mudan tensai genkin desu -yuki
生誕祭を五日後に控えた校内は、どこもかしこもあわただしい空気に支配されていた。全都市をあげてのお祭りであるため、多くの学校が今日からは午前中の授業だけで終わる。アキラの高校もその例外ではなく、午後はまるまる準備時間とされていた。
昼食を売店で買い出したアキラは、中庭の隅にあるベンチでパンの袋を開ける。普段は教室か学食で食べるのだが、今日それをしてはシェラが昼食を食べられない。
何が食べたいかと聞かれ、「昨日と同じパン」と答えた少女は、緑色のメロンパンをもらって驚きの顔になった。
「色が違います!」
「メロンエキスでも入ってるんだろ」
「昨日のは入ってないのですか? メロンのパンなのに?」
「メロンパンは、メロンが入ってるからメロンパンってわけじゃないの」
いい加減な説明にシェラは首をかしげたが、メロンパンの誘惑に負けたらしい。さかさまに浮きながら嬉しそうにそれをかじり始めた。淡い緑色のサンドレスが風になびいて揺れている。
アキラは彼女の分のペットボトルにストローをさして置くと、自分のヤキソバパンを食べ出した。ふと視線を上げ――ぎょっと硬直する。正面校舎の窓ガラスにシェラの姿が映っているのだ。
「シェラ……窓に映ってるけど」
「他の人には見えていないと思います。声も聞こえませんし、あなたが一人でぶつぶつ言っているだけです」
「なんという不審者。誰のせいだ」
「思考コントロールに自信があるなら他の手段もありますが……。筆談にしますか?」
「めんど……」
さいわい時期が時期であるため、中庭をせわしなく行き来する人間は多いが、アキラの行動に目を留める者はいない。四方を校舎に囲まれたここは、生誕祭準備に沸く校内において、ちょっとした空隙になっていた。
アキラはメロンパンを食べる少女と、そのさらに上空を見上げる。今日の鏡面は薄い紫色だ。澄んで広がる空の向こうは何も見えない。
飲み物を取りに下りてきた少女を、アキラは横目で見やる。
「それ、メロンパンだけが浮いて見えるってわけじゃないだろうな」
「どうなのでしょう。服とか私が身につけたものは見えなくなると思いますが、パンもそうなのかな……。試してみないとわからないです」
「試して見えてたらやばいし」
もっとも、今まで中庭を十数人が行き来していて、パンが浮いていることに驚いた様子の者はいなかったのだ。これは見えないものと思っていいのかもしれない。
「うーん、何かに利用できないか?」
「手品とかにですか? いいかもしれませんね」
「かくし芸をやる予定はない」
しばらく真剣に悩んでみたが、有効な使い道が思いつかない。
思考を放棄したアキラは、食べ終わったパンの包み紙を手の中で丸めた。近くに見えるゴミ箱へ投げようとした時、聞きなれた声がかかる。
「アキラくん、こんなところにいた!」
「げ……」
――よりによって一番見つかりたくない相手に見つかってしまった。
中庭の入り口から走ってきたミヤは、アキラの前まで来ると、腰に両手をあて仁王立ちになる。
「今日からそろそろ働いてもらうからね! こっそり帰っちゃだめだよ!」
「いや俺、色々用事が……」
「用事って何?」
「医療データ検索したり、空塔にのぼったり」
「わざとらしい嘘つかないの!」
一刀両断されてアキラは閉口する。本当に嘘であったならいいのだが、現実はそうもいかない。かと言って素直にミヤの言うことを聞いては、夜まで解放はされないだろう。
どう言いつくろって逃げ出そうか、視線を泳がせていたアキラは、だがミヤの頭上に気づいて唖然とする。そこにはパンを食べ終わったシェラが、興味津々の表情で彼のクラスメートを覗きこんでいた。白い手をミヤの額に伸ばそうとする少女に、アキラはあわてて腰を浮かす。
