mudan tensai genkin desu -yuki
たいして広くもない教室内には、大道具を作る金槌の音が鳴り響いている。
生誕祭で披露する創作劇の準備は、四日後の本番を前にすっかり佳境に入っていた。制服の上着を脱いだだけの格好で、アキラは看板の作成に向かっている。
ペンキ缶を片手に持った彼の頭上では、昨日買った服に着替えたシェラが、物珍しげに教室内を見回していた。黒いブラウスと生成り色のシフォンスカートは、上下反転していることを除けば彼女を普通の少女のように見せている。
アキラはペンキ缶を揺らしつつ、隣で同じ作業をしているカイを見やった。
「ってわけなんだけど、知ってる?」
「空塔の端末なんて、外には繋がってないよ。あたりまえだろ」
「だよなー……」
呆れたような声での答は、なかば予想していた通りのものだ。天井に座って作業を見ていたシェラも、お手上げとでもいうように小さく両手をあげて見せた。
軍手越しにハケを動かすカイは、ていねいに看板のふちを塗っていく。
「どうしたんだよ急に。空塔はセキュリティ上、どこからも切り離されてるよ」
「いや、そうじゃないかとは思ったけどさ」
「なんでそんなこと聞くわけ?」
カイの疑問は追及というほどのものではなかったが、本当のことを言えないからといって無視するわけにもいかない。アキラはとっさに言い訳を考えた。
「あー、ちょっと、そう、自分で模型を作ろうかと思ってさ」
「模型? アキラが?」
「そうなんだよ。それで、えーと、空塔のことをもっとよく知ろうと思って。できるだけリアルに作りたいんだ」
自分でも苦しい言い訳だと思ったのだが、アキラのミニチュア収集癖を知っているカイはそれで納得してくれたらしい。しゃがみこんで下の方を塗りつつ頷いた。
「なんだ。だったらおれが持ってる資料コピーしてあげるよ。一、二階フロアだけだけど中の写真も撮ってあるし」
「写真? 自分で撮ったのか?」
「そうだけど」
「そ、それ、どうやって中に入った!」
空塔に普通の高校生が入ることなど不可能だ。
それはもう常識だと思っていたアキラは、思わぬ話にハケを持ったまま両手でカイの肩をつかんだ。友人の予想外な行動に、カイは口をぱくぱくとさせる。
「どうやってって……並んでだけど」
「並べば入れるのか? そういうものだったのか!」
「普通の日には入れないって」
「は?」
いまいち飲み込めないアキラに対し、カイは「ほら」黒板に書かれた文字を指さす。そこにはミヤの字ででかでかと「生誕祭まであと四日!」と書かれていた。
「あんまり一般には知られてないみたいだけどさ、生誕祭中には空塔の中を見学できるんだよ。もちろん上まではあがれないけど」
「……まじで?」
「まじで」
それは願ってもみない好機だ。アキラは真上にいるはずのシェラを探して見上げる。
彼女も聞いていたのだろう。すぐ横にまで下りてきていたシェラは、アキラの手元を見て大きな目を瞠った。
「あ、ペンキ……」
「へ?」
カイの肩を掴んでいる手。その手に一緒に握られているハケから、赤いペンキが垂れてくる。とろりと手を伝ったペンキは止める間もなくカイの肩とアキラの袖口を汚し――次の瞬間教室内には、二人の叫びが重なって響いた。
「犠牲は大きかったが、重要な情報が手に入ったな」
「払わなくていい犠牲だった気もするのですが」
「やかましい」
頼まれたボンドやテープなどを購買で買いこんだ帰り道、ジャージに着替えたアキラはシェラと二人で校内の廊下を歩いていた。
ペンキで汚れた二人のシャツは、ミヤがその場で洗いに走ってくれたが、まだ乾いてはいない。カイも今ごろジャージ姿で作業の続きをしているだろう。
アキラのすぐ上を漂うシェラは、今日も片耳にイヤホンを挿している。昨日帰ってから部屋にあったディスクの分も、音楽プレイヤーに取り込んでやったのだが、彼女はよほどニーナの歌が気に入ったらしい。寝る時以外はプレイヤーを手放そうとはしなかった。
出会ってからまだ三日、つかみ所のない少女をアキラは見上げる。
「それにしても絶好のタイミングだよな。生誕祭に空塔見学があるなんて知らなかった。ひょっとして、そっちの勝負もこれに時期をあわせたのか?」
アキラの疑問は、たいして含むところのない単なる思いつきだ。
だがそれを耳にしたシェラは、彼が初めて見る表情を浮かべる。
僅かに歪んだ、苦しげな貌。小さな唇の両端が自嘲ぎみに上がり、そこに影が落ちた。
