罅割れ殻の歌 005

禁転載

刺すような目でリルヤをねめつけてくる少女は、ふわふわとした真白のワンピースを着ている。
ほっそりとした体から伸びる細い足。膝上までの茶色いロングブーツはここまで歩いてきたとは思えぬ程艶やかだ。
長い髪は肩から巻いてあり、勝気そうな貌には薄く化粧が施されている。
だがリルヤには、艶やかに引かれた薄紅よりも、彼女の赤い瞳の方が美しく映った。
「綺麗」
思わずそう呟くと、だが彼女は眉を吊り上げる。
「は? 何あんた」
そのままつかつかと歩み寄ってきた少女は、カナンを押しのけると白衣の胸元を両手で掴んだ。
「なんであんたがヒズの服着てるのよ」
「え、あ、ごめんなさい?」
「ってか、結構胸あるし! むかつく!」
「あの、脱がさないで……」
ぎゃあぎゃあと騒いで揉み合う二人に、ヒズが苦い顔で立ち上がった。リルヤに掴みかかっている少女を後ろから抱え上げる。
「いい加減にしろ」
「ちょっとヒズ! どうしてあたしの方を止めるのよ!」
「お前の方が煩い」
暴れる少女と、それを持ち上げている青年。状況についていけないリルヤの肩を、少年が叩いた。
「今のうちに服直せよ」
「あ、うん」
リルヤは留め金が歪んでしまった白衣を直す。
下には黒いワンピースを着ていたからいいものの、掴まれた服は肩からずりおちかけていた。
顔を上げると、赤瞳の少女はヒズの肩の上から敵意に満ちた視線を送ってくる。隣からカナンがその顔を親指で指した。
「あいつ、サフィっていうんだけどさ、ヒズのことが好きなの」
「あ、なるほど」
「好きなんて簡単に言わないでよ! 愛してるの!」
「いいから静かにしろ」
ぞんざいな注意と共に下に投げられて、サフィはよろめいた。けれどそれも一瞬のことで、少女は転げるようにしてまたすぐにリルヤの前へと戻ってくる。
ただ学習したのか、今度は掴みかかることはせずに正面から睨んできた。そんな彼女を、リルヤは純粋な驚きと興味を以って見返す。
「ヒズを愛している?」
「そうよ。悪い?」
「それって、どんな気持ちか聞いてもいい?」
「は?」
サフィの赤い目が丸くなる。その瞳に見入っていたリルヤは、次の瞬間「馬鹿にしてんの!?」とまた掴みかかられた。


完全に取れて歪んでしまった留め金は、がらくたの山に投棄された。
代わりに似たようなものを探して白衣に縫い付けながら、リルヤは横目でサフィを見る。
あの後すぐにヒズによって再び引きはがされた彼女は、リルヤが下で着替えている間に彼から事情を聞いたらしい。小さな廃棄ブロックの上に座って気まずそうに膝を抱えていた。ちらちらと窺ってくる赤い眼を、リルヤは近くでじっと見てみたい衝動に駆られる。
「あの」
「なによ」
「そっち行ってもいい?」
「……いいけど」
許可をもらったリルヤは飛び上がった。いそいそとサフィの前へ向かう。廃棄ブロックの前にしゃがみこんで、彼女は黒髪の少女を見上げた。
「質問、していい?」
「何を聞きたいのよ」
―――― 何を聞こうか、と。
考えるだけで胸が膨らむ。ヒズを訪ねて来る人間はこの十日の間にも何人かいたが、こんなに鮮烈な人間は初めてだ。
外見の美しさもさることながら、生きているということ自体が輝きであるかのように、眩しい。
上等な細工物の如き容姿の少女は、リルヤに片目だけを細めてみせる。
「何でも聞いてみなさいよ」
「じゃあ……サフィはエリア10に住んでるの?」
「いきなり呼び捨てか。じゃああたしも呼び捨てするから」
「うん」
「エリア10には生まれてすぐ移住してきた。これでいい?」
「そうなんだ……。ありがとう」
サフィの格好は、最初のリルヤと大差ない薄着である。今まで灰色の屑拾いたちとヒズしか知らなかったリルヤは、新たに見る種の住人に感動した。
まだ質問してもいいだろうか、とそわそわする彼女に、サフィは呆れた目を向ける。
「あんたって本当に子供みたいね……。記憶なくなると人間ってそうなるの?」
「どうだろう。分からない」
「まだ何か聞きたいの?」
「うん。いい?」
期待の目を向けられて、サフィは助けを求めるように他の二人に視線を送ったが、少年は苦笑して肩を竦めただけで、ヒズにいたっては顔を上げもしなかった。大きな子供に取り付かれた彼女は、諦めたように両手を上げる。
「あーもー。聞きたいならどんどん聞けばいいじゃない」
「本当?」
「難しいことは聞かないでよ。分かんないから」
「サフィのこと聞きたい。―――― 君は、屑拾いはしてないの?」
こんなに綺麗な人間が、普段は何をしているのか。
未だ己の容姿に自覚のないリルヤにとって、目の前の少女はとても稀少な存在に思える。
ドームの緑が穏かな清冽を印象づけるとすれば、サフィは眼前を貫く赤光のようだ。
その印象の核となる瞳を煌かせて、彼女は自分のワンピースの裾を摘んで見せた。
「あたしは仕立て屋よ。父は屑拾いだけど」
「服を作れるの? これもそう? 凄い、可愛い」
「当然でしょ」
顎をそらして言い放つ少女は、つんとした態度を崩さぬものの、自分の仕事を誉められて悪い気分ではないらしい。
僅かに綻んだ表情に重ねて、リルヤは質問をぶつけた。
「他にはどんなものを作ってるの? 材料は? 道具は? 自分で服を考えるの? 一着作るのにどれくらいかかるの?」
「あー、うるさい! ちょっとずつ聞きなさい!」
「あう」
鼻をつままれたリルヤは情けない声を上げる。
それから約二時間、サフィを父親が迎えに来るまで、リルヤはべったりと少女にくっついて己の好奇心を満たしたのだった。



