mudan tensai genkin desu -yuki
おばけビルとの通称で呼ばれる廃ビルは、数年の放置の後、最近解体工事がはじめられたばかりである。高い建物に挟まれた敷地は、そのため今はぐるりと工事用の塀が囲んでおり、建物自体は灰色のネットでくるまれていた。
シェラとともにその白塀の前に立ったアキラは、黒いシルエットのビルを見上げる。
空はすでに夜の領域をしめす群青色だ。街中を照らす無数の明かりも、二人のところまではわずかしか届かない。塀の向こうに見えるクレーンが、青白い街灯の光を反射して重い存在感を放っていた。
「どこから入りますか?」
「工事の人間が使う出入り口があるだろ」
今日の分の解体作業はもう終わっているらしく、中からは何の音も聞こえてこない。いったん寮に帰り、動きやすい黒の上下に着替えてきたアキラは、塀にそって外周を歩き始めた。
彼にならってTシャツとレギンスに着替えたシェラが、一つに編んだ髪を揺らして塀の中を仰ぎ見る。
「シェラ。あまり上にいくな。ビルから狙われるかもしれない」
「はい」
もともと建設途中に何かの事情で工事が中断されたそこは、途中の階からは鉄とコンクリートの柱が組まれているだけで、壁がない吹き抜け状態のままだ。真っ暗に見えるビルのどこにあの女がいるのかはわからないが、用心しなければ向こうからの目視はたやすいだろう。
シェラは体育座りをするようにして膝をかかえると、アキラの肩につかまる。
「マティルド・ウジェは手段を選ばない人間です。切れ者ではあるのですが、感情的で自分の利益を何よりも重視します」
「かなり性格悪そうだった」
問題の女についてアキラがその特徴を教えたところ、彼女はやはりシェラとは顔見知りの人間であった。
マティルド・ウジェという名の女は、華やかな容姿と有能な手腕で知られているそうなのだが、以前から一皮めくれば黒い噂もつきまとっていたらしい。
事実今回も人質を取るという手段を取った彼女に、アキラは激しい苛立ちを覚える。
「こっちも遠慮しないでしばき倒してやる」
「私もそのつもりでいます」
塀の中に小さな通用ドアを見つけたアキラは、ドアノブに手を伸ばした。不思議なことにロックはかかっておらず、カチャリと音がしてドアは内側に開かれる。敷地内に照明はついていなかったが、街灯からのとぼしい明かりで、砕かれたコンクリートの山が見てとれた。
「それにしても、あの腕のスキルはなんなんだろうな。他のやつらにも見えてたみたいだけど」
「……あなたが見たのは、男の腕だったんですよね?」
「たぶんな。筋肉とかはあんまりなかったけど」
それに関してはアキラも人のことは言えない。スガとやりあった後、筋肉痛にならなかったことがせめてもの救いだろう。
彼は、コンクリートの山のそばを抜けると、建物内に入るため手近なネットをくぐる。シェラの手を引いて華奢な体を引き込むと、考えこんでいたらしい彼女は顔をあげた。
「おそらくそれは、使用者の腕を武器として変換するスキルです」
「使用者の腕を?」
「昇降口前にいた男は片腕をかばっていたのでしょう? その時本当に男に腕があったか見ましたか?」
「え?」
言われて考えてみれば、袖口から覗いているはずの手までは見えなかった。アキラは気味の悪さに口元を押さえる。
「いやでも、腕の部分はちゃんと膨らんでた、と思う」
「服の中に詰め物をしてあったのでしょう。他の人間にも見えたということは、この世界の物質として構成されているからだと思います」
「ってことは、あいつが代行者で決まりか」
「ええ。きっと」
「どういう神経であんな女の代行者やってるんだよ」
人を人とも思わぬマティルドは、どのような甘言を用いて代行者と契約したのか。理解できないとかぶりを振るアキラに、シェラは苦い息をついた。
「これは可能性の問題ですが……契約はかならずしも両者の同意が必要なわけではないのです。相手の体に触れ、コマンドが終わるまでの間、動かなければ契約は完了します」
