曲空虚空 12

mudan tensai genkin desu -yuki

 転移ポートを三つ経由して空塔前に到着した時、群青色の空からは既に霧雨が降りそそぎ始めていた。
 様々な色の照明が輝き、明度の落ちた街をきらびやかに彩る。空塔エリアを囲むフェンスの外にはオフィスビルも多く、会社帰りの人々が足早にポートへと向かっていた。
 シェラを伴ったアキラは、近くのビルの軒下からそびえ立つ空塔を見上げる。
 白い円柱状の塔の直径は、一階部分が約六十メートル。上の階層になるほど次第に細くなっている。だが少なくとも遠目からは、目立って先細りしているようには見えなかった。
 鏡面まで伸びている白い塔は、天を支える柱そのものである。
「これでシギルがあるのは最上層っていうんだからな……」
 果てしない上空を仰いでアキラは嘆息した。
 継ぎ目の見えない塔壁の中ほどには、青く光る文字で天候予定表がびっしりと表示されている。そこにはしかし、最近の異常天候についてのアナウンスはない。シギルが置かれた時に見えたという光についても、何も触れられていなかった。
 霧雨ばかりが並ぶ予定表から視線を下ろしたアキラは、高いフェンスとその切れ目にある鉄門を眺める。エリアの東西に二つあるこの門は通常閉ざされており、車で機材などを搬入出する時以外には開けられない。
 空塔内に勤務する関係者は、どうやら徒歩で隣の通用門を使って出入りしているようだ。警備員が常駐している通用門を確認して、アキラは苦い顔になった。
「あんなだぞ。どうやって入るんだよ」
「厳しそうですね」
「そりゃ、空塔警備は厳重で有名だからな。中に入れてもあちこちで生体ID認証がある。おまけに上層階に行くほど入れる人間は減ってくるって仕組みだからな」
 カイからの受け売りを伝えると、胸にブタのぬいぐるみを抱いたシェラは首を傾げる。
「それってでも、個人IDをデータベースに登録して、それと照合してるってことですよね? おおざっぱに言えば」
「さぁ……」
 知らないから答えられないアキラは視線を逸らした。シェラは薄汚れたビルの軒に立って、フェンスの向こうを眺めている。小さな足には、今は黒いサンダルが履かされていた。
「空塔のシステムに侵入できる端末ってどこかにないですか?」
「知らない。ってか何するつもりだよ」
「ちょっと中を見てみようかと思いまして」
「犯罪だっての」
「侵入が既に犯罪なのでしょう?」
 痛いところを突かれてアキラは押し黙った。穏便にことを運ぶということが不可能な現状、どういったやり方をすれば一番マシなのかしみじみと考える。
「とりあえず今日は下見だからな。カイにでも相談してみて、それからってことで」
「はい。スキルもあなたは、もう少し使って慣れていた方がいいですしね」
「あーそうだな」
 チェンジリングのスキルは、スガとの一戦に一度使用したきりである。今後の勝負にこれをどう使っていくかは決まっていないが、習熟しておくに越したことはないだろう。
 雨に濡れてネオンを反射する路面を、アキラはじっと眺める。
「シェラさ、初期状態だとほとんど持続時間がないって言ってたよな。それってつまり、訓練とかすればもっと持続させることもできるわけ?」
 もしそうなのだとしたら積極的にスキル習熟にも時間を割いていきたい。
 そう考えるアキラに、シェラは複雑そうな顔を見せた。
「結論から言ってしまうと、スキル自体を訓練によって強化することは可能です。もともとスキルとはこの勝負のために虚都で作られた後付けの能力ですから。私たちに知ることはできませんが、習熟度は蓄積されて数値化されているはずです」
「隠しパラメータがあるってことか」
 シェラはブタを抱く両腕に力を込めて頷く。
「ただその数値とは、単純にスキルの使用時間や回数に比例しているのです。そしてこの勝負は一ヶ月という期限が区切られていますから……。私見ですが、スキルの訓練をしても期間内ですと、飛躍的な変化までは得られないと思います。持続時間などは少しずつ伸びるでしょうが……」
「っていうことは、やっぱ俺が使いこなせるかどうかか」
「ええ」
 慣れと集中――得なければならないのはその二つだ。
 そしてチェンジリングに関して言えば、「どう使うか」の発想と機転も必要になってくる。
 アキラは、考える必要のあまりなさそうだったスガのスキルを、一瞬うらやましく思った。
「他のスキルってたとえばどんなのがあるんだ?」
「それは……わからないのです。すみません」
「あーまあ、しょうがない。聞いてみただけ」
 昨日の一件があるだけに、つい意識がプレイヤー対戦にいってしまうが、シギルを取るだけであれば他のスキルの情報など不要だろう。アキラは紙袋を持った手でこめかみをかいた。
「代行者がシギルを取って、プレイヤーがそれを台座に置く、か。二人とも最上層に行かなきゃいけないってのが味噌だよな」
「私一人なら見咎められずに入れそうですしね」
「シェラ、俺を持って空に上がったりできないか?」
「……私の腕力ではちょっと」
 重力がさかさまに働くシェラに頼って、外壁を上れないかとも考えたが、どうやら不可能らしい。そもそもそれで上がれたとしても、窓がなければ中には入れないのだ。
 アキラはその後もしばらく考えていたが、有効な手段は思いつかなかった。すっかり辺りも暗くなってしまった時間、彼は荷物を持ち直す。
「帰ってスキルの練習しながら考えてみるか」
 雨宿りしていた軒下を離れ、アキラは屋根のあるアーケード街へと向かった。

