悲劇の後に飛ぶ鳥は蒼く 002

禁転載

「生きてる」
それは当たり前のことであったが、口に出して呟くと幾許かの安心感がある。
オーティスは、触れた指先から少女の体内へと魔力を注いだ。どこか怪我をしていないかを探る。
返ってきた反応は異常なしというものだ。彼は安堵して、眠ったままの少女の腕に手をかけた。
「おい」
軽く揺すってみたが、彼女が目覚める様子はない。小さな体は安らかな寝息とともに上下しているだけで、彼女は身じろぎもしなかった。
「なんつー無用心」
オーティスは彼女のかたわらにしゃがみこんで悩む。
いくら道から見えない場所とはいえ、このような場所に少女を置き去りにすることはできない。
だが自然に起きるのを待っていては、いつまでかかるかもわからないだろう。彼は自分の右手を見た。
「とりあえず拾って、町まで魔法で転移するか」
移動先の転移座標さえ取得してあれば一瞬で移動が可能なこの魔法は、普段ならオーティスも用心して使わないものだ。
だが人目につかない場所までであれば、さほど問題もないだろう。
彼は詠唱とともに両手の中に魔法構成を生んだ。魔力でできた細い線がみるみるうちに複雑に絡み合い、三つの円を主とした立体を作り出す。オーティスはできあがった構成を発動させるため、改めて魔力を注いだ。
―――― しかし転移魔法が発動するより一瞬早く、少女の瞼がかすかに震える。
ゆっくりと開いた目。白い睫毛の下からは青い瞳が覗いた。澄み切った泉のような目は、空中をくるりとさまようと、オーティスの上で止まる。
その視線には何の感情も感じられない。無垢な赤子と同じ眼に見つめられた彼は、ぎょっとして思わず手元の構成を崩してしまった。
少女の長い睫毛から砂粒が落ちていくのが見える。彼女は横になった状態のまま尋ねてきた。
「誰?」
掠れた響きの問いに、オーティスはすぐには答えられなかった。
名も知らぬ少女の瞳は、まるで人の運命を見通しているかのように、覗き込む者をたじろがせる力を持っていたのだ。
警戒も安堵も感じさせない彼女は、両手をついて上体を起こす。乾いてひび割れた唇が動いた。
「誰? 何してるの?」
「……そりゃこっちの台詞だ。こんなところで何してるんだ?」
今二人がいる場所は、道沿いではあるのだが集落からは大分離れている。ろくに体力もないような少女が単身歩いて来られるようなところではない。おそらく馬車などに乗っていて逃げ出したか何かだろう。
オーティスは少しだけ迷ったが、一番高いと思われる可能性を口にした。
「奴隷商人に売られたのか?」
見目のよい少女がさらわれて売られるということは決して珍しいことではない。ましてやそれが魔力持ちの娘であるなら尚更だ。
オーティスは言いながら彼女の足下を確認したが、細い足首に枷の痕などは残っていなかった。
少女は数秒の間を空けて、首を横に振る。
「売られてきた、わけじゃない」
「ならどうしてこんなところで倒れてたんだ?」
「空を飛んでて、疲れたから」
「空?」
彼女はそこで何かに気づいたのか目をまたたかせた。じっとオーティスを見上げる。
「言っちゃだめだった。忘れて」
「ん? 何を?」
「飛んでたこと。嘘なの」
抑揚のない言葉は、実は下手な言い訳であるのかもしれない。彼女は、人間に見つかった野生動物を思わせる様子でオーティスを注視した。じっと様子を窺われ、彼は思わずふきだしそうになる。
「気にするな。俺も魔法士だから」
「魔法士?」
「ああ」
オーティスは嘘ではないことを示すため、掌の上に小さな光球を生んで見せた。少女はそれで納得したのかこくこくと頷く。
「わたし、西に行こうとしてたの。西にある国に」
「ああ……そうか」
彼が魔法士の国を作ってからというものの、そこを目指して逃げてくる者は後を絶たない。生まれた子に魔力があったということで、赤子を抱いて駆け込んでくる母親もいるくらいだ。
彼女もそのように安息を求めて来た一人なのだろう。オーティスは痩せた少女が辿ってきた道程を想像し、ふっと表情を緩めた。
「よく頑張ったな」
苦労したであろう少女の肩の砂を、手でそっと払う。
同胞に向ける心からの労わり。彼女はその時初めて、驚きでもしたのか大きく表情を動かした。見開かれた青い瞳がまじまじとオーティスを見上げる。
「わたし、がんばった?」
「頑張ったから一人でここまで来られたんだろ。大変だったな」
普通の人間でさえ、今の世で一人旅は困難なのだ。魔法士の彼女が苦労しなかったはずがない。
オーティスは立ち上がると、食事もろくに取っていなそうな少女に向かって、手を差し伸べた。
「とりあえず町にでも行くか。疲れてるだろ?」
「町に? でも、見つかると困る」
「普通にしてりゃ魔法士だってばれないんだよ」
オーティスは彼女の手を取って引き上げる。
よろけながらも立ち上がった少女の瞳は、見慣れぬものを見るかのごとく彼の上を動いた。
表情に乏しいため年齢が読みづらいが、年は十五、六だろうか。少女は乾いた唇を開く。
「名前」
「うん? なんだ?」
「あなたは、名前を、持っている?」
素朴な問いかけは、彼女が厳しい環境に置かれてきたのだろうことを意味している。オーティスは少女に不安を与えぬよう微笑して見せた。
「あるよ。オーティスだ。ただのオーティス」
玉座を下りた彼に残る名はもうそれだけだ。彼は手を伸ばして少女の髪についた草を取った。
「お前のことは、なんて呼べばいい?」
「わたしは、ヴェオフォルミネ」
「ヴェオフォルミネか。いい名前だな」
少女はそう言われて、ふっと微笑んだ。森の泉に差し込む木漏れ日に似た温かさが、埃で汚れた顔に宿る。
確かに彼女が生きている人間だということを思い出させるその表情は、オーティスを少なからず安心させた。
「おいで」
乗ってきた馬を示すと、ヴェオフォルミネは目をまたたかせる。
「連れていくの?」
「乗っていくんだよ」
「わたし、馬に乗ったことない」
青い瞳は興味津々といった様子で栗毛の馬を見上げた。オーティスは笑いながら先に鞍へ上がると少女の軽い体を引き上げる。
「落ちるなよ」
「うん」
前に座らされたヴェオフォルミネは捕まるところを探しているのか、きょろきょろと視線をさまよわせた。
だが結局はオーティスの胸に背を預けることにしたらしい。乱れて浮き上がっている彼女の髪が、彼の顎をくすぐった。
オーティスは片手で手綱を取りながら、片手で少女の体を支える。
彼は指先に無言で魔法構成を生むと、ヴェオフォルミネの腕についた無数の擦り傷をそっと治した。



