日の光

mudan tensai genkin desu -yuki

目が覚めた時、まっさきに感じたものは冷たい石床だ。
シエラは薄暗い部屋の中、状況を把握するため記憶と感覚を探った。すぐに手足を縛られ床に転がされているのだと気付く。
頭が妙に痛い。気絶している間に何処かにぶつけたのだろうか。訝しむうちに彼女は意識を失う直前のことを思い出した。呻き声を上げながら身じろぎする。
「起きたの?」
そっけない声はすぐ背後から聞こえた。
「ドレアナ、さん?」
「さんづけなんてやめてよ」
シエラは蓑虫のように床の上を這いずって何とか背後を視界にいれる。そこにはやはり後ろ手に縛られ、その縄を柱にくくりつけられているらしいドレアナが床の上に座っていた。恐怖と疲労が見える彼女の目にシエラは状況の不味さを直感する。
「一体何が……」
「公爵妃を人質にして殿下に何か要求があるらしいわよ。さっきの店、途中で出てった娘たちがいたでしょ。
 あの子たちが道で噂話をしたみたいで、それを聞いて私たちをつけてきたやつがいたってわけ」
「え……」
まさかそんな風にして素性がばれ、即攫われてしまうとは考えてもみなかった。シエラは己の無用心さを後悔する。
自分の顔は知れていないのだから少し羽を伸ばしてもいいだろうと思っていたのだ。
だが迂闊な行動は何処かでつけがくるものなのであろう。蒼ざめた少女に、ドレアナはぶっきらぼうな声をかけた。
「でもやつら、私とあなたのどっちが公爵妃か分からないみたい。あなたのこと侍女だと思ってるようよ」
「あ、なるほど」
店から出てきた二人の女のうち、どちらが王族の妻かと聞かれれば、シエラでもきちんとしたドレスを着ているドレアナの方を指しただろう。
彼女は軽い答だけを返すと、縛られている両足首を更に背の方へと逸らした。後ろ手のままの両手を足に向かって伸ばす。
しかしそれがもう少しで踵へと届こうかという時、シエラはドレアナの「ねぇ」という声に遮られ動きを止めた。自由になる範囲で顔を上げる。
「何?」
「なんで怒ったり暗くなったりしないの? 私に色々言われてた時はそういう顔してたくせに」
目を伏せたドレアナの表情は薄暗いせいかはっきりとは見えない。だがそういう彼女の方こそ、捕らえられていることで暗くなっているように見えた。
シエラは少し考えると「そういう気分じゃないから」と苦笑する。
「そっちこそ何で猫被ってるの? 嫌味のため?」
「そんなわけないでしょ。これはね、私が何年もかけて身に着けた被り物なんだから。あなたの為じゃないわ」
もしかして今のこの事態にドレアナもまた責任を感じているのかもしれない。
シエラが答える言葉を探すうちに、彼女はぽつぽつと自分のことを語り始めた。

ドレアナは伯爵の父と妾の母の間に生まれた娘なのだという。
本来なら一生を日陰で送るはずの人間であり、実際十二歳までは市井で平民の子と共に育った。
だがある日突然屋敷に呼び出され、伯爵令嬢として生きることになったのだ。
それは子供に恵まれなかった父の正妻が病で亡くなった為であり、その日からドレアナの苦渋の日々は始まった。
彼女は貴族の一員としての教育を受けながら、しかし既に身についていたぞんざいな所作の為、周囲の人間に散々陰口を叩かれ陰湿な仕打ちまでされたらしい。時には母親への蔑みの言葉ともなるそれらに、ドレアナは歯を食いしばって耐え勉強を続けた。
そうして誰からも文句のつけようがない「貴族の令嬢」となった頃、彼女はある日長く独身でいた王弟が平民の妻を娶ったという話を聞いたのだ。

