mudan tensai genkin desu -yuki
プレイヤーの男のことは気にかかるが、同じシギルを狙うライバルがいる以上、攻略を延期することはできない。アキラはカイに「絶対一人になるな。ああいうさかさまのやつを見たらすぐ逃げろ」と言い含めて、翌朝早くから寮を出た。生誕祭初日のざわめく街を抜けて、空塔へと到着する。
整理券を出して入った塔の内部は、黒く磨かれた床に薄い灰色の壁で統一されていた。美しく機能的に整えられた景色。入口ゲートから一歩先に足を踏み入れたアキラは、広がる円形の空間を見て嘆息する。
「すげ……なんか感動するな」
外から見た時はすらりと細く見えた空塔も、中に入ってみればかなりの広さがある。一階部分は直径約六十メートルとされているが、壁の厚みなどを除けばもう一回り小さいだろう。今日は見学者用にか、フロアのあちこちに空塔や都市の主要施設の模型が、ディスプレイされていた。
アキラはそれら模型を夢中で見て回りたい欲求と戦いながら、人の間をぬってフロアの中央へと立つ。三階までの吹き抜けを見上げると、天井には第八都市の地図が意匠として描かれていた。圧倒される眺めに見入りつつ、アキラはすぐそばの少女に呼びかける。
(行けるか?)
(はい。行ってきます)
トークで答えたシェラは、吹き抜けを見下ろす手すりめがけて上昇していった。丈の短い白のワンピースにジーンズ、そして端末を入れたポーチを腰に下げた少女は、そのまま三階に到達すると通路の奥に消える。アキラはそれを確認して息をついた。
――三階にあるというポートから、まずシェラだけを中層部に送りこむ。
そうして彼女は中層部の端末から空塔管理システムに干渉し、アキラを管理部員のデータベースに登録するのだ。
一度、「空塔管理部」として登録されてしまえば、彼にも塔内ポートが使えるようになる。人の目さえごまかせれば一気に上層階にも行けるだろう。監視カメラなどのシステムは、シェラが対策すると言っていた。
「これ、あいつ一人なら軽々上まで行けるんだろうな」
だがシギルは代行者でなければ取れないルールなのだからしかたがない。彼女からの連絡を待つ間、空塔を見学していることにしたアキラは、壁際に立つガイドに気づいて歩みよる。紺色の制服を着た女は、やわらかい声で彼に応えた。
「何かご質問でもありますか?」
「あー、いや、空塔って全部で何階まであるんすか?」
これから目指す場所はどれほどの高みにあるのか。基本的なことさえ知らないアキラに、女は造り物めいた笑顔を見せた。
「正確なところはお教えできませんが、フロアはニ百以上存在します」
「……うわ」
途方もなさすぎるとはこのことを言うのだろう。
思わずげっそりしかけたアキラに、「準備が終わった」とトークがきたのは、それから二十分後のことだった。
見学者が立ち入りを許されるのは、二階フロアまでである。
そこからポートのある三階に行くには、奥の階段をのぼらなければならず、広い階段の前には開放日とあって二人の警備員が立っていた。見学者が多く行き来する通路からは、角を曲がって死角になる階段。その角の前まで来たアキラはあたりの様子をうかがう。
「今から騒ぎ起こしちゃまずいしな……」
先の長さを思えば可能な限り存在を気取られないでいたい。アキラは目を閉じると、角の先に向けて宣言した。
「あいつと俺の視界を入れ替える」
暗闇だった視界に灰色の壁が見える。警備員の男は突如目が見えなくなってか、混乱の声をあげた。すかさずアキラは、残る一人を意識において宣言する。
「今の俺の視界と、あっちの男の視界を入れ替え」
二度目の発動によって、もう一人も目の異常に驚愕したらしい。最初の一人は何も見えずに四つ這いになり、二人目は床しか見えぬことに慄いて尻餅をついた。
短い混乱の中を、アキラは音を立てぬようてすりぬける。このための予行演習は今まで何十回もしてきたが、さすがに足が緊張でぐらつきそうになった。ほんの十五秒ほどで、アキラは警備員のわきを通り過ぎ、階段をあがりだす。踊り場を折り返すと口の中で小さく呟いた。
「解除する」
頭の中からすっと違和感が消え去る。本来の視界を取り戻した彼は、すばやく残りの階段をのぼった。階下の音に耳を澄ませたが、警備員たちは今の異常をいぶかしむだけでどこかに報告しようとはしていない。ほっとしたアキラを、階段の出口でシェラが迎える。
(大丈夫ですか)
(なんとかうまくいってる)
(案内します。今は人もいません)
天井を走るシェラの後について、アキラは小走りに廊下を駆け出す。
喉元にせりあがってくる緊張。脈拍が加速度的に早くなっていく。
磨かれた黒い廊下に自分たちの姿が映ることでさえ、今はなんだかよくないことのように思えた。先行するシェラは二度角を曲がると、行き止まりのポートホールにアキラを案内する。
