禁転載
ヒズと名乗る男の年齢はよく分からない。
少なくともリルヤよりは年上なのだろうが、手入れされていない髪と髭のせいで年齢不詳に見える。
灰緑の左目は検分するように彼女を眺めていたが、リルヤはその間、見えない右目はどうなっているのだろうと考えていた。
隣で彼女を連れて来た少年が付け足す。
「この子、《デッドエンド》でうろうろしてたから拾ったんだ。この格好でだぜ。迷子だろうけどこれじゃ外歩けねえからさ。
こないだ持ち込んだマスクまだある?」
「壊した」
「はえーよ……」
がっくりと肩を落とす少年は、けれどある程度その返事を予想していたのだろう。がらくたの山の隣に回ると、ばらばらにされたパーツを探り出す。
「ちょっと待ってろよ。適当に作ってやる」
「あ、ありがとう。君は」
「オレ、カナン。ただの屑拾いだ」
「屑拾い……」
その言葉の言わんとするところは分かるが、単語自体は耳馴染みがない。
とは言え、そもそも記憶のない彼女だ。耳馴染みのある言葉など存在しないのかもしれない。
何処へ行き何をすればいいのか。足場のない不安にリルヤが蒼ざめていると、正面から乾いた声が問うてきた。
「何処から来たんだ?」
「……分からない」
「出身は? 何処で生まれた?」
「知らない。―――― 何も思い出せない」
吐き出した呟きは、がらくたの上にからからと転がっていく。
二対の視線が訝しげに少女を見上げ、リルヤは小さくかぶりを振った。
「本当のこと。私、ついさっき知らない部屋で起きたの。そうしたらそれまでのこと何も覚えてなくて」
「記憶喪失ってこと?」
「多分……」
「名前は?」
そう聞いてきたのはヒズだ。左手に持った何かを解体中の男は、既にリルヤではなく自分の手元を見ていた。
彼女は慌てて言いつくろう。
「名前は書いてあったの」
「何処に?」
「私がいた部屋に。それを見て、自分の名前だって思ったから」
あの感覚はどう言えば通じるのか。嘘をついているとは思われたくないが、嘘に聞こえてしまうのかもしれない。
だが当のヒズは「そうか」と言っただけで、彼女を疑う様子はなかった。
ほっとする間もなく、カナンが手に持った金属輪を掲げて問う。
「それってでも、帰る場所が分からないってことか?」
「うん……」
「え、まじで? どうすんの?」
「どうしよう」
間抜けな受け答えになってしまったが、何をすればいいのか分からないのは事実だ。
カナンは金属輪に指を入れてくるくると回しつつ、鑑定屋を見る。
「あんた医者でもあるだろ。治してやれば?」
「頭をバラせばいいのか? 戻せないがいいか?」
「よくない!」
慌てて首を横に振る彼女から、ヒズは興味がないように視線を逸らした。手元の工具を持ち替える。
「記憶喪失でも別に大して困りはしないだろう。過去を捨てたやつなんて、この辺にはいっぱいいる」
「ああ、言われてみりゃそうか」
「え……何か違う気がするよ……」
自身の選択で過去と決別した人間と、記憶喪失で過去が分からない人間では、事情の差異は明らかだ。
けれど、がらくたの山に向かい合う二人は、まるで話は終わったとばかりにそれぞれの作業に戻っている。
かちゃかちゃと金属の鳴る音だけが響くドーム内、思考を挫かれ思わずぽかんとしてしまったリルヤは、けれど同時に不安も薄れていることに気がついた。彼らの言うように開き直った訳ではないが、自分一人で考えていたより大問題ではない、気もする。
「私は……」
サイズの合わない靴に視線を落とした彼女は、自分だけ立ったままの状態に気づくと、そろそろとしゃがみこんだ。目の前に落ちているレンズを拾い上げる。
分厚いレンズは薄く緑がかっており、目の上にかざしてみると生い茂る木々がくっきりと輪郭立って見えた。
外の灰色とはまったく異なる美しい葉々。リルヤは作業着姿の少年を振り返る。
「ね、この辺って、人は住んでないの?」
「場所によってはね。このエリアは三年闘争で……って、それは覚えてる?」
「全然」
言葉は分かるし、一般的なものの使い方なども分かるのだが、他のことについてはさっぱりだ。
カナンにもそれは伝わったのか、少年は一呼吸おいて話し始めた。
「ここはエリア10。ルーディルスタイアの北西部にあるエリアな」
「ルーディルスタイア?」
「え、そっからして分からねえの?」
驚く少年に頷くと、カナンは「はー、そっか」と息をついた。手に持っていたパーツの代わりに細い針金をがらくたから探り出す。
彼はそれを使って、柔らかい地面の上に円を描いた。
「ルーディルスタイアってのは、オレたちが今いるこの都市な」
「丸いの?」
「丸い。で、この中が12のエリアに分かれてるわけ」
言いながらカナンは放射線状に線を交差させ、円の中を均等に区切っていった。
中央を通る六本の線によって分断された、同じ広さのエリア。そのうちの一つを針金の先がつつく。
「ここな、ここ」
「どれも同じに見えるけど……」
「ま、こうやって描くとぶっちゃけ同じ。でも実際は全然違うんだよ。
