悲劇の後に飛ぶ鳥は蒼く 001

禁転載

眼下に見える村は、すっかりさびれて朽ちかけていた。
家は小さなものが十二戸。その全てがつつましく寄り添っており、外には馬の繋がれた納屋がある。
木の柵は壊れてばらばらになっており、乾いた地面に破片が投げ出されていた。
村人の姿は見えない。そうと言うのもこの村は数日前に盗賊団に襲われ、その根城となっているのだという。
村のはるか上空、何もない空中に立つ男は、村の近くを通る細い道を見渡す。何もない平野を伸びるこの道は、西にしばらく行けば小さな町に行き当たる。その町からの依頼で、彼はこの村の調査に来たのだ。
二十代前半に見える容姿。灰色の髪に同じ色の瞳の、いたって平凡な顔立ちの男は、眼下の光景を見渡してぼやく。
「盗賊団がいなくなってる、ってのが分かれば報酬割り増しか。でもいるよなあ、あれ」
外に人影はないが、開いたままの窓のすぐ内には武装した男が立っているのが見える。
上空からでも分かる人相の悪さは、普通の人間とは思えなかった。
宙に立つ男は頭を掻き―――― ぽんと、両手を叩く。
「ああ、じゃあ追い出しちまえばいいのか」
そうと決まれば難しいことは何もない。旅人のマントに身を包んだ男はおもむろに詠唱を始める。複数の指輪を嵌めた右手が、何もない空中に魔法構成を描いた。生み出した三重円の構成を、男は人差し指の先に灯す。
「焼けつく鏃よ。―――― 射て」
赤い尾を引いて落ちていく矢。それは途中で緩やかな弧を描くと、開いたままの窓から中へ飛び込んだ。
まもなく家の中からは悲鳴が聞こえてくる。矢に追われて飛び出してくる盗賊たちを、男は満足げに見下ろした。
「よしよし。これで銀貨二十枚はちょろいな」
言ってしまってから男は反射的に首を竦めたが、今はもう彼の言葉遣いをとがめる人間もいない。
他に誰もいない旅路なのだ。気にする必要もないだろう。
そのことに彼はけれど、拭えない苦味も覚える。
「ま、自業自得だけどな」
右手に嵌めた指輪は三つ。
そのうちの一つは魔法具だ。彼の魔力を抑え隠すための封印の指輪。
二つ目は国の印が刻まれた王の指輪だ。玉座を離れた今、彼のかつての身分を表すものはもうこの指輪しか残っていない。
そして最後の一つは、彼女と交わした契約の指輪。これが壊れていないということは、まだ彼女は人間の世界に留まっているということだ。
そして彼は、彼女を探して広い大陸を旅し続けている。主命を破棄し同族殺しをした女と、もう一度正面から向き合うために。
オーティスは、盗賊たちが次々と馬に飛び乗り逃げ出してしまうと、浮遊の魔法を切って地上に降りた。残っている者がいないか小さな家を一つ一つ見て回る。
いずれも荒らされた無人の家ばかりの中、だがもっとも大きな家の玄関を開けた時、奥の暗がりから何かが飛び出してきた。
きらりと光る白刃。投擲された短剣は、けれどオーティスの眼前で砕け散る。
彼は床に落ちていく鋼の破片を面白そうに眺めた。部屋の中から長剣を手にした中年の男が現れる。
「てめえ……魔者か?」
「魔法士って言えよ。痛い目見せるぞ」
この大陸には遥か昔から、少ない確率で魔力と呼ばれる力を持った人間たちが生まれることがある。
彼らはその力の異質さゆえに他者から偏見の目を向けられ、程度の違いこそあれ差別を受け続けていた。
それは大陸の東に行くほど傾向が強く、大陸西部から来たオーティスはこの旅路においてしばしば忌々しさを味わっていた。
彼は指輪を嵌めただけの右手を盗賊へと向ける。
「じゃ、次は気をつけろよ、若造」
「くそ……っ!」
髭面の男は殺気を撒き散らしながらオーティスへと向かった。厚刃の長剣を振り上げる。
鈍い光を反射する刃。彼はその剣先をまったく暢気な表情で見上げていた。
しかし長剣が振り下ろされかけたその時―――― 盗賊の姿は忽然と部屋の中から消え去る。
オーティスは皮肉げな微笑を浮かべると、男のいた場所に向かってひらひら手を振った。
「魔法って便利だろ? 隣の国に放り出しといたから頑張って戻れよ」
男を消した後、他の部屋も見たが、今度こそ残っている盗賊はいない。
オーティスは最後に村全体を覆うよう人払いの結界をかけると、依頼を受けた町へと戻った。



