mudan tensai genkin desu -yuki
住宅街へと向かうエリア道は、生誕祭を目前に控えていてもいつもと変わらぬ様相のままだ。
何ものからも取り残されているかのような無音が、整然とした風景を縁取っている。広い車道を通るものはなく、人の姿もまた、長く伸びていく歩道のどこにも見えなかった。
寮へと帰るアキラは薄青紫の空を仰ぐ。彼の肩につかまるシェラは、イヤホンを片耳に差し込みながら、周囲の景色を懐かしそうに見つめていた。その意味に気づいたアキラは得心する。
「そういやここだっけか。お前が降ってきたのって」
「降ってきたって……まぁそうですけど」
「なんかすげー昔みたいに感じる。まだ何日も経ってないんだよな」
それだけの間に変わってしまったものを思って、アキラは苦笑いした。その時背後から軽い足音が駆けてくる。
「アキラくん! みつけた!」
「げ……っ、ミヤ……」
反射的に首をすくめてしまったのは、午後の準備に参加しなかったと、怒られる気がしたからだ。だがこれに関しては、よく考えればミヤには断っていたことである。もっとも彼女からすれば「机に置手紙を貼っていくのは、断ったうちに入らない」ということなのかもしれないが。
アキラは一瞬逃走を考えかけたが、ここで走るとシェラも置き去りになってしまう。覚悟を決めると苦い顔で幼馴染を待った。
息せき切って走ってきた少女は、アキラの前で急ブレーキをかけると、残っていた勢いのまま彼の両肩を掴む。
「ア、アキラくん!」
「……なんだよ」
「説明して」
端的な言葉は、実際もっともな要求だ。アキラは昨日のことについて、まだミヤに何も説明していない。彼女が生誕祭準備で忙しいのをいいことに、適当にはぐらかしたままなのだ。
今日もどうせ彼女は、門限近くまで学校にいるのだろうと踏んでいた。そうして弁解を後回しにしようとしていたアキラは、しかし結局は希望に反して捕捉されてしまっている。
色々と手遅れ感を感じて、彼は歩道にあるベンチを指さした。
「ま、とりあえず座れよ。お前、倒れそう」
「ず、ずっと走ってきて……」
「普段ポートでばっか移動してるからだ」
ミヤは素直にベンチへ移動すると、通学バッグから水のボトルを取り出した。彼女がそれを飲んで一息つく間、アキラは空を仰ぐ。今日の色は薄い青紫だ。明度が落ちているのは夕暮れが近いからだろう。白い空などめったに見られない。
宙を漂うシェラが、気づかうように彼を見つめた。
「大丈夫ですか?」
「平気平気」
「アキラくん?」
空にむかって独り言を吐く彼に、ミヤは不安げな目を向ける。二人の少女から同時に心配を含んだ視線を投げかけられ、アキラはまるで正気を疑われているような、釈然としない思いを味わった。彼は顔の前で軽く手を振ると、ミヤに向きなおる。
「あー、昨日のこと? だろ?」
「そうだけど……。アキラくん、どうして逃げるの? 助けてくれたんでしょ?」
「助けたなんておおげさなもんじゃないって。公園でお前が寝てるの見つけたから、起こしただけだろ」
「なんでわたしに嘘つくの?」
即座に返された問いには、とがめるような響きは含まれていなかった。ただ純粋に不思議でしかたないというもので――そのことがかえって、アキラにはこたえた。
黙ってしまった彼を、ミヤはまっすぐに見上げる。
「わたし、学校の中で声かけられたよ。『外で子供が転んで泣いてるから、治療シート持ってないか』って。それで、その人についてって……あとは覚えてない。でも公園になんて行かなかった。わたし、どうなってたの?」
「何もされてない。気絶させられてただけだ」
「アキラくん、知ってること教えて」
彼女の目は真摯だ。
昔子供だったころ、よく「どうして?」と聞かれたことを、アキラは思い出す。
今でこそ彼をたしなめがちなミヤは、かつては彼の後をよくついて回る、疑問屋な子供だったのだ。だからアキラは、中学生になるまで彼女を妹のように思っていた。
彼の中のミヤが妹ではなくなったのは、彼女が明るい性格と愛らしい容姿で、周囲から注目を浴び始めてからのことだ。そのころから感じていた距離は、けれどミヤにとっては初めから存在しないものだったのだろう。腐れ縁がここまで続いたのは、クラス分けなどの妙を除けば、彼女が変わらぬ態度で彼に接してきたからだ。少なくともアキラは、自分の方から彼女との関係を保とうとはしてこなかった。
自分にむけられるその親しさを、わずらわしいと思っていたことは確かだ。
だが今アキラはそれを、ありがたいとも思う。彼女との間にある固い信頼は、なかば以上彼女が築いてきてくれたものだからだ。アキラはもう一度空を見上げると、そこに漂う少女に問うた。
「これ、別の人間に事情話したらペナルティとかあるのか?」
「それは……ないと思いますが」
「ならいいか。いいよな?」
「アキラくん、さっきからどうしたの?」
ミヤはいぶかしげに首を傾げたが、シェラの方は黙って頷いた。契約者の了承を得て、アキラは幼馴染を見下ろす。緊張はない。気負いも特には感じていなかった。
「どっから話すかな……。最初から順番でいいか」
「アキラくん?」
「まあちょっと聞けよ。本当の話なんだからさ」
落ち着いた彼の声音に、ミヤもなにかを感じたらしい。すっと居住まいを正した。
アキラはもう一度空を見上げる。あの日、降っていた予定外の霧雨が、脳裏で鮮やかによみがえった。
「実はお前に変な杖もらった日のことなんだけど――」
まるで唐突だったシェラとの出会い。
