっと消えうせる。呆然とするアキラの頭の中で、ぱちんと何かが爆ぜた気がした。
額から彼女の手がゆっくりと離れる。あとには相変わらず濡れたままの前髪が戻ってきた。小さな手が触れていた部分には、ただ少し温められていた感触が残るだけである。
――これで終わりだろうか。特に何かが変わったようには感じない。
アキラはそう思いながらも、だが彼女の手がはずされたことでそっと目を開けた。すぐ前には少女の顔があり、彼女もまた目を開けると微笑む。
「これであなたが私の代行者です。セト・アキラ」
少しの罪悪感とひとまずの安堵を縒りあわせた微笑。
間近に見えるその顔は美しく、はじめに見た瞬間よりもよほどリアルで、鮮烈だった。
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