mudan tensai genkin desu -yuki
「で。そろそろ俺、帰りたいんだけどさ」
「アキラくん、ちゃんと聞いてよ! だってさ……どうしてわたし、あの時眠っちゃったんだろ。生誕祭初日だったってのに!」
机をどんどんと叩きながらミヤが叫ぶ内容は、もう何十回聞いたかわからい。
帰りのホームルームも終わった放課後、たまたま忘れ物を取りに教室へ戻ってきたアキラは、幼馴染に捕まって苦い顔を隠せないでいた。日直日誌を書いているカイが、顔を上げないまま笑う。
「それを言うならおれだってそうなんだからさ。気にしてもしかたないよ」
「でもカイくんは空塔の集団睡眠事件がらみでしょ! 整理券持ってた人はみんな昏睡したっていうし! わたしなんて、なにも持ってなかったのにだよ! なんで!」
「準備で疲れてたんじゃない?」
「うううう」
逃げる隙をうかがっていたアキラは、ミヤがうめいている間にそっと彼女から離れた。音をさせないように机の間をぬって帰ろうとする。
「アキラくん! まだ話終わってないよ!」
「もうその話は嫌ってほど聞いたっつの! いいかげんにしろ!」
「だって納得いかないんだもん!」
「空塔の方も、もう三ヶ月も経つのにいまだに原因不明だもんなあ」
不思議そうな二人の友人を前に、本当の理由を知っているアキラは沈黙する。
話しても信じてはもらえないだろう。あの日の一件にかかわった人間は、アキラを除いて全員その記憶が失われてしまったのだ。
ミヤは教室の隅に自動転送され、ずっと眠っていたことになった。それだけでなくあの時空塔にいた人間や見学の整理券を持っていた人間は、管理部も一般人もみな謎の睡魔に襲われ眠ってしまったらしい。その間に彼らの記憶はすっかり改竄されていた。
シギルが確保された都市はそうしてもとの平穏に戻り──三ヶ月経った今も、世界はまだ消えてはいない。
過去の記憶をなぞっていたアキラは、ミヤの溜息を聞いて我に返る。
「ってか、俺本当に帰るから。今日雑誌の発売日だし」
「また付録でしょ!」
「付録が好きで何が悪い!」
子犬のようにわめくミヤを振り切ってアキラは教室を駆け出す。
外に出ると空は淡い緑色だった。
今日の天候予定は一日晴れ。散策をするにはちょうどよい陽気だ。
アキラは校門を出てエリア道へと向かう。通学バッグから音楽プレイヤーを取り出し、片耳だけにイヤホンをはめた。プレイヤーからは水晶のような女の歌声が流れ出す。
綺麗に整えられた街並み。
埃っぽい街路には今日も人影が見えない。車道を通る車もいない。
だが閑散とした景色はアキラにとってとてもリアルで、作られたものにはとうてい思えなかった。あるいは彼女といた時間の全てが夢だったのかもしれない。
「……違う。夢じゃないだろ」
反射的に口をついた言葉に、彼は自分で苦笑する。
──夢ではない。虚構でもない。
記憶を疑いそうになる時、アキラはいつも空を見上げて歩いた。
在るけれど無い虚都に向かって手を伸ばす。いつかそうして彼女の手を引いたように。
「ちゃんとやってるのか? やってんだろうな。お呼びがかからないんだから」
空に向けての嘆息は、少しの苦味と喪失を乗せて消えていった。
まるでその問いかけが届いたかのように、鏡面の色がゆっくり変わりはじめる。
あの日と同じ青。
記憶の中で、少女が笑う。
(アキラ)
「わかってるよ」
長く伸びる道。
彼はその道を踏みしめ歩いていく。有限の空を見上げる。
彼らが生きる世界は今日も変わらず平凡で、何よりもたしかに現実だった。
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