曲空虚空 20

mudan tensai genkin desu -yuki

「――とははたして、なんであると思う?」
 男の声での問い。それは、今のアキラにはどうしても意味がわからない。
 何を問われているかがわからないのだ。ただ、夢の中の彼は、その質問の意味が理解できているようであった。白い光の眩しさに目を閉じたアキラは、仰臥したまま男に返す。
「俺にはわからない」
「だが君は、知っているはずだ」
「知ってるけど、わからないんだ」
 そう返すしかない。彼は望まれるような答を持っていないのだ。
 男は、小さな失望のため息をこぼす。
「私はもうすぐ、それを知ることになるだろう」
 にじむ哀切は、先の時間に向けてのものなのだろうか。
 アキラは男のために何かを返そうとして、だが結局自分のことだけを口にした。
「俺は、あなたが知ってることを探しに行く」
 そのために、今ここにいる。それを無意味とは思わない。もちろん、男を批難するつもりもなかった。

 白。
 満ちている光に、アキラは兄の記憶を思い出す。懐かしい夢。繋いだ手の感触をまだ覚えている。
「俺は――」
 後悔はない。
 男の声が囁くように「好きにしなさい」と呟いた。

「……っ」
 夢の中から跳ね起きる。
 そうして辺りを見回したアキラは、おぼろげな現実との境界に、自分がどこにいるのかわからぬ不安を味わった。
 白い空は見えない。今はまだ真夜中だ。天井ではシェラが布団にくるまって眠っている。
 アキラは肩で息をつくと、枕元の時計で日時を確かめた。
「なんだ……まだ今日か」
 おばけビルでマティルドと戦ってから、時刻はほんの三時間弱しか経っていない。
 あれから気絶したミヤを近くの公園で起こし、女子寮に届けた彼は、部屋に戻るとあらがえぬ疲労にベッドへ倒れこんだのだ。
 布団がかけられているのはシェラのおかげだろう。アキラは、きちんとシャワーを浴びて着替えたらしき少女を見上げた。安らかな寝息を立てている彼女は、マティルドに啖呵を切っていた時からは別人のようにあどけなく、年相応に見える。
 ――起きている時の彼女はできるだけ、強く在ろうと意識しているのだろう。
 管理者の娘ということで、シェラには他のプレイヤーよりもずっと負担がかかっているはずだ。だが彼女は、ゲームに関してアキラに弱音を吐くことはしなかった。理不尽な敵意をむけられても、毅然とした態度を崩さず、他のプレイヤーに向き合ってきたのだ。
 それは、彼女自身の性格のためもあるのだろうが、きっとそれだけではない。そもそもシェラは、システム管理権が欲しいわけではないのだ。姉の治療法を調べたいだけなら、空塔攻略までする必要はない。他のプレイヤーにもそう説いて不戦を結べばいいだけだ。
 にもかかわらず、彼女は当然の目的のように、ゲームを遂行しようとする。そうする理由の一つに、アキラへの誠意が含まれていることを、彼は気づいていた。
「まったく、損しそうな性格だよな」
 苦笑しながらアキラは、彼女を起こさぬよう風呂へと向かう。帰ってすぐ寝てしまったが、明日も学校はあるのだ。汗だけでも落としておきたい。
 着替えとタオルを手にユニットバスへと入った彼は、普段よりも温度を高く設定して、シャワーを浴び始めた。体のあちこちがひりひりするのは、おばけビルでこすったりしたのだろう。体温が上がるに比例して、寝起きでぼんやりしていた頭が、少しずつクリアになっていく気がした。
 だが翌日のことを考えると、いささか頭痛を覚える。
「ニュースにでもなったら面倒だな……。ミヤが黙って引き下がるとは思えないし」
 マティルドとの対戦においては、相手方の代行者に犠牲が出てしまっている。
 アキラたちがおばけビルにいたという痕跡は、できうる限り消してきてはいるが、なにかのきっかけで関係を疑われないとも言い切れない。第一、ミヤへは「なんでもないから、黙っとけ」と強引に言い含めて別れてきたのだ。まず明日になったら間違いなく問い詰められる。アキラは髪を洗いながら、面倒くささに顔をしかめた。
「ま、やるしかねえけど」
 数日後には空塔に上らなければならないのだ。後顧の憂いはできるだけ取り除いておきたい。
 そう思いながらアキラは――このゲームが終わったなら、シェラはどうするのだろうと、ふと考えた。
 治療法について調べたことを持ち帰るのだから、当然虚都に帰るのだろう。
 だがそれから先はどうなるのか。学校にも行っていないという彼女だ。きちんと支えてくれる人間はいるのだろうか。父との関係はどうなるのか。他のプレイヤーに恨まれたりはしないのか。
 早々に退場させられたスガなどは、送還された虚都でシェラの動向をうかがっているかもしれない。その結果もし報復が行われたりなどしても、アキラにはもうどうすることもできないのだ。彼女に手は届かない。空を越えるすべを、彼は知らない。
 刻々と色を変える鏡面体。明確な境界線について考え込んでいたアキラは、我に返ると濡れた頭を振る。
「とりあえず、今だ今」
 あまり先のことまで考えてもしかたがない。
 アキラは壁面パネルに手を伸ばすと、お湯を止める。
 そうして浴室の天井を仰いだ彼は――白い電光を直視した。くらりと、軽いめまいが襲ってくる。
『好きにしなさい。それが君を救うと思うなら』
 男の声。
 聞いたはずもないそれに、だが記憶の底が妙にうずく。
「なんだ……?」
 アキラは片手で顔を押さえて息をつめる。
 だが、不可思議な既視感の正体をいくら探ろうとしても、その声の主が誰で、いつ会ったことがあるのか、まるで夢の中のことにように思い出せなかったのだ。

