曲空虚空 16

mudan tensai genkin desu -yuki

 ──シェラが、ゲーム提唱者の、娘であると。
 今まで知らなかったその情報は、アキラに軽い混乱をもたらした。張りつめていた気がたわむ。
「娘って、え? つまり、システム管理者の──」
「そうよ。だから少しの権利もあっては困る。万が一にでもシェラ・ハーディが権限をまるまる相続してしまっては、私たちがこのゲームに参加したこと自体、無意味になるわ」
 芝居がかって広げられた両腕は、アキラに感銘を与えるものでは少しもなかった。女がさかさまであるように、その言葉も水面に映った虚像のごとく揺らめいて感じる。
「彼女は根本的に他のプレイヤーとは意識が違うわ。父親の苦労を知っておきながら、ずっとここに関わろうとはしなかったのだから。そんな人間に何を任せられるというの? 今更後継者面なんて、虫がよすぎるんじゃなくて?」
 優美な問いかけにはしかし、あてつけるような棘がたっぷりとまぶされていた。黒く小さな悪意の棘は、アキラの内心をちくちくと刺激する。
「……シェラは自分を後継者だなんて思ってなかった」
「そうかしら? 彼女はそうでも博士は違うかもしれないわ。もしかしたら他のプレイヤーなど単なる当て馬で、このゲーム自体、最初から娘のためのものという可能性もあるでしょう?」
「それは……」
 シェラの父親ということは、彼女の姉の父でもあるということだ。
 病弱な姉の治療法を探してやってきたシェラ。彼女の父が以前から空塔操作のシステムに関わっていたのだとしたら、なぜもっと早く娘のために手を打とうとしなかったのか。
 アキラはわきおこってくる疑問に捕らわれかけ……だがすぐ我に返った。
 ――シェラが何者であろうとも、彼女を選んだのは自分だ。
 そこに嘘はない。疑いようもない。このようなところで戯言に踊らされては、相手の思う壺だろう。
 アキラは、揺るがないよう自身の気を引き締めなおす。目の前の女に意識を集中し、困惑を思考から追い出した。深く息を吐いた彼の脳裏に、シェラの悲しそうな微笑がよぎる。

 空々しい静寂がその場に満ちる。お互いの腹を探り合いながらの会話は、波打つことはあってもまじわらない平行線のままだ。アキラは譲る気のない目で女をにらんだ。
 彼女は小さく溜息をつくと、音もなく天井に下りる。
「ならこうしましょう。──私に協力してくれるのなら、この都市については保障してあげる」
「保障?」
「このままでいいと言っているのよ」
 高圧的な条件のつきつけを、女は喜ばれるものと信じて疑っていないようだ。ただごくごく自然に彼を下に見ている。
 アキラは沸き起こってくる感情の熱さに、かえって思考は冷えていくのを自覚した。
「……スガは第八都市を潰してやるって言ってたよ」
「私はあの男ほど愚かではないと言ったはずよ」
「でも同種だ。知り合いなんだろ? っていうか今の言い方が納得できない。上から目線で保障してやるとか言って、じゃあ他の都市はどうするつもりなんだよ」
 シェラは、「この世界をどうしようとも思っていない」と言った。それはアキラにとって協力するに足る意志で、だがスガや目の前の女はおそらく違う。彼らはこちらの世界について、都市も人間もどうでもいいものと思っているのだ。そうでなければ都市を潰すと宣言したり、人の首を絞めたりはしない。
 アキラは手の届かない高さに立っている女を見上げる。不吉な黒衣の女は何も答えず、青い瞳を細めて笑んでいた。
「シェラは下りない。俺はあんたには協力しない」
「なぜ? 彼女はあなたに嘘をついているのかもしれないわ」
「だとしても、シェラは俺たちを軽んじないんだよ!」
