禁転載
大陸の中央部に存する二つの大国。
かたや長い歴史を持ち魔法大国と呼ばれるファルサスと、かたや建国から百年強にもかかわらず諸国を圧しのしあがってきたキスク。
それら強国二つの次世代を担う王族の子供たちが一堂に介する機会というものは、実はそれほど異様なものではない。
何故なら彼らは両親を同じくする兄妹であり、帰する国は違えど私的な部分では他の兄妹を「家族」として認識しているからである。
長い大陸の歴史においても類を見ない、隣接する二国の、王同士の間に生まれた子供たち。
それはともすれば継承の混乱を生むことになっただけであろうが、彼らの両親は婚姻関係を結ばず、四人の子供をそれぞれ二人ずつ自国に引き取り、相手国の王位継承権は放棄させていた。
この奇妙な状態は障害を越えた二人の王の愛情の結果などというものではなく、単にお互い高い才能を示す相手を自分の子の親として選んだだけのことである。だが、父であるファルサス王も母であるキスク女王も、子供たちの間の繋がりを否定するようなことはせず、折を見て子供たちを会わせては彼らの好きにさせていた。
―――― もっともそれをすると大抵、何かしらの騒動が起こってしまうのだが。
「ただいま戻りました。女王陛下、殿下方」
「おかえり、ジウ」
離宮の広間に戻った少女は、幼馴染でもあるファルサス王太子の労いに慇懃に一礼した。黒茶の瞳で連れ帰ってきた二人の王族を見やる。
拘束こそされていないものの「連行されてきた」といった風情の二人は、部屋の奥にいる母親に気付くとばつの悪い顔になった。
三十代半ば、未だ衰えぬ美貌を持つ女王は、椅子に座したまま二人の子供に軽い溜息で返す。
白を基調とした広間。よく磨かれた石床の上には装飾を抑えた、けれど上質の調度品が点在していた。
窓の外も緑の庭園が広がっているのみであり、部屋の中にはまったく雑音が入り込んでこない。
二国の王族が私的な休息を取る為に建てられた離宮の広間は静寂が満ちており、そこには現在、女王と四人の子供、そしてジウしかいなかった。
籐の椅子に深く座った女王は、窓辺に立つ長男と隣で本を読んでいる次男を順に見やると「お前たちに仕置きは任せる」とだけ言う。気だるげな仕草で頬杖をつく女王にジウはお茶を淹れ始めた。
「ではレーン、きなさい」
母親から弟たちへの注意を任せられた長男セファスは、穏やかな笑みを秀麗な顔だちに乗せ三番目の弟を呼んだ。
表面的には優しげな兄の声。少年は顔を引き攣らせながらも妹を置いて前にでる。
「何をしてきたか順を追って申告」との言葉に、レーンは流暢にというほどではないが淀みなく離宮を抜け出してからの出来事を挙げていった。
酔漢と喧嘩になりかけ、ジウに怒られたというくだりに差し掛かるとセファスは僅かに目を細める。
「それで? そのまま引き下がってきたのかい?」
「いやだってジウが……」
「《僕の》ジウを言い訳に使うことは好きではないな。いいかい、レーン。そういう時はまず、人目のつかないところへ誘導するんだ」
「…………」
場の何人がどこに突っ込みを入れたくなったか、それは定かではない。
ただ分かることは全員が滑らかなセファスの弁舌に口を挟む機を逸して沈黙したということだけだ。
「勝てそうな相手ならば、邪魔も人目もないところまで連れて行くことが第一だ。その後に相手を粉砕する」
「粉砕?」
怪訝そうな声で聞き返したのは末妹のエウドラだが、その視線を受ける女王は力なくかぶりを振っただけだった。
何とも言えない空気の中、セファスは笑顔で続ける。
「後に残りそうなものは全て処分すること。そういう時は魔法を使ってもいいよ。守護精霊に頼んでもいい。
大事なのは徹底的にやることと、それをばれないように隠滅することだ。―――― 分かるね?」
「…………兄上」
普通の説教であれば、ここで「分かった」と言えばことが済んだだろう。
だが兄の今の主張に肯定を返しては、人として不味い方向に進んでしまう気がしてレーンは詰まった。救いを求める視線がジウを捉える。
お茶を淹れ終わった少女は、広間に来た時と寸分違わぬ平然とした表情のままだった。彼女は意見を求められていると判断すると落ち着いた声で返す。
