罅割れ殻の歌 004

禁転載

エリア10の住人の蔑称に「砂モグラ」というものがあることを、カナンは知っている。
ゴーグルやマスクを手放せず、また肌を守る為に全身灰色の彼らを、他のエリアの人間が揶揄して呼び始めたものだ。
ここで暮らす大人たちは、よそからそう呼ばれると大抵怒るが、カナンは別になんとも思わない。
実際、屑拾いをしている時の格好は灰色のモグラに見えて仕方ないのだ。この状態では個人の区別をするのも難しい。
だがそれは、悪いことばかりでもないと彼は思う。
いつもは仕事が終わった後に立ち寄る鑑定屋を、先に訪ねたカナンはドームの主人に手を振る。
「や、リルヤいる?」
「いる。―――― カナンが来たぞ」
青年の、大きくはないがよく通る声が地下に届くと、すぐに軽い足音が階段を駆け上がってくる。
大きすぎる白衣の袖をまくって着ている少女は、カナンの顔を見るなり嬉しそうに破顔した。
「カナン! いらっしゃい!」
「よ。生活慣れた?」
「うん」
裸足で跳ねる少女は、上手くいっているという表れのつもりか、隣の青年に飛びつく。
ヒズはそれを鬱陶しそうに手で払った。

屑拾いが《デッドエンド》まで行くことはそうない。
マスクをつけているとはいえ、そこは有害物質がそこかしこにこびりつく不毛の場所だ。
売れるものが拾えたとしても、除染の手間がかかる。そこまでを引き受けてくれる人間はほとんどいない。
割に合わないと皆が避けるのだ。だが代わりに余計な競争もない。
体格や力で大人に負けるカナンは、その為しばしば《デッドエンド》まで足を伸ばしていた。
―――― 十日前にそうして拾った少女は、彼が今まで見つけたものの中でも特別だ。
年齢は十六歳前後に見える。透き通るような白い肌に細い四肢。身長はどちらかと言えば高めだろう。
ただ比較対象がエリア10の数少ない女たちである為、実際のところはどうか分からない。
このエリアで暮らす女たちはほとんどが不健康な容姿をしており、がりがりに痩せているものばかりだ。
それに比べるとリルヤは柔らかな肉付きの体をしており、カナンの目に何処までも「女」に映った。
気がつくとじっと見入ってしまう美しい顔立ち。光の加減によっては冷たくも見える貌は、けれど子供のような表情に相殺され、愛らしいものになっている。
肩につくくらいの髪は日の光にあたると艶やかな温かみを持ち、触れるとどの糸よりも柔らかく指先を滑った。
灰色の屑ばかりの《デッドエンド》で見つけた、宝石のような少女。
記憶を失っているという彼女はおそらく、本当は他のエリアの住人であったに違いない。
今ここでこうしているのは、奇跡のようなものだ。
ヒズの白衣をだぼだぼと着ている彼女は、屈託ない笑顔をカナンに向けてくる。
「今日はこれから拾いに出るの?」
「そう。リルヤも来るか誘いに来た。今日はゴーグルと作業着も持って来てるから」
「行く!」
一式を手渡すと、彼女は着替える為に地下へ戻っていった。
忙しない少女にヒズが眉を寄せる。
「何処に行くんだ?」
「《デッドエンド》近く。あの辺なら人がいないしさ。作業着着てればリルヤでも目立たないだろ?」
「そうか。気をつけろ」
無愛想な鑑定屋は、それだけしか言わなかった。すっかり「砂モグラ」となって戻ってきたリルヤが「いってきます!」と手を上げた時も、軽く頷いただけで、彼女を見ようともしない。
だがそういう表面的な態度はともかくとして、彼はリルヤを疎んではいないのだろう。
ドームに転がり込んだ少女がすっかり青年に懐いていることからしても、それはよく分かる。
カナンは彼女と並んで《デッドエンド》の方へと向かいながら、鑑定屋について聞いてみた。
「ヒズはあれ、怒ったりするわけ?」
「怒らない。私が悪い時はちょっと機嫌悪そうになるけど」
「優しい?」
「優しい。今は一日一つだけ質問させてくれる。あと料理も一日一つずつ教えてくれる」
「うわ、マメだ……」
なんでも青年が最初に教えたのは、洗濯の仕方だったらしい。
気になって翌日にカナンが見に行った時、ヒズが水の滴る白衣を着ていたのはそのせいだろう。
ゼロから始めて少しずつ色々なことを覚えている少女は、力強く拳を握った。
「今日はカナンの役に立つよう頑張る」
「あ、うん、ほどほどに……」
妙にやる気を出されても、おかしな失敗をされそうで怖い。
そうこうするうちに二人は、崩れかけた小さなビルの前で足を止めた。

