禁転載
エリア10の荒廃した景色は、いずこも代わり映えのしない灰色が目立つものだ。
かつてはそれぞれ違う顔を見せていた街並みも、砂埃の下、同じ過去に在るものとして沈黙している。
人のいない場所というものは、それだけで少しずつ風化していくのだろう。
色褪せた壁も、砕け散ったタイルも、全てはゆっくりと砂の色に収束しようとしているようだった。
何処も似た街並みを、リルヤは見回しながら一歩ずつ進んでいく。
背後を振り返ると、厚い砂埃の上には二人分だけの足跡がついていた。
「この辺、みんなは来ないの?」
「最近はそうみたいだな。屑拾いたちが最初の方にいっぱい来た場所だからかも」
言われてみれば、左右の崩れかけた建物の入り口には、屑拾いたちが書いたと思われる印が壁に残っている。
探索済を表す黒い三角形は、よく見れば小さな建物にいたるまで視界内の全ての入り口につけられているようだった。
リルヤは隣を行く少年に視線を戻す。
「……それなのに、私たちが探してる端末って、今まで見つからなかったの?」
「元々その辺は、立ち入り禁止の限定区域だったんだよ。だから三年闘争の後も入れない建物とか開かないドアが多くってさ。
でも最近そういうドアがあちこち壊されてるのが見つかったんだってさ。まだ知ってるやつの方が少ない話だけど」
「へえ……」
「ほら、噂をすれば」
カナンが指さす先に顔を上げると、屑拾いの男が遠くから歩いてくるのが見えた。
少年が手を振ると、男も気づいたようで手を振り返してくる。声が届く範囲に入ると、男はマスクの下からくぐもった笑い声を上げた。
「おう、カナン。お前も来たのか。けど、目ぼしいものはあらかた運び出されてるぞ」
「屑拾いに来たんじゃないんだ」
「じゃあなんだ?」
薄く色のついたゴーグル越しに、男の目がリルヤを見る。
彼らと同じ砂モグラの格好をしている少女は、そこでぺこりと頭を下げた。
「こんにちは」
「……ああ、お前さんが鑑定屋のところの娘か」
「彼女にこの辺を案内しようと思ってさ。例のデータベース端末の場所って分かる?」
「は? ありゃ、ゾイの戯言だろ」
カナンの問いを一笑に付した男は、しかし振り返って道の先を指さした。
「このずっと先に、何もないデカいだけの建物があるんだが、その中にあったって話は聞いた。
けど、それらしいものなんてあそこにはねえ。おおかた奴が何かを見間違えて、適当なことを言ったんだろうさ」
「ゾイは? 自分で何もないってこと確認したのか?」
少年の声にまだ落胆は現れていない。リルヤは男の示した先を見つつ、二人の話に耳を傾けた。
「確認しに行くって言って昨日出てったさ。まだ帰ってきてねえけどな」
「帰ってきてない? 行方不明ってことか?」
「単にばつが悪くて逃げ出したんだろ。しばらくすりゃ酒場に顔を出すさ」
男は何でもないことのようにそう言うと、ゴーグルごしに落ち窪んだ目を細めた。
「―――― ただこの先に二人で行くなら、気をつけろよ。人買いたちがうろついてる」
「こんなところに?」
「自警団に見つかったか、商品が逃げ出したか、どうせそんなところだろ。近づかなきゃいいだけさ」
たっぷり拾いものの入った袋を背負いなおすと、男は「じゃあな」と手を上げた。
灰色のその姿が見えなくなると、二人は顔を見合わせる。
「リル、どう思う?」
「なんか不穏?」
「そんな気もするよな」
なんだか少しだけ気分を削がれたが、引き返す程の理由もない。
リルヤは再び歩き出しながら、上着のポケットにしまってある銃を確認する。
「もしもの時は、私がカナンを守るからね」
「……それ、あんま嬉しくないな」
「え、どうして?」
「いや別にいいんだけど」
乾いた笑いを零されても、何が問題なのかさっぱり不明だ。
ともあれちぐはぐな二人は、砂埃に足跡をつけて進んでいき、まもなく問題の大きな建物へと到着した。
その建物は、白い真四角なブロックをそのまま巨大にして置いたかのような、あっさりとした形をしていた。
もっともそうと分かったのは、かなり遠くから見ていた時のことだ。実際に近づいてみると周囲は、二人の背丈を遥かに上回る高い壁が囲っており、中の様子はまったく分からない。
三年闘争の痕も見えない無傷の囲いは堅牢で、リルヤはしみじみと薄紫の空を仰いだ。
「これ、どうやって越えるんだろう。……あ、壊してみる?」
「リル、ヒズから変な影響受けてるだろ。門探そうぜ」
近くを人買いがうろついているなら、あまり物を壊したりして大きな音を立てない方がいいだろう。
二人あわせても壁を越える身長を持たない彼らは、そのままぐるりと外周を回ってみた。
そうしてちょうど裏側にあたる場所で、壁が大きく崩れている箇所を見つける。
「あ、ほら、私と同じようなこと考えた人がいたみたいだよ」
「そこで胸張られても」
「よし、行ってみよ!」
カナンの苦言は無視して、リルヤはずんずん壁の穴から中へ入っていく。
どうなっているのかと思った内部は、見回してみると、あっさりとした建物と壁に負けず劣らず何もなかった。