そこには直径二メートルほどの小ポートが五つ並んでおり、さいわい今は人の姿もない。ポートはそれぞれ円柱を四隅に置かれ、白い真円のタイルが作動床にはめ込まれていた。どれも同じに見えるそれらをアキラは見渡す。
「どれだ?」
「一番右です」
シェラの言葉に、アキラは頷いて右へと走った。ポートの操作盤を探り、作動ボタンを押す。頭の隅に一瞬「人の多いところに出たらどうしようか」という考えが浮かんだが、その時には既に景色は変わっていた。二つのポートしかない小さなホール。シェラはすぐに「隣へ」と指示する。
人目を避け、ルートを選びながら上へ上へとのぼっていく。
慎重に偵察をし、気配を殺し、人と出くわしそうになるたびに咄嗟の判断で隠れる。どうしても隠れられない時は、スキル使用でなんとか切り抜けた。
──そういえば昔、こんなビジュアルゲームをやったことがあるな、とアキラは思う。
そしてシェラが当初考えていた「ゲーム」の性格も、このようなものだったのだろう。
スキルを使い、お互い協力しての空塔潜入ゲーム。それがいきなりプレイヤー同士の対戦ゲームになってしまったのだから、彼女もさぞあわてたに違いない。引け目のせいか、シェラは気づけばずっと遠慮がちになってしまった。
アキラは小走りに角を曲がる。二百以上あるというフロアに対し、空塔管理部の人数はわずか約千三百人。どこも同じ景色に見える塔内は無人の倉庫階がほとんどだった。
そのような無人階の一つで、「フロア143」と書かれたプレートをアキラは見やる。
「結構上まで来たな……ニ時間くらいかかったか?」
「人のいない道を選びましたから。それくらいですね」
ポート移動は基本的に、シェラを先行させ移動先の様子を見てから、移動するようにしている。おかげでまだ一度も見つからずに済んでいるが、これから先は厳しくなってくるかもしれない。アキラは薄灰の天井を見上げた。
「そういや最上層に出入りできる管理部員はごく一部って聞くけど、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。上位権限を設定してあります」
「……すげー」
これだけのことができるのは、彼女が虚都の研究者だという才媛だからなのだろうか。不可能を可能にする不条理は、強力な助けではあるが空恐ろしさもまた感じさせる。これが他の傲慢なプレイヤーだったらと思うとぞっとするほどだ。
そもそも彼はシェラを信頼してはいるが、本音を言えば虚都に空塔操作システムがあるということ自体愉快に思っていない。虚都人からすると、この世界の人間がどうなろうとたいした問題ではないのかもしれないが、こちらはこちらでまったく別の世界なのだ。越えてはならない一線はあってしかるべきだと思う。
――そう、越えてはならない、越えられない境界はたしかに存在するのだ。
少女の指示により一旦立ち止まったアキラは、壁に背を預けた。角の先を窺う少女を見上げる。
「なあ、これが終わったら、シェラも帰れるんだろ。姉貴に会えるな」
そんなことを口にしたのは、半分は彼女の反応を見たいがためのものだ。
シェラは少し驚いた目で彼を見上げた。小さな唇がなにかを言おうとわななく。
だが彼女はなにも言わず――口元に淋しげな微笑を浮かべると、うなずいた。
「がんばりましょう」
「ああ」
目の裏に白い空がよぎる。
しかしアキラは、それを無視した。
スキルの使用はできるだけ節約している。ここ数日してきた持続時間のコントロール訓練は、きちんと成果を出していた。ポートの前で立ち話をしていて動かなかった二人の背後を、チェンジリングですりぬけたアキラは、誰もいない廊下で一息つく。
「これ精神的にじりじり来るな……」
「大丈夫ですか?」
「平気。休憩は入れてるし」
上からアキラの額に手をあてたシェラは、心配そうな表情ながらも手を引く。百五十階くらいまでは遠回りをしたとはいえスムーズに来ていたのだが、そこから先は倉庫階が少なくなってきたらしい。人と出くわす機会が増え、心身ともに疲労が溜まりつつあった。アキラは額ににじむ汗をぬぐう。
「百七十三階か……。次は東ポートでいいのか?」
「ええ。そちらは普段使用されていないようなので。そこから百八十階層に行けます」
「じゃ、さっさと行くか」
小声で話しながら右にカーブする廊下を歩いていた二人は、だが近づいてくる声に気づいて顔を見あわせた。アキラはシェラの手を取ると、もと来た道を走り柱の影に隠れる。
聞こえてくる声は三人。いずれも大人の男のものだ。廊下に分かれ道がない以上、いずれはここまでやってくるだろう。そして他に隠れるところはない。見つかるのも時間の問題だ。
(いったん戻りますか?)