「へ。それでいいのか」
「ええ」
意外な話にアキラは思わず口元を押さえた。
たしかに思い出してみれば、会ったばかりのシェラは、なんの断りもなしに額に触れてこようとしたのだ。
だがその後スガが現れてからずっと、彼女はどこかしら遠慮がちであった。おそらくシェラは、代行者をプレイヤー間の戦闘に巻き込みたくはないのだろう。今も表情を曇らせたままの彼女に気づくと、アキラは軽く手を振ってみせる。
「気にすんなよ。俺は少なくとも説明聞いて納得してるしさ。相手の男もそうかもしれない」
「ですが……」
「そうじゃないならラッキーってことだろ。あの女に納得づくで従ってるんじゃないなら、向こうの代行者はこっちの味方になるかもしれない」
シェラを安心させようときっぱり言うと、少女は一瞬目をみはり、そして微笑んだ。花がほころぶような笑顔に、不意をつかれたアキラは絶句する。心臓の跳ねる音が聞こえた気がした。
「あー……と、とにかく、気をつけていこう」
「ええ。ミヤさんを無事に取り戻して、マティルドの権利を剥奪します」
幼馴染の名を聞いた彼はすっと表情を消す。
あれから大勢に聞いて回ったところ、どうやらミヤは訪ねてきた男に何かを話しかけられ、二人で校舎の外へ出ていったらしい。 男がどのように彼女を言いくるめたかはわからないが、お人好しで人の頼みを断れないミヤだ。さして相手を疑うこともなくついていったのだろう。そうして彼女はいつも人の中心でいつも笑っていたのだ。
アキラはにじみ出そうな感情を抑え、わざと明るい声で言った。
「まったく、小学生だってもうちょっと疑り深いっつーの」
「私は、彼女のそういったところは長所なのだと思います」
まるでミヤをよく知っているようなフォローの言葉に、アキラは苦笑するに留める。
彼は持ってきたペンライトを取り出すと、それで暗いビル内を照らした。瓦礫と埃だらけのがらんとしたフロア内。奥に上へとのぼる階段が見える。アキラは慎重に気配を探りながら、階段に向かって歩きだした。シェラの指が彼の服をひっぱる。
「トークをいれます。いいですね?」
「ああ」
マティルドとの一件を話した際に教えられた「トーク」とは、プレイヤーと代行者の間で使えるテレパシーのようなものらしい。離れていても、口に出さずとも、相手とやりとりができる力。おそらくそれを使ってマティルドは、男にミヤのことを教えていたのだ。
トークについて聞いたアキラは、なぜ今までそれを使おうとしなかったのかシェラに尋ねたが、対する彼女の答は困ったようなものであった。というのもどうやらトークを使っていると、伝えるつもりのない思考も相手に届いてしまったりするらしい。そういったことに慣れていない彼へ、シェラは今まで配慮してくれていたのだろう。
しかし今回は細かいことを気にしていられる場合ではない。自らトークを使いたいと提案したアキラは、おかしな雑念が伝わってしまわないよう改めて気を引き締める。後ろから少女の繊細な両手が伸びてきて、彼の耳の後ろに触れた。
ぞっとするような感触。やわらかい温度にアキラは息を止める。透き通る声が宣言した。
「コマンド・トーク……オン。タイム、10800SEC」
一万八百秒、三時間の制限。それは彼らが事前に話し合って決めた時間だ。この間にマティルドたちを倒し、ミヤを連れて戻る。
失敗は許されない。今回の衝突には自分たちやミヤだけではなく、大局的には都市の存亡そのものがかかっているのだ。
(聞こえますか、アキラ)
「ああ。って、こっちからも喋らないで通じるのか。難しいな」
(すぐに慣れます)
アキラはペンライトをシェラに渡す。自分は服の中から伸縮式の警棒を取り出し、それを伸ばした。途中の店で買ってきた警棒は、軽くはあるがかなりの強度があるらしい。アキラはニ、三度素振りをして感触を確かめる。
(いけそうですか?)