改めて見れば、彼女は美しい少女だった。
馬で移動した先の大きな街、新しく取った宿の風呂にて埃を落としてきたヴェオフォルミネは、誰もが一目見て唖然とするほどの輝きを放っていた。長い髪も滑らかな肌も透き通るような白さを含んで、一種幻想的な空気を纏っている。
小さな顔は精巧に作られた模造品のようで、すっと通った鼻筋の下にある小さな唇はそれ自体、紅を刷いて見えた。薄青い瞳は硝子玉を思わせる透き通った色だ。
清潔な服に着替えた少女を驚いて眺めていたオーティスは、白金の髪から水が滴っているのに気づくと、慌てて布を手に駆け寄る。
「こら、しっかり乾かせ。風邪引くぞ」
「ちゃんと拭いた」
「全然ちゃんとじゃないだろ。長いからって不精すんな」
がしがしと布で水気を取ったオーティスは、続いて少女を椅子に座らせると、髪を乾かすための魔法詠唱を始めた。
男の手からじんわりとした熱が髪に伝っていくのを、ヴェオフォルミネは目を丸くして見つめる。
「おもしろい」
「そうか。自分でも覚えるといいぞ」
「どうやるの?」
「こうやるの」
オーティスは少女の前に右掌を差し出すと、普段一瞬で組み立てる構成を、ゆっくりと段階を踏んで作り直してやる。熱を発生させ、それを皮膚から隔て、温度を一定に保つ魔法。ヴェオフォルミネは構成を確認したのか小さく頷いた。
「やってみる」
少女は自分の手をじっと見つめる。少し罅割れた肌の上に、魔力が凝っていくのが分かった。普通の腕の魔法士では気づくことも困難なうっすらとした魔力の塊を、オーティスは見守る。
しかしそれが何かの構成となる前に、ヴェオフォルミネは彼を見上げた。
「こんなかんじ?」
「……いや、全然出来てないだろ。それ魔力だけ」
ぼんやりとした魔力を指してオーティスが言うと、少女は首を左に倒す。
「出来たつもり」
「やる気は汲むけどな。魔法ってのは法則があるんだよ。色んな効果を生むにはちゃんと法則にのっとって構成を組まなきゃいけない。
 構成のない魔力だけで出来ることなんて単純な防御と攻撃くらいだ。それだって構成を介在させれば効果は上がる。
 お前だって何かしたい時に道具を使ったりするだろ? 構成ってのはその道具みたいなもんだ。これを使わないと効率が悪いんだよ」
魔法についての初歩の説明は、彼女がどれだけ魔法の仕組みを理解しているのか、確認する意味合いもあった。
けれどヴェオフォルミネはそれを聞いても、きょとんとした様子のままである。
これは本当にまったく魔法の使い方が分かっていないのかもしれない。オーティスは苦笑して髪を乾かす作業に戻った。
「そのうち出来るようになるだろ」
「治る?」
「病気じゃないから気にすんな。魔法士なら学べば誰でも出来る」
白金の髪は手の中で乾いて艶やかになっていく。オーティスは長い髪を全て乾かしてしまうと、軽く一つに束ねてやった。
「これでよし」
「ありがとう」
ヴェオフォルミネはぺこりと頭を下げる。
まるで子供の面倒を見ているような平穏な時間、オーティスの気分は普段よりも少しだけ軽かった。