「え、つまりあなたはルイスが……好きだった?」
「違うわよ!」
恐る恐る聞いてみたのだが即座に否定された。
ならば何が問題だったのだろう。顔を顰めるシエラにドレアナはささくれた目で溜息を吐く。
「殿下が拾ってきた娘を妻にして甘やかしてるって聞いたの。
 私は周りに認められるまで嫌な思いいっぱいしたってのに、その子は何も出来なくても許されてるって。
 屋敷から一歩も出ずにのうのうと暮らしてるって噂に聞いて腹が立ったわよ。で、ちょっと意地悪したくなったってわけ」
「…………それは」
何処から何を言えばいいのか。真実と虚実がない交ぜになった内容に、縛られたままのシエラは脱力した。
だがそれは、外から見れば本当にそう見えるというだけのことなのだろう。彼女をよく知らぬ貴族たちからは、何ということのない少女が分不相応な厚遇を受けていると思われたに違いない。
しかし、そう思われることが癪だという気持ちもシエラの中にはあるのだ。
冷たい石床にどれくらい横たわっていたのか。体のあちこちが痛んで仕方ない。
彼女は指を伸ばすと靴の踵に触れた。固い感触を探りながらドレアナを見上げる。
「確かに、ルイスはあんまりうるさく言わないし、勉強も出来る分だけでいいって言ってくれる」
「いいご身分ね」
「だけど私、そうやって全部甘えてしまうのは嫌なの」
指先が冷たい刃に触れた。シエラは慎重に力を込める。
だがそれを引き抜こうとした途端、汗で指が滑った。彼女は気を取り直すと再び刃を摘みなおす。
「恵まれてるけれど貰うだけの子供は嫌だから。私も私で何とかしないと……」
苦心の末、ひんやりとした刃はついにシエラの手の中へと転がり込んだ。
彼女は足首を拘束する縄にそれをあてる。一連の動作に気付いていないドレアナは冷めた目で少女を見下ろした。
「何とかできるっていうの?」
「したい。ルイスは結婚した時、勉強は無理しなくていいって言ったけど、一つだけ覚えていて欲しいって言ったの」
魔法をかけられた小さな刃は吸い込まれるように縄の中へと食い込んでいく。足首への圧力が緩んだことに気付いて、シエラはそっと片足を抜いた。刃の向きを変えると手首を縛る縄へと向ける。
「一つだけ?」
「そう。ファルサス王族は、ファルサスは『戦わずして負けたりはしない』―――― 絶対に」



シエラは自由になった手をついて立ち上がった。
このような場にあって恐れを感じながらも怯んでいない少女を、ドレアナは驚愕の目で見上げる。
シエラはその視線に苦笑すると、彼女を解放すべくその後ろに屈みこんだ。
「とにかく外に逃げられれば……」
「ど、どうやって解いたの?」
「色々持たされてるから」
シエラは靴底に差し込まれていた刃を見せる。それは魔法具の一種で、もしもの時のためにと渡されていたものだった。
ぽかんとするドレアナの背後に手を伸ばすとシエラは柱に結び付けられた縄を断ち切る。
「まだ城都の中よね? 一緒に行こう」
「……私のこと怒ってないの?」
気まずそうな問いかけにシエラは困り顔になった。少し首を傾げ、そして微笑する。
「嫌味は好きじゃないけど、そう見えたのならやっぱり私も悪いんだと思う。あと」
ぷつりと切り落とされた縄をシエラは引き抜いた。それを投げ捨てドレアナに手を伸ばす。
「久しぶりに普通に話せる人と会えてちょっとほっとしちゃった。こっち来てからみんなお上品な人ばっかりだったから」
少しだけ淋しげにはにかむ少女の手を、ドレアナはじっと見つめる。
そうして僅かな逡巡の後にその手をとった彼女は目を逸らして横を向くと、「まるで私が上品じゃないみたいじゃない」と口を尖らせたのだった。