「ちょ、シェ」
「どうしたの?」
シェラが見えないミヤは怪訝そうな顔になった。そうしている間にさかさまの少女はぺたぺたとミヤの頭や肩を触っていく。立ち上がったアキラは口をぱくぱくと動かした。
「アキラくん、なんか変だよ」
「あー、うん」
「とにかく、今日は買出しにつきあってもらうから。食べ終わったら教室に来てね」
ミヤは小走りに校舎の中へと戻っていった。ふわふわと揺れる二つの髪を、シェラはなぜか名残惜しそうに見送る。級友の姿が見えなくなると、アキラは気が抜けてベンチに座り込んだ。
「こっちがあせるだろ。何やってんだよ」
「見えないのだから構わないかと思いました。彼女はあなたとどういう関係なのですか?」
「友達みたいなもん」
「あいまいですね」
「昔からよく同じクラスになってるから。腐れ縁って言った方が正しいかも」
「なるほど?」
シェラは完全に納得したようには見えなかったが、何かを咀嚼するようにしきりに頷いた。膝を抱えて宙に浮いている少女は、すっきりとしない表情で空を見下ろす。
「シェラ?」
「いえ、なんでもないのです。それより、これからの予定は彼女のお手伝いですか?」
「あー、ちょっとはやらないとまずいしな。ちょうどいいから一緒にこっちの買出しもしちまおう。現金出してくる」
校外での買出しは、学生証での決済がきかない。不自由ではあるが現金を持っていなければどうしようもないのだ。アキラの個人口座にはそれほど大金が入っているわけでもないが、普段の金遣いが荒いわけでもない。多少なら融通がきくだろう。
アキラは肩にシェラを捕まらせ、校内設置の口座端末へと向かった。機敏に動けない彼女は、こうしてつれていなければすぐに迷子になってしまう。色々と物珍しいのか、校舎内を見回している彼女は、授業中もアキラの教科書をめくりたがってしかたなかった。
周囲に人がいない時を見計らって、アキラは背後の少女に問う。
「ずいぶん気になってるみたいだけど、虚都の学校ってこっちと違うのか?」
「どうでしょう。やはりあちこち違うとは思いますが、私自身学校に行ったことがないので、よくわからないのです」
「ああ、そうなのか。家庭教師つけてたとか?」
アキラは振り返って聞いたが、前からベニヤ板を持って男子生徒二人が駆けてくるのに気づくと、不審に思われないよう前を向きなおした。廊下の角を曲がってひらけた場所に出ると、さらに人は増えシェラとの会話はできなくなる。
事務所窓口や各種端末、掲示板などが集まっている情報ロビー兼カフェテラスは、いつもより三割増で生徒が多く騒がしい。あちこちのテーブルで打ち合わせが行われているらしく、相談の声が重なってまるで潮騒のようだ。
ガラス張りの天井からは薄紫の空が見え、テラスには明るい光が降りそそいでいる。
あちこちから漂うコーヒーのよい香り。慣れ親しんだ日常の光景をアキラは眺めた。彼の肩に捕まるシェラが、そっと手を離し高い天井へと降りていく。彼女はそのままテラスの上を歩き回り始めた。
「何やってんだ、あいつ……」
シェラの行動理由は大体いつもわからないが、どうせ単なる好奇心なのだろう。
アキラはロビーの隅で口座端末の列に並びながら、壁にかかる電光掲示板を見上げた。今日の天候予定は十八時から霧雨。だが昨日の雨があってはみな、用心しているに違いない。アキラは自分が傘を持ってきていないことを思い出す。
「ま、生誕祭の買い出しもあるし、ポート移動か」
ミヤには悪いが、あまり生誕祭の準備に時間を取られていたくない。医療データを調べなければならないのだし、可能なら空塔も下見しておいた方がいいだろう。
アキラが頭の中でそんな予定を組み立てている間に、口座端末の順番が回ってくる。