「そうかい。ご苦労さん」
話を聞いた町長は、オーティスに向かって薄汚れた布袋を放って寄越した。空中でそれを受け取った彼は中を確かめる。
「足りなくないか? 盗賊がいないって確認したら銀貨二十枚って約束だったはずだ」
「そうだったかな。最近物騒な話が多くて、忘れてしまったようだ」
理由になっていない理由にオーティスは顔を顰めたが、ここで騒ぎ立てて益が出るわけでもない。
彼の旅において肝心な一つは目立たないことだ。そのため魔法士であることも隠して旅している男は、腹立たしさを覚えながらも黙って町長の家を辞した。その足で小さな食堂に入ると昼食を注文する。
ここ数日で顔馴染みになった女将はからからと笑って彼を迎えた。
「兄さん、今日は辛気臭い顔してるじゃない」
「勝手に報酬を減らされたからな。無駄足とまでは言わないが、損した」
「甘い話を信じる方が悪いのさ。真面目に生きてたって何があるか分からないだろ?
 あちこちで戦が起きてるんだ。こっちにもいつ飛び火してくるやら……。あたしらに出来ることなんて、せいぜい用心することくらいさね」
しみじみとした述懐は、今まで多くの旅人に言って聞かせた言葉なのかもしれない。
淀みのない物言いにオーティスは「そうだな」とだけ相槌を打った。テーブルに置かれた苦いお茶を啜る。
―――― 大陸には戦争が吹き荒れている。
それは紛れもない事実だ。ここ百年もの間、多くの国が滅び、そしてまた興っては戦火の中に消えていった。人々は確かな寄る辺も持たずさまよい、大きな流れに翻弄されては命を落とす。奪いしものは奪い去られ、育てしものは蹂躙されていった。
人は、いつ終わるやも知れぬこの時代を「暗黒」と呼び、じっと息を潜めて自分たちの暮らしを守ろうとしている。
そして安息を願っているのは、謂われない迫害を受ける魔法士たちもまた、同様であった。
だから一介の魔法士に過ぎなかったオーティスは、ひたすらに金を貯め人を集め、苦労の末に魔法士たちの国を作った。
―――― もう十五年以上前の話だ。即位した年から外見だけは変わらぬ男は、ほろ苦い気分で自分の半生を思い起こす。
「まったく……人生予想外なことばっかだよな」
「全部が分かっていたら辛いじゃないか」
当然のように笑う女将にオーティスは苦笑で返す。
運ばれてきた食事に手をつけ始めた彼は、塩味のスープの中に浮かぶジャガイモをつついた。
食べることに集中し出した時、食堂に二人の男が入ってくる。どうやら行商人らしい彼らは世間話をしながら、オーティスの背後のテーブルについた。
「ローステンが滅びたらしいぞ」
国の興亡について語る珍しくもないはずのその言葉に、だがオーティスは聞き耳を立てた。遠く東にあるその国の名を、彼は昔からある理由で知っていたのだ。
もう一人の男が驚いた声を上げる。
「滅びた? 確かあそこは、ここのところ連戦連勝だったろう。どうして滅びた? ついに負けたか?」
「いや……それがな……」
答える男の物言いは歯切れが悪い。
彼はまるで忌まわしいものに触れるかのように躊躇った。そのうちに気が挫けてしまったのか、小さくかぶりを振る。
「なんにせよ、また地図が書き換わる。当分はあっちに近づかない方がいい」
萎んでしまった会話の後には、近隣の情報交換が続いた。オーティスは聞けなかった話に心残りを覚えつつも、手早く食事を済ませて店を出る。
「さてと、日が暮れるまでに移動するか」
一度宿に帰ると、彼は少ない荷物をまとめた。魔法を使えば移動も楽ではあるが、人に見咎められれば厄介だ。
彼の国があった大陸西部では、まさにその国の存在がゆえに魔法士も一目置かれるようになってきてはいるが、今いる中央部ではまだまだ偏見の目は根強い。自分だけの問題であるなら、出来るだけ面倒事は避けておきたかった。

オーティスは馬に乗って町を出ると、乾いた街道を移動し始めた。
盗賊団の噂が広まっていたせいか、他に旅人の姿は見えない。草もまばらな灰色の土地は、数年前には戦場であったという。吹き始めた風に砂が混じると、彼は巻き布で顔の下半分を覆った。
そうして手綱を操っていたオーティスは、視界の隅に何か光るものを見止めて馬足を緩める。
「何だ?」
このようなところに何があるのか。オーティスは建物も人影も見えない周囲を見回した。
まさか金品が落ちているとは思わないが、気になるものは気になる。
オーティスは道から外れて馬を進めると、僅かに茂っている草むらへと向かった。薄い雲間から洩れる陽光がまた、草の中からきらりと光を返す。用心しながらその中へと近づいた彼は、馬上から「それ」を見つけて息を飲んだ。
草の中に横たわっているのは、一人の少女だ。
土埃にまみれた長い髪は、白っぽい色をしている。
肌の色は汚れてよく分からない。服装は粗末な麻布の貫頭衣を腰帯で止めており、その上から色褪せた緑の外套にくるまっていた。
首から提げている銀の飾りがおそらく光を反射していたのだろう。あまりよい境遇におかれていなかったのか、髪が長くなければ少年と言っても通るような痩せ細った体つきだ。
その代わり砂に汚れた顔は、異質な程に美しい造作を持っていた。長い睫毛がすっと通った鼻筋に影を落としている。緩やかに膨らんだ瞼は貝殻のようで、丁寧に作られた人形を思わせた。
精巧過ぎて本物の人間ではないと言われても、納得してしまう顔立ちだ。
しかし顔立ちより何よりもオーティスの注意を引いたのは、普通の人間には見えぬ力の方だった。見も知らぬ少女を前に彼は思わず嘆息する。
「……凄い魔力だな。これ、天然ものか?」
みすぼらしい風体の彼女が秘めているものは、魔法国家の王であった彼に次ぐ程の魔力だ。おおよそ普通に生まれた人間が持ち得る量ではない力。オーティスはその時、確かに戦慄を覚える。
「なんつーか……何者なんだ」
オーティスはかぶりを振って馬を下りると、少女の額に手を伸ばす。
触れた肌は外気のせいでひんやりとして、だがほのかに温かかった。