「時期をあわせたわけじゃありません。単なる……偶然です」
「そっか」
アキラは彼女の変化に気づいたが、気づかないふりをして頷いた。よくはわからなかったが、そこに触れるべきではないように思えたのだ。彼はビニール袋を手元で振る。
「けど、生誕祭に決行ってすると、四日後になっちゃうけど大丈夫か? 早くクリアした方が権限強くなるとかあるんじゃないか?」
「たぶん平気だと思います。他の来訪者は、代行者を見つけるまでにもっと時間がかかるでしょうから」
「そうなのか?」
――シェラなどは、落ちてきてすぐ見つけた自分と契約したのだ。他の来訪者もたいして時間をかけていないのではないか。
そう思ったのが顔に出たのか、少女はアキラを見てくすりと笑った。
「私は、多少狙ったとは言え、単なる幸運です」
「幸運?」
「言ったじゃないですか。あなたは高い素質があるって」
先ほどのかげりなど微塵もうかがわせない笑顔。悪戯っぽさを含んで片目を閉じるシェラに、アキラは自分の視力の強さを思い出す。
「そういやそうだっけ」
とは言っても、自分では他者との感覚の違いなどわからない。
アキラは試しに手で右目を塞いでみた。片方だけになった視界の隅に、少女の黒髪がふわふわと揺れて見える。
「でも、シェラも俺を選んだのは偶然なんだろ? 視力なんて契約した後はそんな役も立たないし、適当に選べば時間はかからないんじゃないか?」
「適当に選びたくとも、私たち来訪者が見える人間の割合というものは、全体の一割にも満たないのですよ」
「え、そんな少ないのか?」
「ええ」
一割以下と言えば、一クラスに三人いるかいないかだ。今までずっと普通で目立たない生き方をしてきたアキラは、自分が思わぬ位置に立っていたことに唖然とする。
そんな彼の顔を、上からシェラが覗き込んできた。白い手が伸ばされ、両側から彼の頬を包みこむ。
「その一割の中でアキラはさらに強い感覚を持っている……あなたは、自分で思うよりずっと特別なのです」
囁きかける言葉。水晶を思わせる澄んだ声は、身を引きかけたアキラを留める。
そのまま深く染み入ってくる響きに、ナンバーの焼きつけられた額が熱く疼いた。触れられている場所に、ぞっとするような痺れが走る。
足もとの覚束なさ。アキラは目の前の少女に飲まれて、黒い瞳を見返した。
「……俺は、普通がいい、んだけど」
「そうですね」
かろうじて声を搾り出すと、シェラは笑って手を離す。とたんアキラの周囲にはいつもの現実が戻り、体が浮き上がっていってしまうような錯覚が消え去った。アキラは確かめるように廊下の白い床を軽く蹴る。
「狙ったって何?」
「え?」
「さっき言ってただろ。代行者を見つけるのに、多少狙ったって」
「ああ……」
納得の声を上げるシェラは、少しだけ高度を下げた。右手を大きく開くと、幼児のお遊戯のようにひらひらと振る。
「あなたあの時、光を出していたでしょう?」
「光? って、ああ、杖か」
そう言われてみればあの時、ミヤに渡されたおもちゃの杖を空にかざしてみていたのだ。先端につけられた銀色の星が、空からの光を反射していたことを覚えている。
アキラはそこまで思い出すと、少女を見下ろした。
「それだけ?」
「それだけです。ああいう変わったことをやるのは適応者が多いですから」
「そんなの誰だってやるだろ……ミヤとか特にやりそうだ」
「彼女はやらないと思いますよ。あ、あなたに感化されてたらわかりませんが」
「俺に原因を押しつけるな」
アキラからすると、ミヤの方がずっとフットワークの軽い性格をしているのだ。アキラが苦い顔でにらむと、少女はまたふわりと天井へ戻っていった。
手が離れても残る熱。それを熱いと思う理由は、彼自身よくわからない。
きっとたいしたことでもないのだろう。もともとの五感が強いから――きっとそんな理由だ。
そうしているうちに教室の前まで戻ってきたアキラを、廊下に出ていたミヤが出迎える。
「おそいよ!」
「悪い悪い」
差し出された手に、アキラは白いビニール袋を渡す。ミヤは「ありがと!」と笑ってそれを受け取った。彼女は中を覗きこんでレシートを取り出す。
「あとで決算申請するから……って、黄色のビニールテープは?」
「あ、忘れた」
色々頼まれたのとメモを取らなかったのとで、漏れがでてしまったらしい。アキラがあっけらかんと答えると、買い物を頼んでいたミヤは頬をふくませた。