彼は学生証を取り出し、端末に差し入れようとした。その時、顔の横から白い手が伸びてくる。反射的に体を引きかけたアキラは、しかしすぐにそれがシェラの手であることに気づいた。彼女は薄い透明なカードを端末に向けて示す。
「これ、あなたのカード入れた後に入れてください」
「は?」
「いいから」
再度言われてそれ以上押し問答するわけにもいかない。アキラは軽く後ろの列を振り返ったが、一番前に並んでいた女子に冷たい目でにらまれてしまった。「俺のせいじゃない」と言いたい気分を飲み込み、アキラは学生証を端末に差し込む。続いてシェラから受け取ったカードもそこに追加した。
ガラスでできているような透明なカードが、ひんやりとした感触を残して吸い込まれていく。アキラは端末が壊れてしまわないかと気が気ではなかったが、現れた画面は普段通りのものだった。いつものように残高照会を押した彼は、引き出し金額を指定しようとしてぎょっとする。
「なんだこれ……!」
「使ってください」
平然としたシェラの声は、アキラの動揺を抑えはしなかった。七桁を越す残高に彼は唖然とする。一瞬の間をおいて驚きから覚めると、声をひそめてシェラに確認した。
「端末に不正干渉したのか?」
「違いますよ。プレイ資金です。経費兼、代行者への報酬、といったところでしょうか」
「まじか」
初めて見る額の大金。アキラの頭の中を、買えなかった模型の限定品がよぎっていった。
だがそうして夢想に浸りかけた彼の髪を、シェラがひっぱる。
「うしろの人、怒ってます」
「あ」
皆が殺気立っているこの時期に、いつまでも端末でまごついていては非難の目を浴びざるをえない。アキラは急いで、普段は持ち歩かないほどの大金を引き出すと、それをカードとともにポケットにねじこんだ。列に並んでいた者たちの冷たい視線を受けつつその場を離れる。
二人はテラスから外に出ると、校舎裏の渡り廊下を選んで歩き出した。雨よけの屋根だけがある殺風景な通路は、さいわい誰の姿もない。
「まったく……最初に言っとけよ。驚くだろ」
「すみません。忘れかけていました」
「別にいいけどな。――ちょうどいいから欲しいもの考えとけよ」
「え? でもこれは経費とあなたへの報酬ですよ」
「あんな大金もらうほどのことじゃないだろ。シェラの金だ」
報酬をもらえることはありがたいし、欲しいものがないわけではないが、落ち着いて考えてみればやはり、あれは彼女とその目的のために使うものだろう。
アキラは大きく息を吐き出して彼女を見上げる。彼の肩に捕まった少女は、大きな黒い目をこぼれおちそうなほどに瞠っていた。不思議なものを見るような視線に、彼は「なんだよ」と返す。
シェラはその声で我に返ったのか、ゆっくりとまばたきした。
「私は特に……あ、メロンパン。あれをまた食べたいです」
「着替えとか靴だろ、そこは……」
最低でも夜寝る服だけでいいから買ってもらいたい。
微妙にかみ合わない会話を交わす二人の上空で、淡い紫の空はゆるやかにその色を変えつつあった。
学生服の少年について校舎の中に消えていった少女。
その姿を奥の校舎の屋上から「見上げていた」二人の男女は、彼女の姿が見えなくなるとおのおの息を洩らした。女は失笑を見せ、男は溜息をつく。
「――スガも大口を叩いたわりにさっさと脱落しただなんて。何のために枠を一つ与えてやったと思っているのかしら」
「そう言ってやるな。油断もあったんだろう」
灰色のスーツを着た若い男は、やわらかい口調で隣の女をたしなめた。女は高いヒールを何もない空中にたたきつける。
「油断したって相手は単なる小娘だわ。おまけにとても邪魔な……。だからこそスガを回したっていうのに、まったく」
「もともとあの男の役目は競争相手にぶつける捨て石だ。敗北はしたが大勢に影響はない」