 姉のために来たと言っていた少女。物珍しげに、嬉しそうに、そして少し淋しそうに街の風景を見る彼女は、きっと根本的に彼らとは違う。だからこそ彼らがシェラを排斥したいというのなら、決してそれに屈してはならない。
 自分の肩にこの都市の存亡がかかっているのかもしれないという事実は、天井に立つ女を目前にした今でもまったく現実味がない。これが妄想で済むのなら、その方がいいと断言できる。
 だが残念ながら、これは夢でも妄想でもないのだ。アキラは女への苛立ちを原動力としてその場に踏み止まった。
 もし女が未契約のプレイヤーであるならば、スガと同じく道具を介しての攻撃は効かない。代行者がいるかどうかは物で殴ってみれば判明するだろうが、周囲には女に届くような長さのものは見当たらなかった。
 ならばスキルをどう使うか。それが鍵だ。考えなければ突破口はない。なにしろアキラに与えられたスキルは──
「チェンジリング。今回振られたスキルの中でもっとも特殊かつ無力なものね」
「……げ」
「別に心を読めるわけではないわ。単にあなたの表情がわかりやすいのよ。ただね」
 女の舌がちろりと唇を舐めた。
「──代行者を殺しても意味はないの」
 背筋が凍った。
 スガの時とは違う、しなる鞭のような冷ややかさ。邪魔だという敵意を隠していない声音はひどく優雅で、その分ぞっとした。
 アキラはベランダへのドアを確認する。
 宙に浮く腕はまだ戻ってきていない。あれがたぶん女のスキルで武器だ。首を絞められた人間がいるという話もその証拠だろう。アキラは自分の喉を手で押さえる。
「なにが無意味なんだ?」
「代行者が死ねば、スキルコードはプレイヤーに戻るわ。もちろんその分のロスはあとで成績に反映されるだろうけど、シェラ・ハーディが権利を喪失するわけじゃない」
「……よくわかんないけど、そこまで聞いてシェラを呼ぶ馬鹿はいないだろ」
 むしろ代行者もなく一人でいるのは女の方だ。ここで彼女を下すことができれば、それが一番だ。アキラはスキルを行使するために右手を上げて女を指す。
 だが肝心の宣言をする前に、女は天井を蹴ってベランダへのドアの前に立った。開いたままのドアに足をかけ、はじめと同じ嘲笑を見せる。
「夜まで待ってあげるわ。シェラ・ハーディと一緒に、エリア十三の廃ビルまで来なさい」
「おばけビルに?」
 高校生の間では割合有名な、現在取り壊し工事中のビルの通称をあげると、女は首肯した。
「素直に来れば、お前が大事にしている人形はちゃんと返してあげる」
「人形って」
 そんなものは一つも持っていないはずだ。虚を突かれたアキラが心当たりを考えようとした隙に、女の姿は外へと消えた。
 アキラはあわててベランダへと飛び出す。すばやく空を仰いだが、そこにはすでに薄い緑色の空が広がっているだけだった。
「なんなんだよ。人形?」
 自室にコレクションしているミニチュアやジオラマの中に、そういえばごくごく小さい人形がいくつか含まれていたかもしれない。だがそれのことだとしたら、壊されても悔しくはあるが、背に腹は変えられないだろう。
 アキラはあたりに注意を払いながら、もう一度昇降口の前を覗きこむ。
 先ほどまでそこにいた、怪しい男はもうどこにも見えなかった。

 廊下にいた美術部員たちは、アキラの下手な言い訳にかならずしも納得したわけではなさそうだった。
 だが非常に忙しい時期でもあるため、「もう終わったから。なんでもない」と念をおせば、それ以上は拘泥できなかったのだろう。おのおの展示準備へと戻っていく。
 しかし、彼らへのごまかしが通用するのも、「手だけの幽霊」について話が広まるまでのことかもしれない。二階へと階段を下りるアキラは、予想したくない未来に頭痛を覚えた。
「そんな噂とセットで目立つとかマジかんべんだっての」
