悲劇の後に飛ぶ鳥は蒼く 003

禁転載

少女は髪を縛られることに慣れていないらしく、しきりに手で頭を触って確認している。
元の席に戻ったオーティスは、少女の前に菓子皿を押し出して尋ねた。
「それで、西の国に行くってトゥルダールでいいのか?」
「う? うん」
形の揃ってない焼き菓子に気を取られていたヴェオフォルミネは、一拍置いて頷いた。
自分からは手を出そうとしない少女に、彼は「食べていいぞ」と促す。
少女の表情は変わらなかったが、青い瞳がぱっと晴れたように見えた。細い指が菓子の小さな塊をつまむ。
「そう。その国に行くの。そう言われたの」
「言われたって誰に? 母親に?」
「ちがう。おかあさんは、もう死んでる」
さらりと返された言葉に悲しみはない。ヴェオフォルミネは焼き菓子を一口齧った。
「オーティス、どうしたの?」
「……なんでもない。悪かったな」
「なにが?」
甘い味が嬉しいのか、かりこりと音を立てて菓子を食べる彼女は、謝られた理由を本当に分かっていないようだ。
哀惜を感じさせない目がオーティスの上を撫でていく。彼は苦笑してかぶりを振った。
「いや……じゃあ誰に言われたんだ?」
「なかまのみんなに」
「仲間? そいつらはどうした?」
彼女の様子から察するに、他にも魔法士がいたのではないか。
何故ヴェオフォルミネは一人でいるのか、訝しく思ってオーティスは問うた。答はすぐに返ってくる。
「みんな残った」
「残った? 何処に?」
「国とか、他のとことか、ばらばら。みんな行っちゃった」
「西には来ないのか?」
「うん」
ヴェオフォルミネは次の菓子に手を出す。
彼女の説明は矛盾していまいち要領を得ないが、おそらく仲間たちは大陸東部に残り、だが各自別行動をしているのだろう。
そして彼女だけが西に逃がされた。オーティスは、伝え聞く大陸東部の現状を思い出し眉を寄せる。
「仲間と今は連絡取れないのか? みんなこっちに呼べばいいだろう」
「とれない。でも、みんな来ないと思う」
「そうか……」
―――― 一人でも多くの同胞に、安心して暮らせる場所を与えたい。
そう願って国を作ったオーティスの気持ちは、今も変わっていない。彼はもう少し食い下がりたいと思ったが、まずは彼女から信用を得ることの方が先だろう。オーティスは話を最初に戻した。
「それで、トゥルダールでいいなら送ってやれるぞ」
「あなたといっしょに?」
「というか、転移で。座標を知ってる」
離れた場所に一瞬で移動出来る転移魔法は、それ自体非常に高度なものではあるのだが、加えて転移先の座標取得が必要なのだ。
大抵の魔法士は、実際一度その場所を訪れることで座標取得を行うが、トゥルダールの座標であれば当然ながら彼も複数把握している。
転移門を開いて彼女を送ってやり、ついでに紹介状を書いてやろうかとオーティスは考えた。
ヴェオフォルミネは手に取った菓子を食べてしまうと、不思議そうに彼を見やる。
「どうして?」
「どうしてって。一人で行くのは大変だろ。まだ結構距離あるし」
「でもわたしは、知らない人なのに」
「ん? 面識がないってことか? そんなの関係ないだろ」
「関係ないって、なんで?」
訥々と重ねられる問いはまるきり子供のそれだ。ヴェオフォルミネは三つ目の焼き菓子を摘まずに指でつついた。
「どうして、親切にしてくれるの?」
青い眼が真意を尋ねる。
皮肉もなく、疑いもない眼差し。少女はただ、本当のことを覗き込む目でオーティスを見上げた。
正面から向けられるそのような視線は、彼に瞬間、昔のことを思い出させる。

『何故救いたいと願う?』

彼にそう問うたのはエルシリアだ。
国を作る為に旅をしていた頃、彼女を召喚し自分の理想を語ったオーティスに、女は皮肉げに尋ねたのだ。
―――― 何故か。どうしてか。
踏み出そうとする度にそれを問われる男は、今もまた己を振り返る。
考えずに答えたことはない。オーティスは幾度も考え、そしていつも同じ結論にたどり着く。
彼は出会ったばかりの少女を前に微苦笑した。