「もー! アキラくんに頼んだわたしが悪いんだけど!」
「よくわかってるな。ごめん」
「次はメモ作って渡すからね! 今はわたしが買ってくる!」
言いながら彼女はアキラの脇をすりぬける。その時、教室のスピーカーから呼び出しの放送が流れた。ぴんぽんぱんと間の抜けた音の後に、機械的な音声が続く。
「――呼び出しの連絡です」
教師や生徒を呼び出すその放送は、生誕祭準備期間中にしばしば流れるものだ。教室内のざわめきが少しだけ落ち着く。アキラはそれに構わず中に入ろうとした。
「校内で作業中の、シェラ・ハーディさん。シェラ・ハーディさん。お客様がいらしています」
「……は?」
アキラは反射的にスピーカーを仰ぎ見たが、呼び出しは幻聴ではないようだ。「第二校舎昇降口まで来てください」という締めくくりに、浮いていたシェラと顔を見合わせる。
「同名の別人なんてことは……」
「ないでしょうね」
このタイミングで、姓まで一緒ということはまずあり得ない。そもそもそんな名前の人間がいたなら、今まで一度くらい話を聞いていてもおかしくないはずだ。アキラは声を潜めて問う。
「ってこれ、まさか他のプレイヤーか?」
「おそらく」
「敵?」
「わかりません」
味方であるなら会いに来る意味がわからない。そもそも姉のために参加した彼女は、プレイヤーの中でも異端児的な存在なのだ。その彼女を名指ししてきた人物の狙いは何か、アキラはよくない予感に息を飲む。
「……無視するか」
「そうできたらいいのですが」
「まずいか?」
独り言を繰り返しているせいか、近くにいた女子生徒が振り返った。
「ミヤのこと? 一緒に行ってあげればいいじゃん」
「え、いや」
「どうせ色々買い出すんだから、荷物持ちくらいしなさいよ」
「あー、俺今ちょっと……」
ミヤの姿は既に見えない。行動の早い彼女は、さっさと購買に行ってしまったのだろう。
そして彼女を追うには、呼び出されている第二校舎昇降口を通らなければならないのだ。
アキラの煮え切らない態度に、級友の少女はかえって目をつりあげた。
「いいから早く行きなさいっての!」
蹴り出されそうな剣幕で、彼はぐいぐいと廊下に押し出される。背後で大きな音を立ててドアが閉められると、アキラはげっそりとした顔で振り返った。
「まったくなんなんだよ……。シェラ、挟まれなかったか?」
「なんとか」
アキラが追い出されるのにあわててついてきたシェラは、ドアの合わせ目から髪先をそっと引き抜いた。
「彼女の買い物を手伝いに行きますか?」
「それするとたぶん、呼び出した人間とはちあわせになるって」
「ですが相手は、私たちがこの学校にいるということまで突き止めています。このまま放課後まで待ち伏せされるかもしれません」
「あー」
どうして学校が割れたかはわからないが、少なくとも相手はシェラのことを知っているのだ。ここで無視して、後から不意を突かれでもしたら困る。せめて相手の顔を見ておくことくらいは必要だろう。アキラは自分の肩につかまっている少女を見上げた。
「シェラ、ちょっとこの辺にいろよ。俺が行って見てくる」
「え? でも」
「お前が一緒にいたら俺が代行者だってバレバレ」
重力が逆に働いている少女は、遠目からでもそうとわかる状態なのだ。アキラ一人と比べて見つかりやすさは桁違いである。しかし当然の指摘にもかかわらず、シェラはすぐには頷かなかった。小さな両手がアキラの肩をぎゅっとつかむ。
「あなたの顔も割れていたらどうするんです」
「大丈夫だって。俺、特徴がなくてどこにでもいる顔ってよく言われるし」
「そういう問題じゃないですし、そうは思いません!」
「ちょ……っ」
耳元で急に叫ばれ、アキラはのけぞった。傍目からは彼が一人で妙な動きをしているように見えただろう。なんとか体勢を立て直し、少女にむかって手を振る。
「とにかくこの辺にいろよ。ちょっと見てくるだけだから」
「アキラ」
彼女はまだ引き止めたそうな表情をしたが、表面上は素直に天井へ下りた。昇降口方面へと向かうアキラに忠告の声をかける。
「額のナンバーを見られないようにしてください。他のプレイヤーがいても気づかないふりをして。それさえなければあなたは、普通の人間と見分けがつかないはずです」
「ああ」
手を上げて返事をしつつ、アキラは足早に廊下を歩き出した。
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