「たぶんな」
フロア奥にたどりつき、階段の一段目に足をかけたアキラは、わずかな物音も聞きもらさぬよう口を閉ざした。彼はそうして強い意思を持って、一言だけシェラに送る。
(──俺は、お前を信じてる)
そう伝える彼は、今回のゲームについて彼女と交わした会話を思い出していた。
「シェラが管理者の娘って本当か?」
それは寮に戻った際、アキラがまっさきにシェラへと確認したことだ。
聞かない方がいいだろうかとも思ったが、これを確かめないままでは、後々自分たちの協力関係に障ってくる気がする。実際シェラの目的である姉の治療法について、アキラは現状、じゅうぶんな成果が得られたのかどうか、まったく把握できていないのだ。
もちろんシェラは、データベースを調べて「知りたいことはわかった」と言った。本来一般人には完全に解除されることなどない制限をはずしたのだから、都市に属する研究所のデータもある程度は覗けたのだろう。だからこそ当面の課題が空塔攻略にシフトしたのだと、アキラも思ってはいた。
だが、そのように簡単に治療法がつかめるなら――シェラの父親はなぜもっと早く、こちらの世界に来て、娘のために治療法を調べようとしなかったのか。
この疑問を残したままでは、マティルドに集中できない気がする。
部屋の天井に立つシェラは、アキラの疑問に長い睫毛を伏せた。無言で閉じた目を、数秒後ゆっくりと開ける。
「本当です」
「そっか。なんで黙ってたか聞いていいか?」
アキラがあっさりと流したことに、彼女は少なからず驚いたらしい。大きな目を一瞬瞠る。
だがすぐに彼女は深々と頭を下げた。
「すみません。これをお話してしまうと……私を普通のプレイヤーとして見てもらえない気がしたのです」
どこか悲しげな翳は、シェラが家族について語る時に、いつもついて回るものだ。
父や姉に向き合うことを避けていたと言った彼女。マティルドは、シェラが父親の苦労を知りながらこの世界に関わらなかったとも言った。それは彼女が持つ引け目で、出会ってまもないアキラが理解できるようなものではないのかもしれない。契約者との距離をはかりながら、アキラは言葉を選ぶ。
「それ、ゲームの中で優遇が受けられないことに不満持ったり、出来レースだとか疑わないようにか?」
「ええ。ですがそれ以上に、なぜこのゲームが必要なのか、代行者に疑問を持たれたとしても、私は答えられないのです」
大きなため息は、彼女自身への失望を含んでいるように聞こえた。シェラの黒い目が、机の上に置かれた空塔の模型を見上げる。
「私は確かにシステム管理者――ゲーム提唱者の娘です。ですが、私には実質なんの権限もないのです。ゲームでの優遇はおろか、父の真意を尋ねても答えてはもらえません。なぜこのようなゲームをやるのか、私も父に問いかけはしたのです」
少女の口元が自嘲ぎみに歪んだ。シェラはわずかな間をおいて、小さくかぶりを振る。
「ですが、返されたものは沈黙でしかありませんでした。彼の娘であることで私が得られたものは、飛び込みでの参加権利だけです」
「姉貴のためだって言っても、だめだったのか?」
「父はずっと姉のために、システム管理を通じて尽力してきました。その父からすれば、私の行動など、遅きに失したあがきにしか見えないでしょう」
「っつってもさ」
「いいのです。本当のことですから」
微笑もうとするシェラの声音は、少しだけ強張って聞こえる。アキラはそのことに気づくと、彼女の父に対する批判的な言葉を飲み込んだ。少女の唇はぎこちなくも笑む。
「こちらの世界に来る時、父に言われました。私の好きなようにすればいいって。だから、この勝負において私は自由です。――そして、それ以外何もありません」
「シェラ」
「黙っていて、すみません」
さかさまの彼女は、もう一度頭を下げる。
細い体はその時、濡れそぼったように消沈して見えた。アキラは届かないとわかっていながら、天井へ手を伸ばしたくなる。代わりにあげた声には、焦りに似たものが滲んでいた。
「気にすんなよ。優遇なんてあったら、かえって他のプレイヤーに文句言われる」
「でも」
「正々堂々やって勝てばいいだろ。問題ないって」
彼女の家庭の事情を全て知ることはできない。
だが、父親に引け目を抱いてうなだれる必要などないだろう。好きにやれと言われたなら、好きにやればいいのだ。そして結果を出せばいい。
「俺は、シェラが契約者でよかったって思ってる。だから気にすんな。お互い様だろ。他のやつらとかとんでもないやつばっかだし、人質とか本気でむかつくし……」
なにを言えばいいのか、口にすればするほど脈絡がなくなっていく。彼女を傷つけずに慰めたいと、思っているのだが、どうすればいいのかわからなかった。
けれど少女にその思いは伝わったらしい。顔を上げたシェラは濡れた目で彼を見つめた。
紅い唇が彼の名を呼ぶ。
「……アキラ」
「ん」
「私は――」
掠れかけた呟き。途切れた言葉は、アキラの沈黙と入り混じった。机の上の蛍光灯が白くぼんやりとした光を投げかける。
なんとはなしにその光を見つめる彼に、ややあって少女の囁くような声が届いた。
「アキラ。私、きっとあなたに応えます」
見上げた少女は、ひたむきな目をアキラへと向けている。
その目に頷いて、彼はシェラへと手を差しのべた。
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