「シェラ・ハーディが残っているというのが問題なのよ。あの娘が権利を得れば、それだけで全部がくつがえされかねないわ」
体の曲線にそう黒服姿の女は、高い襟のすぐ横で唇をゆがめた。肩の高さで切りそろえられた金髪がさらさらと音をたてる。足首まで届く長いスカートの裾が、持ち主の苛立ちを表すかのように空に向かって揺れた。
無人の屋上に佇むさかさまの二人は、少しの間沈黙を共有する。
その姿を見る者は誰もいない。遠く聞こえてくる生徒たちの喧騒が、風に乗って流れていく。
女はうんざりとした表情になった。
「今、ここで潰してしまえばいいじゃない」
「代行者もなしにか? スガと同じ轍を踏むことになるかもしれない」
「二人がかりであれば違うでしょう。それに、私のスキルなら代行者などなくとも、この世界に干渉できるわ」
自信に満ちた態度は、それなりの裏づけを得てのものである。
しかし男は、それを聞いてもかぶりを振った。
「今はこれ以上動かない方がいい。代行者を介さない戦闘など、本来のゲームの趣旨とは異なる行いだ。スガ一人ならともかく私たちまでもがそれをしては、他のプレイヤーの不審を買う」
全部で十二人だった今回の来訪者は、利害の一致を見て協力しあっている者もいれば、お互い牽制しあっている者もいる。ここでやりすぎて敵を作れば、後に響いてくることは想像にかたくない。
そう釘をさす男に、だが女は皮肉げな目を向けた。
「シェラ・ハーディに脱落してほしいと思っているのは、皆同じかと思っていたわ。だからスキルが洩らされて――」
「そうとは限らない。彼女の才能は有用だ。さすがあのハーディ博士の娘というだけはある。このゲームが終わった後も繋がりを持ちたいと思う人間はいるだろう」
「ここではただの邪魔者よ」
譲る気のない女は長身の男をにらみあげる。
ビジネスマン風の男は、無表情でかぶりを振った。
「ともかく、私たちも自分のシギルを確保しなければならない。そのためにはまず代行者を選ばなければ。シェラ・ハーディについては代行者を選んだ後でもいいだろう」
「後回しにしてさっさとシギルを確保されたらどうするの? 空塔をのぼることくらい、有用な才能を持つあの娘なら、スキルを使わずとも可能ではなくて?」
揚げ足を取っての反論に、男は軽く眉を動かす。だが事実の指摘に、彼はそれ以上顔色を変えることはしなかった。ただ「そうかもしれないな」と返しただけである。
女は芝居がかった仕草で細い両肩をすくめた。
「なら、代行者を使えばあの娘を排除してもいいのかしら?」
歌うような軽い声音。彼女は男の返事も待たず、ふわりと屋上から離れた。鉄柵を蹴って校舎の向こうへと消える。
後に残るものは白々しい静寂だけだ。男は一人になると再び溜息をつく。
「気持ちはわからなくもないが……。シェラ・ハーディはもっとも正統なイレギュラーだ。権利を奪えるならそれに越したことはない」
おまけにこの都市の中であれば、彼女への攻撃は許容されるのだ。それがゲームの本来の趣旨ではなかろうと、可能である以上、許可されたことだとみなして構わないだろう。
ランダムに割り振られたはずのスキルも、彼女が得たスキルだけはなんであったのか、情報が伝わってきている。その情報の出所を知る男は、自身の中にまた一つの推測をも持っていた。
「後継者の娘に、直接攻撃ができない特殊スキルか。まるで襲ってくれといわんばかりだな。――あるいはそれが狙いか?」
男は足下に広がる造り物の空を眺める。
薄緑色に染まっていく鏡面体。
そこからこぼれた雨は男の眼前を音もなくかすめ、乾いたコンクリートへとしたたった。
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