たとえばエリア7とかはタワーからかなりの権限もらってるから、富裕層ばっかりが住んでたりする」
「へえ……。エリアの並びってやっぱり番号順?」
「番号順。右回りな」
土の上の地図を示す少年に相槌を打ちながら、けれどリルヤは、先程と同じ「タワー」という単語が引っかかって頭を振った。
記憶にはないが、「覚えがある」とでも言えば近いだろうか。気にしていると、カナンが円の中心を針金で叩く。
「タワーはここな。ルーディルスタイアの中央に建ってる」
「誰が住んでるの?」
「知らね。都市の支配層とか言われてるよ。それにしちゃ全然表に出てこないし、代わりにエリア7のやつらがいばりくさってるけどな」
吐き捨てる響きには、年相応の潔癖さが混ざっているようだ。
ルーディルスタイアというこの都市はどういう状況で、住民はどのように暮らしているのか。リルヤは自分の記憶がない代わりにその表情をよく覚えておこうと思った。
カナンは少女の視線に気づかず続ける。
「で、まぁ、今も言ったけどエリア間の格差ってのは色々あってさ。それを不満に思った人間同士で争いになったんだよな。
そういう揉め事は今までにも何度かあったらしいけど、大きいのが十一年前にあった三年闘争。
エリア10は三年闘争の時にぼろぼろにやられちまって、その時使われた武器の影響で建物や路面が汚染されちまったわけ」
「汚染?」
「建材に有害物質が染みついてる。今じゃ大分薄れてるらしいけどな、砂塵を吸い込むと体壊すんだよ。
あんたがいた辺りは《デッドエンド》って言って、特にその汚染がひどかった場所だよ」
「え……」
「ま、短時間なら大丈夫だよ。たぶん。心配ならヒズに診てもらえ」
名前を出されて鑑定屋が顔を上げると、リルヤは慌てて顔の前で手を振った。
「大丈夫。大丈夫だから解剖しないで」
「……すっかり刷り込まれちゃったみたいだな」
バラしたがりの男はともかくとして、大体の話は理解した。
十二に分かたれた円形の都市とエリア間で起きた戦闘。汚染されてしまった建物を放棄して、人々は去っていったのだろう。
後には灰色の崩れた街だけが残された。リルヤは自分の膝に頬杖をついて、少年を見やる。
「カナンはこのエリアに住んでるの? 今でも住めるところはあるの?」
「こっからはちょっと離れたところだけど、エリア10の中に住んでる。ひでえところだけどさ。この時代どこも一緒だよ」
「エリア7以外は?」
「そう」
二人は顔を見合わせて笑う。
諦観というよりも、あるものをあるように受け止める生き方が、カナンの基本姿勢であるのだろう。
砂だらけの少年は笑いを収めると、真面目な表情になった。
「オレもエリア10の住人全員を知ってるわけじゃないけどさ。リルヤはこのエリアの人間じゃないと思う」
「薄着だから?」
「それもあるけど、あんたみたいな綺麗な人間、このエリアにいたら噂にならないはずがないよ」
「え」
反応に困って、リルヤは自分の頬に触れる。
「私、自分どんな顔してるか知らない」
「記憶喪失ってそんなことまで忘れちまうのか。すげー綺麗な顔してるよ。他エリアにいる女優なんかよりずっとさ。
……一人で外歩かない方がいいぜ。《デッドエンド》まで来る人間は滅多にいないけど、この辺は時々人が来るからさ」
「解剖される?」
「売られる」
肩を竦める少年は、リルヤよりも余程大人びて皮肉に笑った。
「このエリアは勿論、他のエリアもそう治安はよくないんだよ。そういうところでは、人より秀でてるってのは利点にならないんだよな。
隠しておかないと狙われる理由になる。ま、この辺は女の一人歩きって時点でもうよくないけどな」
「気をつける……。ありがとう」
あのまま一人で《デッドエンド》を彷徨っていたなら、体を壊していたか誰かに攫われていた可能性もあるのだろう。
リルヤは声をかけてくれたカナンに感謝し、己の幸運にほっとした。
少年は地図を描いていた棒で、ヒズを指す。
「行くとこないっていうなら、今日はここに泊まらせてもらえよ。オレの方は女の子なんて連れて帰れないからさ」
「か」
「解剖はされない。―――― それでいいだろ? ヒズ」
「好きにしろ」
ドームの主人である男は、まるで他人事のような素振りだ。
自分の手元から目を離さない彼を、リルヤはまじまじと見つめる。
よく分からない相手だが、悪い人間ではないようだ。彼女は膝立ちになると頭を下げた。
「あの、よろしくおねがいします」
「……無用心だな。カナンの話を聞いていたのか?」
「聞いてたよ。どうして?」
呆れたような男に、リルヤが不思議に思って聞き返すと、マスクの組み立てに戻った少年は小さく微笑む。
「あんた、何も知らない子供みたいだな」
―――― それは、本当のことなのかもしれない。
あの小さな灰色の部屋で目覚めた自分は、子供と大差ない無知者であるのだと、今更ながらリルヤは自覚した。
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