「俺は……魔法士が普通の人間と同じように暮らす姿が見たいんだ」
「ふつうとおなじ?」
「ああ。だからヴェオフォルミネ、お前も誰に追われることもなく普通に生きていい。俺は、その為の手助けをしたい」
かつてただの青年であった彼がその望みを口にした時、周囲の人間たちは馬鹿げた夢物語だと苦笑し、彼を憐れみ、そして諌めた。
だが決してそれはただの夢想ではなかっただろう。今も昔もそう確信しているオーティスは、重い息をつくと焼き菓子を一つ手に取る。
しかしそれを齧ろうとした時、ヴェオフォルミネは首を傾げた。
「―――― だからあなたは、これから先、ずっとそうなの?」
「へ?」
「ずっと、ずっと生きて、そのままで、永遠にそうなの?」
「……お前」
―――― 誰も知っているはずがない。
国にいた時でさえ、彼のその運命を知っている者は、親友の男一人しかいなかったのだ。
このようなところで初対面の少女に見抜かれるはずがない。
だが、そう思いながらもオーティスは、背筋がひとりでに冷えるのを抑えきれなかった。
ヴェオフォルミネは、男の表情の変化に気づいてか、首を横に振る。
「やっぱり、なんでもない」
「何でもないって……」
「わたし、占いしてたから。それだけ」
「ああ……」
十年程前であれば、占い師として生計を立てていた魔法士は多かった。この少女もそのような一人なのだろう。
魔法には未来視を可能にする法則はないが、表情や言動から客の事情を察することは出来る。ならばヴェオフォルミネも、彼の何かしらからそれを読み取ったのかもしれない。オーティスはそう納得した。
彼はかぶりを振って思考を切り替える。
「で、トゥルダールにならすぐ送って行ってやるから。それでいいか?」
「すぐ?」
「すぐ。夕飯は向こうで食べられるぞ」
彼が紹介状を添えれば、ヴェオフォルミネは城で保護されることになるだろう。きっと充分な待遇を受けて、不自由なく暮らせるに違いない。
だがそう思って少女を見ると、彼女は考え込むように首を傾けてオーティスを凝視していた。
見えぬものを探るような目。彼はその眼差しを受けて、軽い緊張を覚える。
「あなたは、来ない? 私だけ?」
「……ああ」
自分から言う前に見抜かれてしまったオーティスは、薄気味の悪さよりも微妙な気まずさを味わった。迷子を預けて自分は行ってしまうのかと、そう問われたような気になったのだ。
彼はどう言い繕おうかと考えて、けれど結局は本当のことを話すことにした。
「俺はもう、あの国に帰る気はないんだ」
「なぜ?」
「役目が終わったから。それに、探さなきゃいけない奴がいる」
建国者であった彼の役目はもはや終わっている。 後はやりのこしたことをやるだけだ。
契約した魔を御しきれずに逃がした王など、トゥルダールのこれからには不要な存在だろう。単純ならざる自らの過去を振り返り、オーティスは肺の中の息を吐き出した。
「大したことじゃない。俺が悪い。俺の問題だ」
「あなたの?」
「ああ。国には関係ない。ヴェオフォルミネ、トゥルダールはいい国なんだ。俺はそう自信を持ってる。
 きっとお前も、お前の仲間も安心して暮らすことが出来る」
オーティスは己の国がある西の方角に目を向ける。宿の小さな窓からは、上空の雲がゆったりと流れていく様が見えた。
澄んだ青い空はけれど、窓にこびりついた埃のせいで不鮮明に灰色がかっている。彼はテーブルの上で十指を組んだ。
「何も気にすることないんだ。お前は――」
オーティスはそこで言葉を切ると立ち上がった。表情を険しくさせ、扉の方を注視する。
何の音も聞こえてはいない。
だが、廊下に彼が張った魔法線からは、確かに「何者かが通った」感触が伝わってきていた。
この部屋は廊下の突き当たりにある。他の部屋の客ということもないだろう。
オーティスは手で少女に動かぬよう指示すると、扉の向こうに声をかけた。
「誰かいるのか?」
扉の向こうにいる人間は、まさか気づかれているとは思っていなかったのだろう。驚いたような白々しい間が数秒生まれた。
平静を装おうとする声が、遅れて返ってくる。
「宿の者だけどね」
