禁転載
くねって見えるその蔓は、明らかに金属製と思しき冷えた光沢を持っていた。
すぐ足下にある先端は、鋭く尖った楔となっており、ライトの光を反射しながら何かを探すように床の上を蠢いている。
片手ではぎりぎり握りこめなそうな太さの蔓は、今開けた床下からではなく、部屋の暗がりから伸びて来ていた。
リルヤはその先を追って、左後方を恐る恐る振り返る。
丸いライトを向けると―――― そこには銀色の目をした十歳程の少女が立っていた。
「あれ……」
先程までは、他に誰もいなかったはずの部屋だ。
いつこんな少女が入ってきたのか。どうして気づかなかったのか。
人形のように整った貌を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えたリルヤは、しかし少女の背後に気づいて慄然とした。
鈍い光を帯びた銀色の尾。少女自身の体よりも太いそれは曲線を描いて持ち上がり、彼女の頭の上で左右に揺れ動いている。
そして長い尾の先端はそこから先、床に垂れて―――― 無数の銀の蔓に枝分かれしていた。
リルヤの足下で蠢いているのはそのうちの一本であり、そうと気づいた彼女は無意識のうちに後ずさる。力が抜けたようにしゃがみこんだままのカナンにぶつかった。
「リル?」
「……人がいる」
見知らぬ相手に話しかけるより先に、そのように言ってしまったのは、雰囲気が異常だと本能が警戒を促してきたからだ。
リルヤはすぐ目の前にまで来ている蔓を、緊張と共に注視する。
ようやく立ち上がったカナンが、彼女の横から問題の少女を覗き込んだ。
「誰?」
「さぁ……」
不思議な少女はじっと二人を見つめて無言のままだ。
眉の上で一直線に揃えられた前髪。その下では、同じ色の瞳が感情のない光を湛えている。
足首まである白のワンピースに、足下は素足。このエリア10でそれとは、もう普通の相手でないことは明らかだった。
そして何よりもリルヤがおかしいと思ったのは、銀色の少女の視線にまったく迷いを感じないことである。
幾重にも重なった不審を飲み込んで、リルヤはようやく謎の少女へと声をかけた。
「あの、こんにちは……」
気まずい緊張の空気。銀の双眸に青白い光が灯る。
それは、ヒズが摘んだエイ・キューブが、力を注がれ発光し始めるのと、よく似た眺めだった。
思わず光を注視しかけたリルヤは、けれどカナンから袖を引っ張られて我に返る。
「リル、なんか不味い」
「……ぽいね」
口に出さずとも、彼らが感じている危機感は同じだ。
すなわち―――― 地下で死んでいる男に、この異形の少女が関係しているのではないかと。
逃げ出す機を窺う二人に、だが銀色の少女は初めて口を開く。
「侵入者よ。何ゆえ、このルインに足を踏み入れた?」
「あ、あの、勝手に入ってすみません。私、記憶喪失で、自分のことを調べようと……」
「誰であろうとも、どのような理由であっても、今ここに立ち入ることは許されない」
「え、じゃあ何で理由聞いたんだよ」
カナンから当然の疑問が上がったが、銀色の少女はそれを無視した。太い銀色の尾がより一層高く持ち上がる。
不吉な圧力が目に見えそうな程の気配となって、彼女の周囲に立ち上った。
リルヤは銃をしまってある上着のポケットに、そっと手を滑り込ませる。
状況が決壊する直前の緊張。青白く光る銀の眼が、ゆっくりと一度またたいた。
「私は《銀砂》。ルーディルスタイアの遊撃機能」
楔付きの尾先が音もなく宙に広がっていく。
無数に枝分かれしたそれらは、全てに意思があるかのように、二人へと狙いを定め静止した。《銀砂》の声が非情に響く。
「《塔》の規定により―――― これよりお前たちを排除する」
次の瞬間リルヤが目にしたものは、自分たちに向かって降りそそぐ銀色の鈍い光だった。
※
ドームを訪れる客は、頻繁に来る者もいれば滅多に姿を現さない者もいる。
それは汚染値が高い区域に、どれだけの頻度で屑拾いに来るかの違いなのだろう。
この時やって来た男も、大体月に一度顔を見せるか見せないかというくらいの人間で、だがヒズの顔を見るなり挨拶もせずあっけらかんと言い放った。
「さっき外で、地下に住んでる娘と会ったぞ」
「ああ。言われてみれば屑拾いに出かけたな」
誰のことだかは分かる。ドームの地下に住んでいる少女は一人しかいない。
会わせたことのない男に分かったのは、カナンが一緒だからであろう。
挨拶代わりの世間話はその辺りで、物を受け取ろうと手を上げかけたヒズは、しかし次の言葉に動きを止めた。
「屑拾いってか、《デッドエンド》の先で会ったぞ。中央データベースの端末を探しに行くとか言ってた」
「……は? 中央データベース?」
その存在を、ヒズは勿論よく知っている。
《塔》に本体を置く記録装置。人格を持ったそのデータベースは、ルーディルスタイアという都市を象徴する一つだ。
だがその装置にアクセス出来る端末は限られており、更にはアクセス権限を持っている一般住民などどのエリアにも存在しない。