 もしもそのようなことになったなら、今まで彼が立っていた平穏で平凡なポジションもむざんに崩れさってしまう。霊感人間などと言われだしたら目もあてられない。
 不穏な想像をしつつアキラが元の階に戻ると、シェラは教室前の廊下でおとなしく待っていた。落ち着かなげに窓に寄りかかっていた少女は、彼の姿を見るなり宙を泳いでくる。
「アキラ!」
 叫ぶ彼女にまず手をあげて応えると、アキラは声をひそめた。
「他のプレイヤーを見つけた」
「ああ……」
「それで俺も見つかった」
「え?」
 一瞬きょとんとしたシェラは、だがみるみるうちに青ざめた。心配そうにアキラの全身を見回す。
「大丈夫だったのですか?」
「とりあえずは。軽く決裂して脅されたけどな。人形が惜しければシェラをつれておばけビルまで来いって」
「人形? って……」
「俺のミニチュア壊されてたら怒るぞ」
 冗談めかして言ってはみたが、シェラの表情は晴れない。
 アキラが続けて女の特徴を口にしかけた時、教室の戸が軽い音をたてて向こうから開いた。ついさっき彼を追い立てた女子が、アキラに気づくと眉をよせてにらんでくる。
「なんで一人なのよ。テープは?」
「ミヤが持ってきただろ」
「まだ帰ってきてないってば。先に戻ってくるならテープ持ってきてよね、もう」
「は?」
 ──ミヤはずっと前に校舎に入っていったはずだ。
 あれからアキラが謎の女と話していた時間も考えると、いくらなんでも戻っていないはずがない。彼の背筋は本人が意識するより先にすっと冷えた。
「……どこかで寄り道でもしてるんだろ、きっと」
「なにそれ。じゃあ早く受け取ってきてよ。テープいるんだから」
「わかったよ」
 感情のない声で言い捨てて、アキラはきびすを返す。彼の肩にシェラが急いでつかまった。
「アキラ。その人形って……」
「違う。俺は上から見てただけだ。ミヤとはなんの話もしてない。あいつはちゃんとこっちの校舎に入っていったんだ」
 ──だから、あの女に自分とミヤとのつながりなどわかるはずもない。
 そう思いながらも、不安をぬぐえないのはなぜなのか。
 階段を下り、昇降口まできたアキラは周囲を見回す。しかしそこにミヤの姿は見えない。あの若い男もいない。準備に奔走する生徒たちが行き来しているだけだ。
 活気づいている校舎内。唾を飲み込む口内はからからと乾いていた。アキラは他の教室を覗きながら、幼馴染の姿を探して戻りはじめる。右肩につかまるシェラが左右を必死に見回した。
 アキラは混乱しかけた記憶をたどる。
「……あの女は、きっと上から探してたんだ。昇降口を確認するやつがいるかどうか……」
 そうして金髪の女はアキラを見つけた。ベランダから乗り出して怪しい男を見張る彼は、空から見ればじゅうぶんに目立って怪しかっただろう。けれどアキラが反応したのは怪しい男に対してだけではない。帰ってきたミヤを見た時もまたそうだったのだ。
 アキラは階段をのぼり、全ての教室を見て回る。顔色も悪く険しい表情の彼を、すれ違う生徒たちは驚いた目で見やった。だがそれにかまわずアキラは次の教室を覗く。
 彼女はいない。探しても見つからない。
 アキラは重い足取りでクラスの前に立った。
 思えば宙を漂うあの腕は途中から消えたままだった。そして男もまた、最後に見たときにはいなくなっていたのだ。可能性を疑いはじめれば、途端に不穏な要素が思考を駆けめぐる。焼きついたナンバーがうずく気がして、アキラは前髪の上から右手で額を押さえた。
「まさか、そんなわけないだろ」
 ミヤは人間だ。人形ではない。アキラはそう断言できる。
「ここ学校の中だぞ。そんな馬鹿な話あるかよ……」
 肩をつかむシェラの指に、きつく力がこめられる。
 突然ふりかかってきた理解不能な事態。
 気を抜いたアキラを嘲笑うかのように、ミヤは夕方すぎになっても戻ってこなかった。