十数歩分しか幅がないそこは、灰色の砂が降り積もる空間が広がっているだけであり、草木などはない。
その先にあるのっぺりとした建物の壁は、窓がないこともあって、妙な圧迫感を持って見る者を圧してきていた。
リルヤは、三階分の高さはあるであろう建物を見上げる。
「これ、なんの建物なんだろ」
「さあ。研究所かなんかじゃないかな」
「へえ……。変な感じだね」
データベースを置いてあるというのだから、情報系の研究所なのかもしれない。
辺りを見回していた二人は、意を決すると目の前に建物に向き合った。―――― そこには外壁と同じく、大きな穴が開けられている。
どうやって開けたのか、鋭い刃物で斬られたような壁の破片を、リルヤは足の先でつついた。
「じゃ、行ってみようか」
「中、結構暗いな。ライトつけるよ」
荷物からカナンが、棒状のハンディライトを取り出す。
窓がない為よく見えない中を照らすと、そこはだだっぴろい一つの部屋であるようだった。
先程出会った屑拾いの言う通り、「何もないでかいだけの建物」であるのかもしれない。
リルヤはさほど埃の積もっていない床に気づく。
「この穴って、最近空いたのかな」
「多分な。大体一週間くらい前じゃないか? 破片の上に積もってた砂埃がそれくらいだった」
「カナン、すごい」
「屑拾いならみんな分かるさ」
そう言いながらも気分のよさそうな少年に先導され、リルヤは建物の中へと足を踏み入れた。
丸い光を投げかけるライトが、白いタイル床と遥か先の壁をぐるりと照らし出す。
「……本当に何もなさそうだな」
「ね」
巨大な建物の中には、家具や設備の類さえ一つも見当たらない。
これでは先に入った屑拾いたちも、さぞかし肩透かしを食らっただろう。
リルヤは少しずつ暗闇に慣れてきた目で、部屋の奥の壁を注視する。
「これって、部屋割りしてないのかな。あの建物の中がまるまるこの部屋?」
「みたいだな。大きさが大体同じに見える」
「元々なんに使ってたんだろ。運動場?」
「どうだろうな。三年闘争が始まって中の設備を運び出したのかも」
推測の色濃い会話を交わしながら、二人は少しずつ部屋の中へと進んでいく。
よく見ると床には薄い足跡がついている気がしたが、砂の微かな寄せ集めのようなそれが本当に人の足型をしているのか、リルヤには自信が持てない。
彼女は部屋を照らす光を目で追った。
「……ね、カナン」
「ん?」
「気づいてる? この部屋ってさ、ドアがないよね」
「…………」
少年の持つ丸い光が、改めて壁をぐるりと一周する。
遠い奥の壁にはぼんやりとした点程にしか届かない光ではあるが、リルヤの言ったことを確かめるには充分なものだった。
驚きのまま天井なども照らしてみたカナンは、けれど何処ものっぺりとした同じ白壁であることを確認すると、少女を振り返る。
「どういうこと?」
「さあ……」
これではまるで、子供が深皿を地面に伏せて置いたかのようだ。
誰が何を思ってこんな建物を作ったのか。再び床の砂に目をやったリルヤは、ふとあることに気づいた。
それは、リルヤたちのつけた足跡とは違い、まるで目的地を知っているかのように一直線に進んでいる。
ともすれば見失いそうな砂の痕を、彼女は改めて辿っていった。それは部屋の中央付近で、少し右に曲がっている。
「リル?」
「―――― 見つけた」
途切れた砂の痕。そのすぐ前の床に、薄い溝が入っている。
探そうと思って見なければ見過ごしてしまいそうなそれは、ぐるりと大きな四角を描いており、端には誰かが削って空けたと思しき穴があった。
カナンもそれに気づいたらしく、しゃがみこんで穴に手を伸ばす。
「これ、地下室があるってことか?」
「地下道かも。入り口自体が地下なんじゃない?」
「あー、なるほど。上物はダミーか。開けてみていい?」
「うん」
手伝おうにも手をかける穴は一つしかない。リルヤはライトを受け取って、カナンの手元を照らした。
少年は膝をつくと、一息に床板を持ち上げる。
その瞬間、隙間から漏れ出した青い光に、暗がりに慣れていたリルヤは思わず目を背けた。
カナンもそれは同様だったのか、「うわっ」という呟きと共に床板から手が離される。
束の間で戻ってきた薄闇に、リルヤは止めていた息を吐き出した。
「明かりついてるんだ。目が痛いね」
「……死体があった」
「え?」
「下で人が死んでた。……多分、ゾイだ」
データベース端末を発見して、それをもう一度探しに来ていたはずの屑拾い。
カナンの知人であるその名を、リルヤはすぐには飲み込めない何かのように聞いた。遅れて思考が動き出す。
「え、死んでたって」
どういうことなのか、と問いかけた少女は、ふと不思議な気配に気づいて足下にライトを向ける。
小さな青白い光、その中に見えたのは―――― ゆっくりとくねる銀色の太い蔓だった。
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