「中央データベースにアクセス出来れば、全てのことが分かる」などという話は、ただの伝説にしか過ぎないのだ。
―――― それは最初から、一方的に情報を吸い上げる為の存在なのだから。
ヒズは我知らず腰を浮かす。
「あいつら、なんでそんな……」
「さぁな。すぐ帰ってくるだろ」
男は拾い物の入った袋をヒズの前に差し出す。だが青年は半ば以上自分の思考に気を取られて、目の前の大きな袋にも気づかなかった。
ヒズの目に、床に転がっている小さなネジが映る。それはリルヤが不審な男と出会った日に、解体して出たものだ。
彼は、ここのところ記憶喪失を気にしていた少女の姿を思い出す。
「あいつ、まさか《ディルシュ》に」
リルヤは自分が誰であるのか知ろうとして、データベース端末のもとへ向かったのだろうか。
―――― だとしたら、非常に不味い。
ヒズは屑の山の下に手を伸ばすと、そこから自分の銃を抜き取った。懐に武器をしまう青年を、屑拾いの男は唖然として見やる。
男が何か言うより先に、ヒズは白衣を脱ぎ捨てた。
「悪いな。今日は店じまいだ」
「え? いや、除染は……」
「別の日に来い」
黒のシャツ姿になった青年は、返事を待たず外へと駆け出す。
戸締りをする必要はないし、している余裕もない。急がなければ手遅れになってしまうだろう。
ヒズは記憶の中から、データベースが置かれていた施設の座標を呼び起こした。
「跳べるか……? 空間省略なんてここ数年やってないからな……」
常人の枠を外れる力など、普通に生きていて使うようなものではないのだ。
この前リルヤに実演してみせたのも三年ぶりのことで、彼女を保護していなければ一生使うことなどなかったかもしれない。
だがそうは言っても、使わなければ対応出来ない事態があることもまた確かだ。ヒズは片目を閉じると、空間省略の為のコードを呟く。縒りあげていく力が、積み重なって周囲の視界を歪ませた。
「……間に合えよ」
思わず呟いた述懐は、無意味な祈りの言葉によく似ていた。
※
目の前に迫る銀色の楔を、リルヤは逃れられない死そのものとして見ていた。
右手には既に銃を撃った反動の痺れがある。撃ってもなお、向かってくる無数の尾を止めきることは出来なかったのだ。リルヤの放った光条は数十の尾を飲み込み、だが《銀砂》本体はそれを跳んで避けるのが見えた。
そのまま動けずにいたリルヤの腕を、後ろからカナンが引っ張る。
二人はもんどりうって、床板の下に転がり落ちた。饐えた血の臭いと嫌な感触。頭の上を銀の尾が通り過ぎていく。
素早く床板を開けた少年の機転に救われ、リルヤはようやく止めていた息を吐き出した。
「あ、ありがとう、カナン」
「逃げるぞ」
有無を言わさず引かれる手につられて、少女は腰を浮かす。足下の嫌な感触が何であるのか、分かっていたからこそ確かめることはしない。
床板の下は一本道の地下通路となっており、遠くに薄ぼんやりと青白い光が見えた。二人はそこに向かって走り出す。
すぐに足音は、金属を叩くかつかつとしたものに変わった。
リルヤは駆けながら首だけで振り返る。開けられたままの穴から滑り込んでくる銀の尾に向かって、再び光条を撃ち出した。
数本の楔が光に飲み込まれ、音もなく消滅するのが見える。だが最初の数からいって、それらはほんの一部にしか過ぎないだろう。
ただ少しでも逃げる時間を稼ぐしかない。二人は一本道の通路を全力で奥へと走った。
やがて先に、青白く光るドアが見えてくる。
「え、行き止まり!?」
「開くかもしれないって!」
どの道戻ることなど出来ない。リルヤは開かなかった時の為に、小さな銃を握りなおした。
近づくにつれ見えてくるドアは両開きで、表面にびっしりと何かの字が彫られている。
その中央に描かれた大きな円は青白く発光しており、中にはすらりとした塔の意匠が刻まれていた。
青く光る唯一の塔。―――― リルヤの頭の奥が、ちくりと痛む。
何を思い出した訳でもない。ただ彼女は、自ら銃を持った右手をドアへと差しのべていた。一言、叫ぶ。
「応えよ!」
追ってきた銀の尾が、一瞬その動きを止める。
まるで初めから存在しなかったかのように、ドアがその場から消失した。
もっと先まで伸びている道。だが二人はそれに驚いて足を止めることなく、拓けた通路を駆け抜ける。
視界の先に今度は、白い光が淡く見えた。小さな部屋から洩れているらしいそれは、微かに点滅しているようだ。
どうやら昇降機らしいその部屋を、二人は文字通りの活路として捉える。
「あそこまで行けば……」
「行くぞ!」
握った相手の手だけが、きつく汗ばんで現実を伝える。ただ走らなくては、と脳が命令する。
そうして気圧の変わる感覚にリルヤが走りながら振り返ると―――― 追ってくる尾は見えず、代わりに背後には、先程のドアが再び忽然と戻っていたのだった。
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