「何の用だ?」
「あんたが連れてる娘のことで、ちょっとさ」
ヴェオフォルミネは大きな目をまたたかせた。
「わたし、追いつかれた?」
「ん? いや、違うだろ。これは……」
どう言ったものかオーティスが迷う間に、扉は一度大きく叩かれた。先程と同じ声が張り上げられる。
「どうしたんだい。出られないのかい!」
オーティスは顔を顰めたまま答えなかった。
彼が動かない為か、ヴェオフォルミネが立ち上がって扉を開けに行こうとする。オーティスは慌ててその手を掴んで止めた。
「待て待て」
「でも、わたしが」
「大丈夫だ。―――― すぐに終わる」
どんどんと扉が強く叩かれ始める。それは脅しの意味もあるのだろう。薄い扉が見るからにたわんで、掛け金が耳障りな音を立てた。
これから起こることを予想して、オーティスはヴェオフォルミネを後ろに下がらせた。
扉の外にいる人間たちの間では、建物の修繕費などはあらかじめ話がついているのかもしれない。
安物の掛け金が耐え切れず弾け飛ぶと、部屋には数人の男たちがなだれこんできた。
手に剣を持ち、粗野な空気を放つ彼らは、二人がまだ室内に留まっているのを見て馬鹿にしたように笑う。
「いるならさっさと出て来いってんだ。無駄に扉を外しちまった」
「入って来なきゃよかったんじゃないか? 何のつもりだ」
「分かってるんだろ?」
先頭の男が懐から何かを取り出す。掌に乗る程のそれは、金属の棒を組み合わせて作られた三角錐だった。
枠組みだけの三角錐の内部には、上から細い鎖で平たい針が底面と平行に吊り下げられている。
オーティスはその針が大きく前後しながらヴェオフォルミネを指しているのを見て、溜息をついた。
「魔法士狩りか。こんな中央部にまで来てるとはな」
「最近は東から逃げ出してくる魔者が多いしな。このままのさばらせておくわけにもいかんだろ? 特に若い娘なんかはな」
「ほざいてろ、下種が」
魔法士を捕まえては売り払う彼らの目に、浮世離れした雰囲気のヴェオフォルミネは絶好の品物に見えるのだろう。下卑た口笛が白い少女へと飛んだ。
しかし当の彼女は状況が分かっていないらしく、指を伸ばして彼らの顔を指差す。
「この人たち、なに?」
「ん。魔法士を食い物にしてる奴らだ」
「どうして見つかったの? 外で魔法使ってないのに」
「あー……」
自分が「普通にしていればばれない」と彼女を町につれてきたのだ。結果が異なってしまったからといって、説明しないわけにはいかない。
オーティスは苦い気分で、男たちの一人が持っている三角錐を指さした。
「あれな、魔力を探知する魔法具だ。多分、魔法士を脅して作らせたんだろう。
 単純なものだけど、お前は外に出る魔力を抑えてないからな。引っかかっちまったんだな」
「魔力、外に出てるもの?」
「普通はそうだ。俺が抑えとけばよかった。すまない」
本当は、町に入る前にヴェオフォルミネの魔力を封じるかどうか迷ったのだ。
だがこの少女の魔力は強大で、さっと処置出来るようなものではない。すぐにトゥルダールに送ってしまえば問題は起こらないだろうと思っていた。
結果としては彼の考えは甘かったと言わざるを得ない。柄の悪い六人の男に半包囲されたオーティスは、背後の少女にもう一度詫びる。
「悪い、ヴェオフォルミネ。でも、こんなことはこれっきりだからな」
「そりゃあ、これっきりだろうよ。そこの娘は魔者なんだからな。しかるべき処分をしなきゃあならない。お前とはここでお別れだ」
にやにやと笑う男は、暗黙のうちに少女を差し出せと目で促す。この状況でオーティスが逆らうなど思ってもいないのだろう。
彼は男たちの期待に応えて、右手を上げた。落ち着いた、威の滲む声で問う。
「一つだけ聞いておきたい。お前たちは、魔法士が魔力のない人間からも生まれることは知ってるか?」
魔法士とそうでない者を分ける先天的な力―――― 「魔力」。
その有無が何によって決定されるのかは、実際のところよく分かっていない。
ただ数十人に一人、魔力を持って生まれてくる子供がいるだけだ。