「今日はここにするか」
「中を見るの?」
「そう。足場が崩れてたりもするから離れるなよ」
入り口に積まれた瓦礫を乗り越えて、カナンは少女へと手を伸ばす。その手を支えにリルヤはすんなりと中に入ってきた。
砂埃だらけの内部は、かつては何かの事務所であったらしい。傾いたデスクや椅子がいくつも転がっている。
カナンは背負っていた工具を抜き取った。
「オレが引き出しとかこじあけてくから。何かよさそうなのあったら袋に入れてって」
「見分け方とかってある?」
「貴金属とか、まだ綺麗で使えそうなものとか。パーツ品はオレが見分けるからとりあえず全部突っこんどいて」
「分かった」
はりきった様子で布袋を広げた少女は、けれどすぐに何かに気づいたのか首を傾げる。
「ね、これ、勝手に持って行ってもいいもの?」
「ああ。この辺は隔離領域だから。置いていったものは所有権を放棄したと看做されるんだ。
 大事なものなら持って逃げただろ」
「そっか」
納得したらしいリルヤに、カナンはマスクの下で苦笑する。
実際は逃げる間もなく死亡した人間も多数いたのだ。そのような人間の遺物を所有権の放棄としたのは、過酷なエリアに残ることを選んだ者たちの苦肉の判断だろう。
カナンの母親も、当時赤子だった彼を残して街中で死んだという。
だが爆発に巻き込まれ即死したという母がどの地点で死亡したのか、彼は結局聞かされることはなかった。
手際よく引き出しをこじ開けるカナンに、リルヤは感嘆の声を上げる。
「すごい。こつがあるの?」
「さあ? 強いて言うなら躊躇わないことか」
逡巡は、生きていく上で時に命取りになる。
ましてや感傷などに捕らわれている暇は少しもなかった。
細い隙間にへら状の工具を入れて引き出しを開けては、カナンはその中を一瞥する。
大抵は砂だらけで使えないものばかりだが、たまに掘り出し物も混ざっていた。彼は小さなキューブがたくさん入れられた透明のケースを取り出す。
「お、ナイス」
「なにそれ」
「エイ・キューブ。人間の生体エネルギーに反応して小さい機器の動力源を作るやつ」
「あ、マスクとかに入ってるもの?」
「そう。これはいくらあっても困らない」
言いながらカナンはケースを腰の袋に押し込んだ。
次の引き出しに手をかけた時、リルヤの嬉しそうな声が聞こえる。
「カナン、本が入ってる」
「そりゃ骨董品だな。持ち主が好事家だったんだろ。状態がよけりゃ高く売れるけど……」
リルヤが持ち上げているものは、どう見ても埃だらけでよれよれに歪んでいる。
それでも好きな人間なら買うだろうが――――
「リルヤが読みたいならやるよ」
「え、本当? いいの?」
「いいよ」
許可を出すと、少女はみるみる嬉しそうになった。とは言え、彼女の顔はゴーグルとマスクで見えない。
ただ、いそいそと小さな本を作業着のポケットにしまっているところからして、やはり嬉しいのだろう。
「ありがとう、カナン」
澄んだ声は、耳に心地よい。
おかげで彼はそれからの数時間、気分よく作業を進められた。



