曲空虚空 22

mudan tensai genkin desu -yuki

 生誕祭当日になれば空塔に入れるという話はありがたいが、裏を返せばそれは「準備にかける充分な時間がない」ということだ。
 もちろん、シェラははっきりと言わないが、早く攻略した方が評価はいいだろう。だからその点から言えば、変に躊躇する期間がなくて幸運ではある。
 アキラはそんなことを思いながら、ベッドの上にあぐらをかいて、翌日に迫った攻略用の持ち物を揃えていった。
 寮の自室には、他にもう一人がいるだけだ。天井に寝そべっている少女は、小型端末を開いて何かを準備しているらしい。アキラは、しばらく真上にいる少女を眺めていたが、不意にあることを思いつきその背を指さした。
「シェラと俺の、かかる重力を入れ替える」
「――え?」
 唐突な宣言に、シェラは間の抜けた声をあげる。
 しかしそれは直後、悲鳴に変わった。天井から落下してきた彼女を、逆に宙へと浮いたアキラは受け止める。彼は自分の足下を見て感嘆の声を上げた。
「すげえ、浮いてる」
「ア、 アキラ、戻してください」
「そのうち切れるだろ」
 アキラは上へ、シェラは下へ、普段とは逆にかかる重力は、しかしすぐに気分の悪さをもたらした。ぐらぐらとめまいを覚えて、彼は口元を押さえたくなる。
「これ、どうやって切るんだ……」
「解除って言ってください。スイッチ切るみたいなイメージで」
「解除」
「きゃあああ」
 言うと同時にアキラの体は、軽い音を立てベッドの上に落ちた。シェラがまた悲鳴を上げたのは、天井に落ちたからではなく、アキラが彼女を抱えたままだったからだろう。それに気づいて少女を解放すると、彼女はよたよたと天井に戻っていった。
「あの、スキルテストする時は一声かけてくれると嬉しいです……」
「悪い悪い。ちょっとどうなるかと思って。でもこれで空塔の外壁上れないか? 俺だったらシェラ持ち上げられるけど」
「途中で時間切れになって落下すると思います」
「……ミンチだな」
 想像したくない結果を想像して、アキラは反省した。
 ここ数日まめにスキルの訓練をしているのだが、それが実を結んでいるのかどうか、いまいち分からない。回数をこなしているせいか、ひどい頭痛でしばらく次が使えない、などということはなくなったが、肝心のアイデアの方はさっぱりだ。チェンジリングで重要なのは、どちらかというと「どのように使うか」の発想だろう。アキラは乱れてしまった髪を、さらに手でかきまわす。
「できるだけ効率よく行きたいんだよな」
「転移ポートを直接最上層に出るよう、書き換えられればいいのですが」
「さすがに無理だろ。あれの設定って、ハード側も関係してるらしいし」
「急に工事を始めたら、さすがに怪しまれますね」
 そんな作業を見逃してもらえるほどなら、とっくに最上層に入れている気もする。彼が「あーあ」と大きく背伸びをした時、廊下からノックの音がした。
「アキラいる? 整理券持ってきたんだけど」
「お、いるいる。サンクス」
 ベッドを飛び降りてドアを開けると、まだ制服のカイが入ってくる。「まずこれ」と整理券を差し出されたアキラは、丁重にその一枚を受け取った。
「助かった。手に入れるの大変だったろ? 悪い」
「いいよ。仲間に融通してもらっただけだし、普段はおれが融通する方だから」
「ほんと感謝。あとでなんか返す」
「いいって」
 アキラが机の前の椅子を指すと、カイはそこに座った。天井のシェラが見えぬ彼は、机の上のミニチュアを眺める。
「また増えてない?」
「減ってたら困るだろ」
「大学出る頃には、机のスペース残ってないね」
「それはそれでよし」
 もともとアキラは、部屋で勉強をすることなどほとんどない。机はいわば作業机と同義だ。
 彼が備え付けの小さな冷蔵庫からジュースを取り出して投げると、カイは礼を言ってそれを受け取った。
「でさ、アキラ」
「ん」
「何してるか聞いていい?」
「……ぐ」
 聞かれるのではないかと思ったが、実際急に問われると言葉につまる。アキラは、「模型を作りたいから」という言い訳を押し通そうかと一瞬考えた。しかし友人の真剣な表情を見て、すぐにそれを思い直す。
「悪い。今は言えない」
「まさか空塔でテロするとか」
「そのつもりはない。けど」
 騒ぎにはなるかもしれない、との言葉をアキラは飲み込んだ。カイは軽く眉を上げる。
 ――ミヤに話してこの友人に話さないのは、一重にカイが空塔になみなみならぬ情熱を抱いているからだ。
 そんな相手に「空塔のシステム干渉権を賭けて勝負をしている」などと言えば、怒りに目の色を変えてしまうだろうし、下手をすれば自分も行くなどと言い出しかねない。