(いや)
戻ろうとしても柱から出た時点で視認されるかもしれない。
(どうせ見つかるなら進んだ方がいい)
アキラは身をかがめて両膝をほぐす。シェラが天井で目を丸くした。
(突破しますか)
(できるなら口封じする。三人相手だとスキルだけで切り抜けるのは難しいからな)
ここまで見つからずに済んだことが幸運だ。あと残り三十フロア前後。この場をなんとかできれば行き着ける距離だろう。そこは、行かなければならない場所だ。
シェラは頷くと天井を走り出す。アキラは息を整えて彼女からの合図を待った。数秒後、物の落ちる音がして、廊下の先から男たちの声が聞こえてくる。
「ん? この靴、どこから落ちてきたんだ?」
「女物だな」
シェラが落とした靴を手に首を傾げる三人。その様子をそっとうかがったアキラは、思わずふきだしそうになった。三人のうち一人のジャケットを、シェラが背中からそっとまくりあげようとしているのだ。彼はしかし、すぐに気を引きしめなおすと、もっとも体格のよい若い男へ狙いを定める。そしておもむろに、柱の影から飛び出した。
「なんだ、お前──」
アキラを見て、三人の表情が変わる。しかしそのうちの一人はすぐに顔が見えなくなった。シェラがめくりあげたジャケットで男の頭を包みこんだのだ。アキラは若い男に向かって宣言する。
「あんたと俺の、腕力を入れ替える!」
男は、正面からアキラにつかみかかってきた。その手を彼は外側へ払う。アキラよりもずっと太い男の腕は、予想を超え軽々と跳ね除けられた。相手の男はぎょっと目を見開く。その鳩尾を、アキラはすかさず無言で打った。悶絶する男から視線を外し、二人目へと向き直る。
ひょろりとした男は、唖然とした目で見知らぬ少年を見返した。
「え? 高校生……?」
現実が認識できていない顔。アキラは男の内心にはかまわず握った拳を振りぬく。男は「ひええ」と短い悲鳴を上げた。
――そうしてどたばたしたもみ合いの末、空塔管理部の三人は、手足を自分たちのベルトで拘束されることになった。
彼らの口に布を押し込んで、適当な空き部屋に閉じこめたアキラはしみじみと言う。
「シェラが弱い代行者を選びたいって言ってた意味がわかった。チェンジリングって弱いやつと強いやつを入れ替える方が効果的だもんな」
「そんなこと覚えていないでください……。先見てきます」
気まずそうな少女は靴を履きなおすと天井を駆けていった。
アキラはあがってしまった息を整えつつ、歩いて彼女の後を追う。
「にしても、顔が割れたら後で捕まるな。あーあ」
いずれは見つかると覚悟はしていたが、先のことを考えると非常に面倒くさい。
だが、そんなことを気にしていられる場合でもないだろう。後に誰かが続いてくれるのだとしても、アキラ自身には次のチャンスなどない。この挑戦がきっと最初で最後だ。そう自覚すると、廊下を行く足にも力が入る。実際、空塔攻略もそろそろ上層に入るだろう。
その時、アキラはふと、ジーンズのポケットに入れた個人端末のことを思い出した。
呼び出し音は空塔に入る前に切ってあったが、この先は電源自体切っておいた方がいいかもしれない。「空塔上層部には端末探知用のセンサーがある」とは、ずっと前に聞いた噂話で、カイもシェラもそのようなことは言っていなかったが、用心しておくにこしたことはないはずだ。
アキラはポケットから薄いスティック状の端末を取り出した。小さなランプが灯っているのを見て、目を丸くする。
「あれ、誰だ」
音を切っている間に、誰かからメッセージが入っていたらしい。生誕祭を欠席することについてはカイとミヤに言ってあったが、それを知らない誰かからのものだろうか。アキラは周囲を確認すると、メッセージを開いた。最小の音量で録音された伝言が流れ出す。
それは、学校に行っているはずのカイの声だった。
『アキラ……! まずい、急いで――』
「へ?」
焦ったような声は、ほんの数秒でぶつりと途切れる。アキラはもう一度同じメッセージを再生した。次に、カイの個人端末へと呼び出しをかける。