子供は両親が共に魔法士であれば、魔力を持って生まれる可能性が高い。だがそれも絶対ではなく、まったく魔力を持たない両親の子が魔法士となることもあるのだ。
―――― 魔法士とは、魔力とは、全ての人間にとって決して川向こうの存在ではない。
それを知っているかと確認するオーティスに、男の一人は鼻で笑った。
「なんだ急に? 知ってるに決まってる。魔者を人間の母親ごと売ったこともあるからな」
「……なら自分の子供が、いつか同様の目に遭うかもしれないってことも覚悟の上か?」
「ふん、そりゃいいな。魔者を探し回る手間が省ける」
たちの悪い冗談に、男の仲間たちからは笑い声が上がった。
笑っていないのはオーティスとヴェオフォルミネだけで、少女は感情のない貌を、そして男は静かな怒りの表情を男たちに向けている。
冷えた男の声が鞭のようにしなった。
「それならいい」
言っても分からない人種に諭そうとすることは無駄だ、と、かつて友である男はオーティスに言った。
それは往々にして事実だ。残念なことだが、言葉で変えられるものは多くない。
だがそれでもオーティスは、まず言葉を口にせずにはいられなかった。
そして通じなかった後には、力を振るう。
「ヴェオフォルミネ。下がってろよ」
広げた右手に魔力を集める。
その瞬間、少女に向かって前後に揺れていた三角錐の針が、ぴたりと動きを止めた。
手の平に三角錐を乗せていた男が、怪訝そうに横から覗き込む。
「なんだ? 壊れたか?」
ぎしりと、三角錐の枠が歪む。
直後、針は見えざる手に捕まれたかのように、オーティスに向かって引き寄せられた。
細い鎖が音を立てて軋む。その動きが尋常でないことは、目標に向かって振れるはずの針が、強く鎖を引いて戻らないことからも明らかだった。
「なんだこりゃ……」
「その手の魔法具の欠点は、探知を切れないことだ」
針によって限界まで張られた鎖。細い銀を絡めて作られたそれは、ついに高い音を立てて引きちぎられた。
自由になった針がオーティスの手の中へと飛び込む。彼はそれを握りこむと、自嘲気味に笑った。
「だからトゥルダールじゃ、俺の周りにこういう魔法具は置けなかったんだよ。端から全部壊れちまうからな」
探知が効かぬよう自分に施していた術は解いた。
今、彼の手の中に組まれつつある構成はまったく違うものだ。力を細い線として紡ぎ、オーティスは複雑な術を編み上げる。
その中を更に魔力が駆け巡った。エルシリアには「大雑把な構成だ」とよく笑われていたもの。
けれど多数を相手にするには、これくらいでちょうどいいだろう。
「それになあ、繊細な構成なんて、俺の柄に合わない」
開かれた右手の中から、針だったものがぼろぼろとこぼれ落ちる。
男たちはその意味を理解出来ぬのか、融けかけた塊をただ不思議そうに見ていた。
詠唱もなく完成した構成が発動し始める。オーティスは右手を掲げ宣告した。
「―――― 閉塞しろ」
溢れ出す白光。視界が焼かれ、世界から音がなくなる。
全てのものが引き寄せられ、圧縮されていく。
それは男たちの悲鳴さえも一瞬にして飲み込んだ。
肉片も、血の一滴も残さない。ただ彼らは圧縮され、折り畳まれて消える。
「運が尽きたな」
高い音を立てて床に転がった三角錐を、オーティスは身を屈めて拾い上げた。
他に残っているものは何もない。彼の中に、少しの快哉を溶かした苦味が広がる。
拾った三角錐をも消してしまうと、オーティスは少女を振り返った。
「ここから移動するぞ」
「うん」
少女の蒼い瞳には恐怖も動揺もない。
彼女がいることに配慮して、オーティスは一瞬で終わる魔法を選んだのだが、それがたとえ普通の術であっても彼女の表情は揺るがなかったのではないかと思われた。
起こったことをそのままに受け入れる彼女の目は、人の死に慣れきったものだ。
その透徹に傷ついたのは、むしろ彼の方であったかもしれない。
「おいで、ヴェオフォルミネ」
差し伸べた手を彼女は何の躊躇いもなく取る。
オーティスは頷くとその場に転移門を開いた。二人はそうして、宿屋の小さな部屋から跡形もなく消え去った。