来客が帰ってしまった後の夜のドームは、いつも以上に重い静謐の中にあるようだ。
息の音さえやけに響いて聞こえる空間。青白いランタンを手に木々の間を見回ったリルヤは、地下に戻ると足を洗う。
彼女の定位置である池の真下には、いつものように淡い緑の光が揺れていた。
厚い布をたっぷり集めて作った寝床、枕元には今日拾った本や錆びたペンダントが浅い箱に並べられている。
リルヤは布の上に座り込むと、自分の体を見下ろした。素肌の上に着ている白衣が緑に染まって、その上を魚の影が泳いでいく。
小さな影が足の上を伝って消えると、彼女は部屋の隅へと視線を向けた。そこには机に向かうヒズがいて、小さなライトを頼りに作業をしている。
今この時ならば溜息であっても彼に届くだろう。少女は遠く見える青年へと声をかけた。
「ねぇ、ヒズ」
「なんだ」
「サフィはまた来てくれる?」
別れ際にもそう彼女に尋ねたのだ。
振り返ったサフィは「当たり前でしょ。あんたのせいで全然ヒズと話ができなかった」と膨れ面をしていたが、不愉快にさせてしまったのならいつ来てくれるか分からない。
静寂が当たり前になるにつれ不安になってしまったリルヤは、白衣の胸元を握った。
「本当にまた来てくれるかな。私から行ってみてもいい?」
「やめておけ。あいつは一仕事終わるとここに来る。お前から行っても邪魔になるだけだ」
「そうなんだ……」
「それにお前はあいつ以上に目立つ。《サンドバンク》にまで行けば面倒なことになる」
「サンドバンク?」
「外郭近くにある居住区だ」
それが具体的にどんな場所かは分からないが、確かに物知らずな自分が行ってはサフィに迷惑がられそうだ。
思いつきを諦めたリルヤは、膝を抱えて横になる。池越しにドームの天井を見上げた。
「ヒズ―――― 愛してるってどんな気持ち?」
「人それぞれだろう」
「そうなんだ」
それは少し不思議なことに思えた。同じ言葉なのに違う感情になるのは、どうしてなのだろう。
知らないこと、教えてもらったこと、渾然として判別がつかないそれらを少女は整理しようと試みる。振り向かない男へと、その断片を投げた。
「じゃあ、ヒズにとってはどんな気持ち?」
今日の彼への質問はそれだ。
返ってこないかとも思った問いかけ。しかし彼は数秒の前をおいて答える。
「―――― 全て解体して見てみたいと思う気持ちだな」
「そっか。ありがとう」
ならばヒズがサフィを愛した時、あの綺麗な少女はバラバラにされてしまうのだろうか。
そんなことを考えながら眠りについたリルヤは、がらくたの山の中からサフィを拾い集める夢を見た。



日中ドームの中に水を撒くのは、リルヤの役目だ。
ドーム内にいる時は基本的に裸足の彼女は、鼻歌を歌いながら黒いホースを引く。
来客はいつも唐突に来るが、初見の客の前に彼女が出て行くことはまずない。ヒズが「来てもいい」と言って初めて顔を出すことが出来る。
そうして相手が許してくれるなら、いくつか質問をする。
そんな風に日々を過ごしていたリルヤの前に、赤い目の少女が再び現れたのは二週間近く過ぎた後のことだ。
前回とは違う赤いノースリーブにフリルのミニスカート、相変わらず気配からして鮮やかな彼女は、前と同じように艶のある声で「ヒズ、いる?」と青年を呼んだ。
その声に本人が返事をするより先に、リルヤはホースを放り出してドームの入り口に飛び出す。
何やら大きな箱を持ってきたサフィは、彼女を見るなり片眉を上げた。
「あんた、まだいたの?」
「うん。あのね、サフィを待ってた!」
「あ、そ」
どうでもいいような返事からして、今日は付き合ってはくれないかもしれない。
だが前回彼女を独り占めしてしまったのだから、我儘は言えないだろう。リルヤは落胆を見せぬようにして大人しく引き下がろうとした。
しかしサフィは彼女に向かって、ドームの奥を指さす。
「ちょっと来なさいよ」
「え、なに?」
「仮縫いするから。その白衣脱げ」
「え」
言われたことが飲み込めない彼女の手を強引に引いて、サフィはどんどんドームの中へと入っていく。
いつものようにがらくた山の向こうに座す青年に、少女は当然のように微笑んだ。
「ヒズ、この子と下を借りるね」
「勝手にしろ」
「え?」
主人の了承を得て、二人は地下への階段を下りていく。裸足のリルヤが最後の一段を降りると、サフィは腰に手を当てて振り返った。
「だから、服作ってやるって言ってんの。あんたもいつまでもヒズの服借りてるんじゃないわよ」
「え、本当に?」
「本当だから脱げ」
そう言って天窓の下へと箱を置く少女に、リルヤは喜びの声を上げて後ろから飛びついた。