だが呼び出し中の表示は、いつまで経っても変わらない。それは相手をミヤに変えても同じことだった。戻ってきたシェラが、上からアキラを覗きこむ。
「どうかしたのですか?」
「いや……カイになにか」
「え?」
劇の最中なのだとしても、二人ともが呼び出しに応じないというのはおかしい。
これはおそらく、なにかがあったのだ。昨日のプレイヤーが動いたのか違うのか、アキラは個人端末を握りしめた。震えるその手を見て、表情を硬くしたシェラがすぐにうなずく。
「わかりました。戻りましょう。システムの癖は把握しましたし、空塔へはまた来ればいいですから」
「けど」
――今戻って、間に合うだろうか。
メッセージが入っていた時刻は、今から一時間ほど前だ。もう遅すぎるかもしれない。だが行かなければなにもわからないのだ。
逡巡するアキラの肩に、シェラの手が添えられる。
「戻りましょう、アキラ。大丈夫です」
「シェラ」
少女は微笑むと迷わず来た道を戻り始めた。
彼の周囲を攻略よりも優先してくれる少女。その姿を見上げたアキラは、遅れて意を決する。握った端末をポケットに押し込んだ。
「シェラ、待て」
「はい?」
「戻らない。先に進むぞ」
「え……でも」
「急ごう。たぶん……その方がいいんだ」
――『急いで』の後に続くものはなにか。
『急いで助けにきて』だろうか。アキラはまずそれを考えて、だがやはり「違う」と思った。
今日彼が空塔に来ていることを、カイは知っている。それが特別な目的のためだと、聡い友人は説明されずとも察していたのだ。
そのような状況で、たとえ自分の身になにかがあったとして、カイは「空塔より自分のところに来てくれ」とは決して言わない。むしろアキラの邪魔にならぬよう自分でなんとかするはずだ。
だからきっとあの言葉の意味するところは――『急いで目的を果たせ』だろう。アキラは友人たちへの心配を押し殺すと、天井のシェラを見上げる。
「上に行くぞ。先にシギルを取る」
「アキラ……」
「大丈夫だって。信じろ」
――もしかしたら自分は今、友人を見捨てる決断をくだしているのかもしれない。
そんな考えが脳裏をちらついたが、アキラは惑いを面に出さなかった。固い視線をシェラへと向ける。
契約者の少女は、軽く息を飲んだように見えた。ややあって、細い声が応える。
「わかりました。急ぎましょう」
「ああ」
「先を見てきます」
シェラは廊下の先へと走り出す。その姿はまもなく先の角を曲がって見えなくなった。アキラは歩調を速めて彼女の後を追う。カイとミヤは無事なのか、どうしても考えてしまう彼は、けれど先行しているシェラの声にはっと顔を上げた。
(アキラ! 人が……!)
驚愕に満ちた声が伝わってくる。
アキラはそれを、誰か人がやって来るのだと判断した。急いで隠れる場所がないか周囲を見回す。
しかし、続く言葉は彼の動きを止めた。
(人が、倒れています……)
「は?」
思わず肉声で返してしまったアキラは、我に返ると廊下を走り出す。カーブする通路を曲がり、見えた光景に立ち尽くした。
「なんだこれ」
天井に立っているシェラ。彼女がいる場所はポートホールの前だ。
そしてその前の床には何人かの人間が倒れ伏している。服装からして管理部の人間らしき彼らに、シェラは下りてきて手を伸ばした。そっと首や顔に触れる。
「生きているみたいです。気絶しているだけで」
「へ……なんなんだ。ガスもれ?」
アキラは用心して近づいたが怪しいものはない。二人は首を捻ったが、原因がわからないのでそのまま先に進むことにした。
だが、異変はそこだけではなかったのだ。次のフロア、そしてその次のフロアにも管理部職員は倒れていた。そろって気絶させられた彼らは皆ポート周りに集中している。
最上層へといたるルートはそうして、彼らの知らぬ間に静寂で舗装されていたのである。
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