二人が閉じ込められている場所は、何処かの倉庫のようだった。
高い位置に一つだけある小さな窓をシエラは見上げる。
「あそこって人通れない、よね?」
「見れば分かるでしょ。第一届かないし」
「肩車すれば届くと思うけど」
「嫌よ! 乗るのも乗られるのも!」
シエラは肩を竦めて見せると一つしかない扉へ向かった。しかし掛け金に手を伸ばしたその時、扉はひとりでに向こうへと開かれる。
そこに立っていた若い男はシエラを見て一瞬呆気に取られた目になった。だがすぐに怒りの形相になると彼女に向かって手を伸ばす。
「お前、どうやって縄をほどいた」
後ずさり逃げようとしたが間に合わない。肩を掴まれたシエラはそのまま腕を捻りあげられ苦痛の声を洩らした。痛みで視界が真っ赤に染まる。
男の恫喝にドレアナの短い悲鳴が重なった。
「こっちは公爵妃さえいればいいんだ。お前みたいなガキは奴隷商人に売り飛ばしてやろうか」
「やめて! その子がそうなの! その子が」

痺れが、走った。

何が何だか分からない一瞬。腕が自由になると同時に男の体が跳ね飛ぶ。
横合いから強烈に蹴られ、壁際にまで転がった誘拐犯をシエラは唖然として見やった。
痛む腕ごと少女の体を別の手が抱き寄せる。
「シエラ」
聞くだけで落ち着く声。
守られていると、確かめずとも分かる温かさに彼女は顔を上げた。顔を顰めた夫と目が合う。
本来ならこの時間彼は城で執務をしているはずだ。少し焦りが見えるルイスを少女は注視した。
「どうして気付いてくれたの?」
「あなたに渡しておいた魔法具が使われたので場所を辿ったのですよ。まさかこんなことになっているとは……」
「ご、ごめんなさい」
何と注意されてもこれでは仕方ない。勝手に散歩に出て攫われたなど問題行動以外の何物でもないだろう。
だが今この時、何よりも彼の傍に戻れたことが嬉しくて仕方なかった。
シエラは両手を伸ばして男の魔法着を掴む。そうして今更震えがひどくなる自分の指を見下ろすと、彼女はもう一度「ごめんなさい」と小さく謝ったのだ。






「違う! 全然違うって! もう一度!」
友人の厳しい指摘にシエラはげっそりとした表情になった。だが言われていることはもっともなので逆らいようがない。
彼女は姿勢を正すとドレアナの左手を取り自分の足下を確認した。教えられた通りの足さばきを確認する。

あの誘拐事件以来シエラはドレアナに導かれ、社交の場に少しずつ顔を出すようになっていた。
まだまだ公爵妃としては知識も所作にも穴が多い彼女だが、それでも以前よりは「努力している」と周知されてきたらしい。
陰口を叩かれることはないわけではなかったが、それ以上に温かい言葉をかけてくれる人も多く、シエラはようやく新たな自分の居場所に慣れ始めていた。

それもこれも文句を言いながら手伝いをしてくれる友人のおかげだろう。
シエラはあの日から何度も顔をあわせ、いつのまにか友達になっていたドレアナを見上げる。
凝視しているのに気付かれたのか、彼女はシエラの足から視線を上げると「何よ」とぶっきらぼうに返した。
「ううん。なんでもない。ありがとう」
「右足違う!」
「……あ」
舞踏会に出ても問題なく踊れるようにと習い始めたのはいいが、先は実に遠そうである。
シエラは慌てて足を戻すともう一度最初から復習し始めた。一歩ごとにゆっくりと庭の青草を踏みしめていく。
天気がいいからということで外に出て教えてもらっているのだが、いささか日差しも強くドレアナは参っているらしい。「休憩しなさいよ」と言って彼女は木陰へ入っていった。入れ違いに別の人間が屋敷の建物から出てくる。
「順調ですか? シエラ」
「あんまり……もうちょっと待ってて。そのうち出来るようになるから」
「なら次は僕が教えましょう」
まるで貴婦人に対するように差し出された手。
手袋を嵌めた優美な手を彼女は目を丸くして見つめた。高い気温のせいだけではなく熱くなる頬を押さえる。
「わ、私、踏んじゃうかも」
「構いませんよ。あなたに踏まれても痛くないですから」

重ねられた手と手、向かい合って踊る二人をドレアナは木陰から眺める。
少しぎこちない動きではあるけれど幸せそうな少女の横顔。その光景に彼女は微苦笑すると、そのまま何も言わず屋敷の中へと戻っていった。
後に残るものは風のざわめき、変わらない日差しとそして、草を踏むささやかな足音だけである。