「レーン殿下、揉め事を避けることが一番とお分かり頂けましたか? すっきりきっぱりご理解頂けたでしょうか」
「わ、分かった! 分かりすぎた!」
「ジウ、ひょっとして僕を反面教師として使っているのかい?」
「人はどのようなことからでも何かしらを学べるものです」
この場において一人だけ王族ではないジウは、しかし彼ら四人全員の幼馴染である。
それは彼女の両親が両国に研究成果をもたらす学者であり、また母がレーンとエウドラの教育係でもあるという環境が原因となっていた。
幼い頃からジウは親に連れられて二つの宮廷によく出入りしており、王の子供たちの遊び相手を務め始めたのもほんの子供の時からだ。
もっともここ数年は「遊び相手」というより「お目付け役」としての意味合いの方が大きくなっているかもしれない。
両親について学問を修めながら最低限の剣術も学んでいる少女は、綺麗な顔立ちに水に似た涼やかさと無感情を乗せてセファスを見やる。
「大体、私がいつ《殿下の》ものになったというのです。真実の欠片もない嘘を言うのはおやめください」
「相反する意見があった時、どちらが嘘かは主観によって容易く逆転すると思うのだがね。ジウは僕に嘘ばかり言うじゃないか」
「たとえば?」
「たとえば、先月『王宮が火事になったから戻れ』と僕に言ったよね。しれじれと。真面目な顔で」
「そうでも申し上げないと帰ってくださらなそうでしたので。違いますか? 違いませんよね」
「帰らないに決まってる。折角抜け出したのに」
不毛な応酬は既に日常の一部である。
心底嫌そうな表情で頭を抱えてしまった母を横目に、女王に似た美しい顔立ちの次男、キスク王太子イルジェは末の妹を手招いた。
四人兄妹のうち、ファルサスの名を冠する者は長男のセファスと三男のレーン。そしてキスクを冠する者がイルジェとエウドラだ。
したがって下の二人が問題を起こした時、説教を担当するのは大抵、同じ国に所属するそれぞれの兄となっている。
長男よりは遥かにまともな性格のイルジェは膨れ顔のエウドラをねめつけた。
「エウドラ。お前はもうちょっと王女らしくしろ。いつも言っているだろう?」
「イルジェはそればっかり!」
「怪我してからじゃ遅いから言ってるんだ。まったく可愛くない奴だな。髪飾りはどうした。盗られたのか?」
「……あげたのよ、踊り子に。綺麗だったから」
それだけ言うとエウドラは拗ねた顔で横を向いてしまった。
一挙一動に文句を言われてはさすがに彼女も面白くない。もし「髪飾りを取り戻させる」などと言われたら泣いて喚いて怒ろうと思っていた。
だがイルジェは「ならいい」とだけ言って本に視線を戻す。拍子抜けしてしまった少女は青い目を瞠って兄を見上げた。
「それでおしまいなの?」
「おしまい。俺の分はおしまい。あとはヴィーから怒られろ」
「……うっ」
自分の教育係であるジウの母親の名を出されてエウドラは固まる。
かつて女王の側近でもあった教育係は愛情深いがその分小言も威力があるのだ。時には女王でさえその対象になり言い返せないくらいである。
もう一度逃げ出したそうな顔で、しかしその気力もなく項垂れる妹にイルジェは微笑した。広間の奥からはまだ終わらない応酬が聞こえてくる。
「私の発言が全て嘘だと、そう仰るんですね?」
「嘘だね。今の発言も嘘だ」
「嘘だと思われてますかの嘘と仰いますと、嘘だと思われていませんか、という問いのことでしょうか」
「それも嘘だ。ジウ、僕には君の嘘はお見通しなのだよ」
「私は殿下をお慕いしております」
「じゃあ今すぐ結婚しよう。手筈を整える」
「嘘です」
「母上! 僕は結婚しますよ!」
「嘘です。聞こえないふりなさらないでください。都合よい部分だけ肯定なさらないでください」
どこまでが本気か嫌がらせか分からないじゃれ合いに決着はない。
これは、将来大陸の強国を負って立つ彼らがまだ子供だった頃の、どうしようもなく騒々しい日々の記録である。
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