アキラはそこから、今日までのことを一つずつミヤに話していった。
他の人間が相手であれば「荒唐無稽で信じられない」と言い捨てられただろう。
だがミヤは、全てを聞き終わるとあっさりうなずいた。
「そっか……大変だったね、アキラくん」
「そ。だからまだこれからも大変なんだよ。って飲み込み早すぎるだろ!」
「アキラくんが嘘ついてるかどうかくらい、すぐわかるよ」
「いや、そりゃそうだろうけど。お前、懐大きいな」
「そりゃおっきいよ! 毎日牛乳飲んでるしね!」
「胸には反映されてないけどな」
言った瞬間、激しく膝上を蹴られた。シェラには耳をつねられる。一方通行でしか見えていないはずの二人に連携攻撃を受け、アキラは無駄口をつつしむことにした。
ミヤはなにもなかったかのように、話を続ける。
「それで、その虚都から来たって女の子、今もいるの?」
「いるよ。すぐそこにいる」
「わたしには絶対見えない?」
「見えない。プレイヤーか代行者でなきゃな」
言いながらアキラは空へと手を伸ばす。シェラはその手を伝うと、アキラのすぐ傍まで下りてきた。長い黒髪が彼の頬をくすぐる。アキラはふとあることを思い出すと、ミヤの脇に置かれている水のボトルを指さした。
「シェラ、それ持ってみろ」
「はい」
さかさまの少女はアキラの腕を軽く押すと、その反動でベンチへとむかう。白い指がボトルに触れ、くびれた中ほどを掴んだ。ミヤが注目する中、シェラはひょいとボトルを胸に抱えこむ。
「え……? 消えた? なんで?」
「シェラが持ったから。なくなっちゃいない。こいつに属したものは、普通の人間には見えなくなるんだ」
アキラは親指で隣の少女を指さす。シェラは苦笑すると、ボトルを元の場所に返した。
今度は突然出現して見えたのだろうそれに、ミヤは大きな目をまんまるにする。
「え、すごい。なにかに使えそう」
「俺みたいなこと言うな。手品はやらないからな」
ボトルを手に取ったミヤは、不思議そうにそれをひっくり返していたが、ひとまず納得したらしい。「へー、そうかあ」とのんびりした感想を述べた。
「それでアキラくんは、その子と一緒に住んでるの? こないだ買い物したのってそれだよね」
「……そりゃ俺にしか見えないんだからな。じゃないと面倒見られないだろ」
「ふーん」
「なんだよ」
声音に棘が感じられるのは気のせいだろうか。
探るような目で見上げてくる彼女の思考は、いまいち不透明だ。アキラは若干の居心地悪さを感じたが、いまさら嘘をつく意味はない。
やってきた微妙な沈黙に、アキラはため息を飲み込んで空を見上げた。頭上に戻っていたシェラは、彼を見てやわらかく微笑む。アキラはつられて微苦笑した。
「ね、アキラくん」
「ん?」
ミヤの呼ぶ声に、アキラはあわてて表情を戻す。
続いていく青信号を眺める彼女は、いつになく不安げな目をしていた。
「生誕祭にその子と空塔にのぼるんだよね? 大丈夫?」
「たぶんなんとかなるだろ。塔内の移動はポートだっていうし。階段じゃなくてよかった」
「全部階段だったら、空塔管理部の人はみんなマッチョだよ。って、そういう話がしたいんじゃなくって!」
彼女は大きく首を横に振った。
「アキラくんは、それが終わったら虚都にいってみようとか、ひょっとして思ってる?」
「へ?」
――そんなことを考えたことはない。
ただ、「シェラを一人で帰すのは不安だ」とは思った。それだけだ。だからと言って自分が虚都に行こうなどとは考えもしなかったし、行けるかどうかさえわからない。なぜそのようなことを聞かれるのか、あっけにとられてしまったアキラに、ミヤは申し訳なさそうな顔を見せた。
「ごめんね。でもアキラくん、よく空を見上げてるでしょ」
「そりゃ見てるけど……別に」
「それ、どうして見てるか、自分で気づいてる?」
ミヤの声は、乾いた歩道の上を砂に混じって流れていくようだ。
普段の彼女のものとは違う大人びた響きに、アキラは思わず息を飲む。
「アキラくん、今でもお兄さんを探してるよね。だから空を見上げてる。鏡面体の向こうになにか見えないかって」
「ミヤ」
「覚えてないかな。初等部のころのこと。アキラくん、言ってたよ。『お兄ちゃんは、違う世界にいったんだ』って」
白い空。
隣には兄がいて、一緒に眩しく光る空を見上げている。
アキラは、その手を握っている。兄の声が聞こえる。
「――考えてたんだ。それで決めた。やっぱり行こうって」
「どこにいくの?」
「違うところ。お前も行く?」
「いきたいけど。みんながこまらないかな」
二人ともがいなくなってしまったなら、きっと皆が困る。母は泣いてしまうかもしれない。
兄はそれを聞いて笑った。
「そうだよな。じゃあお前は留守番してろよ」
「わかった」
「父さんの言うこと聞けよ。母さんを守れよ」
「うん」
「帰ってきたら色々話してやるから」
一度きつく握られた手が、そうして離される。
兄は笑っていた。
そして、行ってしまった。
「アキラ」
白い手が、彼の肩を揺さぶる。
意識のゆるやかな乖離。横を見た彼は、そこに契約者である少女を見た。
急速に現実が戻ってくる。アキラは正面の幼馴染へと視線を戻す。
座ったままのミヤは、少しだけ淋しそうに微笑っていた。
「アキラくん。――終わっても、ここにいてね」
伸ばされる幼馴染の手に、子供だった自分の手が重なって見える。
アキラはその手のひらをじっと見つめると、「……行くわけねえだろ」と呟いた。
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