 だが目的や結果がどうあれ、空塔内で騒ぎを起こしたとなれば、それは重大な犯罪行為だ。そうなればただでさえ難関である管理部への門戸が、完全に閉ざされることは目に見えている。カイが昔から、地道な努力を重ねて管理部を目指していると知っているアキラは、どうしてもこの友人を巻き込む気にはなれなかった。

 全てを伝えることはできない。
 アキラは慎重に言葉を探す。ブラインドの隙間から、夜の中に浮かぶ白い塔が見えた。
「俺もさ……空塔を守りたいんだよ」
「空塔を?」
「そりゃお前ほどじゃないけどさ、こうなって気づいた。やっぱり空塔は特別なんだって」
 都市の全天候を司る塔。それは誰によっても支配されるべきではない、彼ら都市住民の誇りだ。
 今まではその存在を当然のものと思っていたアキラも、このゲームに参加して以来、そう強く思うようになった。よその人間に、空塔を好きにさせてはならない。もしそのようなことになれば、都市自体を蹂躙されていると同じことだと。
 アキラは、自分よりもずっと都市の歴史に詳しい友人に尋ねてみる。
「あのさ、空塔が誤作動起こしたこととかってあるか?」
「空塔が? あるよ。もう何年も前のことだけど。ほら、システム異常でひどい嵐が続いたやつ。覚えてない? 都市機能が完全に麻痺してさ」
「覚えてない。そんなことあったか?」
「あれ。アキラ寝てた? 初等部のころなんだけどさ。記録だと収束まで十五日くらいかかってる。地下にあった設備とかが全部水没して駄目になってさ。第七都市と第九都市から支援受けて、なんとか持ち直したんだ」
「うへえ。そりゃひどい」
 システム異常でそれだけの大災害になるなら、意図的に都市を潰そうと思えば、やはり不可能なことではないのだろう。アキラはひやりとするものを感じて首をすくめた。天井を仰ぐと、シェラが困ったような表情を見せている。
 カイはポケットから一枚の畳んだ紙を取り出した。
「これ」
「ん?」
 受け取って広げてみると、それはなにかのフォーラムのログを出力したもののようだった。一番上の記事内容に目をとめたアキラは、思わず絶句する。
「え、これ……いつの話だ?」
「昨日」
 書かれている内容は第二都市についてのものだ。昨日の晩、不可思議な事件が発生したという話。それは、書かれていることをそのままに信じるなら、空塔内に勤める職員が数百人、突然に眠りこんでしまったというものだった。
 彼らは命に別状はないそうだが、そのまま約三時間何をしても起きなかったらしい。
 この件によって空塔の機能は一時的に狂い、都市には予定外の豪雨によって大きな混乱が起きた。
 ──だがここに書かれている話では、その時空塔の最上層付近が白く発光したのだという。
 アキラは顔を上げると、カイを見た。
「これって公式ニュースか?」
「違う。空塔愛好家のサークルのもの。ただ豪雨の話は本当だ。生誕祭直前だからニュースが目立ってないってのもあるけど、第二都市が報道規制を敷いてるらしい。――職員が昏睡したっていうのと空塔の発光は、第二都市の会員からのリーク。管理部所属じゃないけど、空塔に近い筋からの情報」
「まじかよ……」
 アキラはその紙がシェラにも見えるように、広げてベッドの上に置く。
 端末を抱えて下りてきた少女は、ざっと目を通すと蒼ざめた顔で「シギルが確保されたのでしょうね」と呟いた。
 どのようなプレイヤーと代行者が、早々にゲームをクリアしたのか。アキラは焦燥を覚えて奥歯を噛みしめる。
 カイはジュースのボトルを手に立ち上がった。
「言えないっていうならいいんだ。アキラのことは信用してるしさ。ただなんかおかしいことが起きてるっていうのは、おれも薄々わかる。協力できることがあるなら言って欲しい」
「……ああ」
「用はそれだけ」
 苦笑してドアへとむかう友人に、アキラは「部屋まで送る」と言って廊下に出た。留守番のシェラが、空中から手を振ってくる。

 翌日の準備で忙しいのか、寮の廊下には他に人の姿はない。
 アキラは友人と並んで歩きながら、廊下の突き当たりを示した。そこは非常階段へと繋がるドアがあり、二人はそのドアを開けて踊り場に出る。外は既に暗くなっており、地上の白い街灯が点々と敷地の奥にまで続いているのが見通せた。
 錆びた鉄柵に寄りかかりながら、アキラは黒い空を見上げる。
「詳しいことは悪いけど今は話せない。――ただ、頼みはあるんだ」
「なに?」
「もし明日俺に何かあったらさ、ミヤに事情聞いて、俺の友達の助けになってやってほしい」
「友達? ミヤも知ってる人間?」
「見えてないけどな」
 怪訝そうな顔になるカイに、アキラは肩をすくめてみせる。
 実際そうとしか今は言えないのだ。だがもし自分が駄目だったのなら、誰かに後を継いでシェラを助けてもらいたい。それくらいの保険をかけてもいいだろう。シェラいわく、ミヤは適応者ではないそうだが、カイや彼女はアキラよりも広い交友関係を持っているのだ。きっと次の代行者を見つける助けになってくれる。