 生誕祭初日を三日後に控え、夕暮れの街はどこもかしこも高揚した空気に包まれている。
空は澄んだ緑色。繁華街にあるほとんどの店には白い花々が飾りつけられ、生誕祭のちらしを配っているところも多かった。
 午前中いっぱいクラスの準備に参加し、午後から空塔の様子を見にきたアキラは、街灯の柱によりかかって白い塔を見上げる。カイの話では、明日の朝から空塔見学のための整理券が配られるらしい。すでに何人か行列ができているのを見て、アキラは疲れた顔になった。
「これ、どれだけ並ばなきゃだめなんだよ……」
「整理券もらえることになってよかったですね」
「まったくだ」
 本来ならば激しい競争率を誇るという整理券は、カイの伝手で分けてもらえることになっている。そのカイ本人は学園祭の関係で今年は昼の回に参加するらしい。多くを聞かず便宜を図ってくれた友人にアキラは感謝した。
「空塔内部の情報ももらったけど、やっぱわかんないことのが多いよな」
「統制が厳しいそうですからね。最初のポートの場所がわかっただけでもすごいです」
「思ったんだけど、管理部の人間味方に引き込めれば楽勝じゃないか?」
「無理だと思いますよ。管理部職員はこんな話を信じはしないでしょうし、ゲームの性格から言ってもそれには制限がかかっている可能性があります」
「げ……そんななのか」
 どうしたら管理部にまで制限がかけられるというのか。
 しかし制限などなくても、彼らが子供の話を信じてくれるとは思わない。それくらいで聞いてくれるようなところなら、これ程厳重で有名にはなっていないだろう。考え込むアキラに、シェラは微苦笑した。
「あくまで推測ですけどね。ただ人を味方につけるのは無理でも、内部端末に触れられれば情報が引き出せますから、それでなんとかなるでしょう」
「それ、本当にできるのかよ。カイは絶対無理って言ってたぞ」
「できますよ。私、そういうの得意なのです。知っているでしょう?」
 アキラと同様街灯に寄りかかっている少女は、胸に抱えたノート型の端末を指さす。それはここへ来る途中彼女の希望で買ったもので、かなり高機能なものであるらしい。アキラがスキルコントロールの練習などを考えている一方、シェラもシェラで攻略準備をするようだ。彼女は先ほどまで初期設定を散々いじっていた。

 空塔の入り口を確認したアキラは、街灯を離れアーケードへと向かう。その途中、道路の脇には緑色のワゴンが停まっていた。小さな看板を出している車の前で、アキラは足を止める。
「お」
「どうかしましたか」
「パン食べる?」
 たまに学校の敷地内にもやってくるそれは、焼き立てパンの移動販売だ。アキラが手招くと、シェラは興味津々の顔で寄ってきた。さかさまの彼女に、アキラはメニューを兼ねた看板を示す。
「焼きたてメロンパン」
「焼きたて!」
「あ、でもたしか朝もメロンパン食ってたよな。なんか別のものにするか」
 あっさりと意見をひるがえして歩き出そうとしたアキラは、後ろ髪を引っ張られて立ち止まった。見上げるとシェラが必死な顔で彼の髪をつかんでいる。
「いや……そんな一日に何個も食うもんじゃないだろ」
「けど、焼きたてですよ!」
「なんでそんなメロンパンに執着してるんだよ!」
 アキラは思わず呆れ声をあげてしまったが、通りすがりの若い女に異様なものを見る目を向けられ閉口した。これ以上独り言をつぶやく人間にならないよう、苦い顔で注文する。
「焼きたてメロンパン二つで」
 いい匂いのする紙袋を受け取った瞬間、背後でうれしそうな声が上がったのは気のせいではないだろう。アキラは人通りの多い場所を離れ、広い街路のベンチに座る。自分の分を一つ取ると、残りを袋ごとシェラに手渡した。少女は目を輝かせて茶色い紙袋を受け取る。
「あたたかいです!」
「そりゃ焼きたてだしな。冷める前に食べろよ」
「綿菓子みたいにふわふわ! でも外はさくさくですよ!」
「……お前、何しにこっちに来てるんだよ。メロンパン食べにか?」
 最初に食べやすそうだからと選んだものが、ここまで気に入られるとは思わなかった。端末をベンチに置いたシェラは、幸せそうな笑顔でメロンパンに口をつけている。
 アキラはその様子に内心ほっと安心した。物憂げな表情をされるよりも、嬉しそうな方がずっといい。シェラは彼の視線に気づくと目をまたたかせる。
「アキラ?」
「いや。おいしそうに食べるなーって」
 早々に食べ終えたアキラは手を払った。あらためて少女を見ると、彼女は澄んだ目で都市の街並みや行きかう人々を眺めている。大きな黒い双眸にはこの時、アキラの見間違いでなければ、静かな感動がたゆたっていた。少女は彼を見上げて美しく微笑む。
「アキラ、おいしいってすごいことですよ」
「そりゃよかった」
「私、この世界に来てよかったです」
 目を閉じたシェラは歌の一節を口ずさむ。それは日常の幸せを謳うニーナ最後の曲だった。