成果は大量と言えば大量だが、実際はいつも通りだ。
いつも通りの「屑」とリルヤが興味を持って拾ってきたがらくた。 それらを持ち込まれたヒズは、いつものように軽く口元を曲げる。
「全部鑑定にかけるのか?」
「あー、いや、こっちの袋だけ。そっちはリルヤの私物」
「下で洗ってきていい?」
「砂が詰まらないようにしろ」
ヒズが許可を出すと、少女は「すぐ戻るね!」と階段の下に駆けていった。
忙しないその姿が見えなくなると、カナンは自分の袋から拾得品を広げはじめる。エイ・キューブのケースだけは自分も使うものなので作業着のポケットに押し込んだ。
ヒズが手袋を嵌めて一つ一つの品を鑑定していく。
普段通り手際よく分類される拾得品を、カナンはがらくた山の前に座って眺めた。
「な、いつまでリルヤを置いてやるんだ?」
「俺が置いているわけじゃない。あいつが勝手にいるんだ」
「ヒズにとってはそうかもしれないけどよ。追い出さなきゃ置いてやってる、なんだよ」
「そうか」
受け答えをしている間にも青年の手は止まらない。手を止めていないからこそあっさりした返事になるとも言えるのだろうが、実際ヒズはいつ話しかけてもこんな感じだ。
カナンは膝の上に頬杖をついた。
「多分あの子、他のエリア出身だよな」
「かもな」
「今頃探されてるんじゃないか? いいところのお嬢さんかもしれない」
「どうだろうな」
興味のなさそうな様子からして、ヒズは彼女の家を探したり記憶を取り戻させたりするつもりはないらしい。
予想はしていたが、その答にカナンはほっとする。
「ま、ずっと記憶がないままだったら、そのうちここから嫁に出してやってよ」
「出て行きたくなったら自分で出て行くだろう」
男の声は、白衣の上に落ちる砂と同じく乾いていた。壊れていると看做された回路が、がらくた山の上に放られる。
それは少しだけ山のバランスを崩し、カナンの方に薄い鉄板が滑り落ちてきた。
少年は傷だらけの鉄板を取り上げる。
「……ヒズさ、最初に彼女を連れて来た時、『実験体みたいだ』って言ったよな。あれってどういう意味?」
「そんなことを言ったか?」
―――― 嘘をついている。
彼が自分の発言を忘れるはずがないのだ。カナンは軽い緊張を覚えたが、話題を避けるならそれなりの理由があるのだろう。
そうしているうちに、白衣に着替えたリルヤが刷毛を手に戻ってきた。ヒズの隣にしゃがんで、鑑定の終わったものの砂を取り始める。
いたって平和な、穏かな時間。
しかしそれは、ヒズが顔を上げたことにより唐突に終わった。
「リルヤ、しばらく下に行ってろ。カナンと一緒に」
「え? うん」
「なんだよ急に」
まだ鑑定も終わっていないのにどうしたのか。不審に眉を寄せたカナンが、わけを理解したのは直後のことだ。
ドームの入り口から、細く高い声が聞こえてくる。
「―――― ヒズ、いる?」
「げ……あいつか。リルヤ、下行くぞ。見つかると面倒」
「誰?」
「下で教えてやるよ」
そう言ってカナンがリルヤの手を引こうとした時、けれど青年の溜息が聞こえた。
嫌な予感に振り返ると、既にそこには「彼女」が立っている。
長い黒髪に挑戦的な赤い目。きつめの顔立ちは美しく、だが見るからに棘が感じられた。リルヤとそう年の変わらない「彼女」は、開口一番叫ぶ。
「何その女!」
―――― 見つかってしまった。
これからのことを予想して、少年は思い切り溜息をつく。その隣でリルヤは、自分の顔を指差して首を傾げた。