 シェラの前でこのような頼みをすれば、彼女はむきになって「次のことなど考えないでください!」と訴えてくるだろう。だからこそ部屋を出てきたアキラは、苦笑して幼馴染に向かう。
「こんなことしか言えなくて悪いんだけど、頼むよ」
 無茶を言っている自覚はある。だがカイは、物言いたげな表情ながらもうなずいた。
「わかった」
「ほんと悪い。あ、お礼に俺のミニチュア好きなの持ってっていいから」
「空塔のはもう持ってるからいい。ってかおれ、別にミニチュア好きじゃ――」
 カイの言葉は不自然に途切れた。大きく見開いた目がアキラの頭上を捉える。
 何を見ているのかと振り返りかけた時、アキラの後頭部に誰かの手が触れた。男の声が響く。
「ターゲット、セト・アキラ。アナリゼーション」
「――って、おい!」
 プレイヤーの使うコマンド発声。アキラは反射的に拳を上げながら振り返った。そこに浮かんでいた男は、しかし殴られる前に、彼の手の届かぬ位置まで上昇する。
 灰色のスーツを着た二十代後半と思しき男。さかさまに浮いていることを除けば、たんなるビジネスマンにしか見えない人物は、軽く驚いた目でアキラを見上げた。
「タイプEか……なるほど」
「またか! 下りてこい!」
 今まで二人も相手にしてきたのだ。もう来ないと信じていたわけではないが、正直まだ来るのかと思った。
 とりあえず相手を叩き落そうと指を上げたアキラに、だがカイの強張った声が聞こえる。
「なんだあいつ……幽霊?」
「カイ、見えるのか!?」
「なるほど、そこの彼も適応者か」
 男の相槌は、アキラに新たな戦慄を呼び起こした。
 ――代行者ではない人間に見える虚都人は、未契約のプレイヤーだけだ。
 全体の一割にも満たないという適応者。代行者となりうる彼らは、プレイヤーにとって貴重な人材だろう。アキラはマティルドの犠牲になった青年を思い出す。カイをかばうように、一歩前へ出た。
「なにしに来た……話し合いか?」
「たんなる事前調査だ。君は既に二人のプレイヤーを屠っている。正面から挑むのは分が悪い」
「お前もシェラの敵か」
 つくづく他のプレイヤーの思い込みが腹立たしい。
 アキラは内心うんざりして、上空の男を睨んだ。表面的には敵意を感じさせない男は、あっさりとかぶりを振る。
「そのようににらまれるのは心外だ。あくまでこれはゲームで、私はハーディ嬢を痛めつけたいわけではない」
「そうかよ。痛めつける気満々の変態が、今まで二人ほど来たけどな」
「彼らは近くのことしか見ていない。ビジネスとはもっと先までを見通して行わなければ」
 淡々とした受け答えは、スガやマティルドと比べればはるかに冷静なものだ。服装からの第一印象を裏切らない相手に、けれどアキラは少しの親しみも覚えなかった。
「痛めつけたいわけじゃないなら、不戦でも結ぼうっていうのか?」
「そのつもりもない。気づいていないのかもしれないが、君たちに勝つことはそう難しいことではないのだ。一度契約を結んだ代行者は、その死まで変更はできない。君が他都市に出られない以上、この都市のシギルを私が取ってしまえば、勝敗はつく」
「げ……」
 ――十六歳のアキラには、出都許可が下りない。
 それは最初にシェラへと断っていたことではあるが、あくまでも治療法を調べるための手段として、障害になるかもしれないと思っただけなのだ。それがゲーム攻略に支障をきたすとまでは思わなかった。
 顔色をなくすアキラを、男はじっと観察するかのように眺める。
「まあ、それには私にも代行者が必要だ。加えて――本当にそれでいいのかとも迷っている」
 男の低い声には目立ったゆらぎはなかった。だが、わずかな逡巡は感じられる。
 アキラは鏡面体に落ちていきそうなプレイヤーを、顔をしかめて見据えた。
「本当にそれで? どういうことだよ」
「このゲームの正解とはなにか、だ」
「正解って。割り振られた都市を攻略しろってやつだろ」
「そうだろうか。本当にそれだけだろうか」
 宙に立つ男の言葉は、その足場と同じくあやふやだ。
 アキラは、背後の友人がどんな顔をしているか振り返りたく思ったが、男から目を離すことはできなかった。スーツ姿の男は、青みがかった灰色の目で彼らを見つめる。
「ともあれ、知りたいことはわかった。今日はこれで失礼しよう」
「待てよ!」
 ここまで言われて逃がすわけにはいかない。アキラは手を上げると、先ほどシェラにやったように、男との重力を入れ替えようとした。しかしその瞬間、ひゅっと頭上で空を切る音がする。
「アキラ!」
 カイの手が後ろからアキラを強く引く。同時になにかが顔の前を通り過ぎていった。
 風だけが切るように鼻先を撫でていき、アキラの体はぞっと緊張する。
「また会おう」
 男の声は、やけに遠くから聞こえた。
 そして言葉の通りアキラが空を見上げると、そこにはもう何の姿もなかったのである。