 赤いレンガで舗装されたアーケードは多くの店が建ち並び、学生や仕事帰りの大人たちで賑わっている。霧雨の降る中をくぐり、屋根の下へと駆けこんだアキラは、前髪についた滴を手で払った。
「弁当買ってくぞ」
「はい」
 シェラがいるからにはどこかで食べていくという選択肢はない。彼女の状態でも食べられるものを考えながら、アキラは人波にそって歩いていく。街では生誕祭が近いためか、専用の飾り付けをしている店も多く見られた。一年でもっとも都市が賑わう季節。だがそれを過ぎても、来月末はもう年の瀬だ。その頃には飾りつけも一新されるだろう。
 あちこちの店から聞こえるBGM。その中に混じって、聞き覚えのある曲が聞こえてくる。澄んで張りのある女性ボーカルは、いまや都市に住む人間の全員が知っているだろう。
 透明でありながら独特の引力を持つ歌声を聞き、シェラは顔を上げた。アキラの肩につかまっていた少女は、どこからその歌が流れてくるのか顔をめぐらす。
「この歌って――」
「ああ、ニーナか」
 それは今もっとも有名な歌手の名だ。
 神秘的な曲に水晶と讃えられる声、さらには抜群の歌唱力で不動の地位を得ていた彼女。
 その訃報が一週間ほど前に流れた時、十二都市は呆然とした衝撃に覆われた。
 それは決しておおげさな比喩ではなく、彼女は知らぬ者のいない歌い手として何年もの間活動してきていたのだ。
 二十二歳の誕生日がもうすぐだったという若いニーナの身に何があったか、憶測も多く飛んだが、事務所は発表で「急な病で」と伝えてきただけである。そのような様子などまったく見られなかったと、ファンたちは涙をしぼりつくしたが、一週間経っても悲しみの波はいっこうに収まる様子を見せない。むしろここ数日の報道によって、彼女の名はますます広まっているようだった。
「――そんなわけで、多分十二都市で今一番の有名人だな」
「そうなのですか」
 シェラは喧騒の中から、曲を聞き分けようとしているらしい。黒い瞳が人ごみで親を探す迷子のように動いた。アキラは他の通行人の邪魔にならないよう道のはじを歩きつつ、遠ざかる歌声の続きを頭の中でなぞる。
「最近はどの番組もその話ばっかりだからな。俺も結構詳しくなった」
「アキラは彼女の曲を持っているのですか?」
「部屋に帰れば一枚ある」
 正確にはそれはミヤの持ち物で、ずっと返すのを忘れていただけなのだが、あることには変わりがない。帰ったら探してみようと思ったアキラは、けれどシェラが名残惜しそうに振り返ったのを見て頭をかいた。通学バッグに手を突っ込むと、内ポケットからほとんど使っていない音楽プレイヤーを取り出す。
「たしかイヤホンもあったはず……」
「アキラ?」
「俺も最近の聴きたいから買ってやるよ」
 近くの音楽ショップに立ち寄ると、アキラは配信端末と自分のプレイヤーを接続し、ニーナの曲をいくつか購入する。それをそのままシェラに渡すと、彼女はおずおずとプレイヤーを受け取った。
「使い方わかる?」
「……たぶん大丈夫だと思います」
 やたらとぎこちない手つきに彼は不安を覚えたが、イヤホンを片耳だけに挿したシェラは必死に操作キーを押している。首から下げられたプレイヤーが上に向かって揺れ、本来の持ち主であるアキラを不思議な気分にさせた。
 やがて無事曲が流れ出したのか、シェラの顔はほころぶ。アキラは自分もほっと肩を下ろし、けれどそんな自分に気づいて舌打ちしたくなった。
「なんだってんだよ、まったく」
 ――他の人間には見えないということ。そしてさかさまであるということ。
 それらのせいで、時々シェラがまるで何もできない子供のように思えてしまう。その度ごとに自分が世話を焼かなければと、つい手を貸してしまうのだが、相手は本当の子供ではない。甘やかしすぎにならないよう気をつけた方がいいだろう。
 少女はそんな彼の内心も知らず、目を閉じて曲に聴き入っている。微笑を浮かべたその横顔は穏やかで美しく、なぜか少し淋しそうだった。単に白い照明が彼女の顔に深い陰影を作っているから、そう見えるのかもしれない。だが目の錯覚だとしても、彼女のそんな顔を見ると胸が痛んだ。
 アキラは大きな紙袋を持ち直す。
 霧雨のせいか人の多いアーケードは、まるでじっとりとした感傷が沈殿しているようだった。