草むしり

禁転載

子供たちを監視なく一箇所に集めておくとろくなことがない。
それは彼らに関わる大人たち全ての認識であったが、それでも時折そういう状況になってしまう。
例えば二ヶ月ぶりの顔合わせで離宮に子供たちが移動した後、彼らを押さえる母親が緊急の用事で城に戻ってしまった時など。

「母上もお忙しそうだな」
暢気な感想は母親とは違う国の王太子であるセファスのものである。
彼は離宮の広間で長椅子に仰向けになると、細密な彫刻が施された天井を見上げた。その兄の腹の上にエウドラが勢いをつけて座る。
「ねぇ、父様は? いらっしゃらないの?」
「少し遅れるそうだ。抜け出すなら今のうちだよ」
「抜け出さないわよ!」
父親に会いたい末妹が反論するとセファスは喉を鳴らして笑った。手を伸ばして妹の髪を梳くと、エウドラはつんと上を向く。
「抜け出すとイルジェがうるさいし。まったく小姑みたいだわ」
「お前が大人しくしていないのが悪い」
ジウを連れてちょうどよく広間に現れたイルジェは、入ってくるなり妹の不満を切って捨てた。
普段彼女に説教を降らせてやまない年長組二人を見て王女は嫌な顔になる。
だが彼女は何かを言い返そうとして、イルジェが謎の荷物を引き摺っていることに気付いた。
敷物を筒状に巻いて縄で縛ってあるそれは、ゆうに子供一人分くらいの大きさがあり、よく見るともぞもぞと蠢いている。
見るからに怪しい物体だ。エウドラは飛び跳ねるようにセファスの上から下りると長椅子の影に隠れた。背もたれから顔を半分だけ出し「何それ」と指差す。
「何だと思う?」
「生きてるの?」
「生きてる。おまけにお前と血が繋がっている」
「レーン!」
正体の分かった筒に向かってエウドラは駆け寄った。兄の手から縄を奪いそれを解こうと四苦八苦する。
ジウが小さな刃物を取り出し縄を切ってやると、エウドラは慌てて敷物を解き始めた。
イルジェ自身は二人に任せてその場を離れると、兄の近くの椅子に腰掛ける。小脇に抱えていた本を開く弟にセファスは大した興味もなく問うた。
「レーンは一体何をやらかしてああなったんだい?」
「こそこそ隠れていたから捕獲した。何をやったかは知らない」
「また物を壊したりしたんだろう。落ち着きのない奴だな」
長兄は弟への仕置きについてそれだけで済ますと欠伸を一つした。
広間の中央ではようやく敷物の中から転がり出たレーンが四つ這いになって呼吸を整えている。
彼の背中をさすりながらエウドラは「ひどいわ、イルジェ」と連呼し、ジウはお茶を淹れにその場を離れた。
―――― これが彼らの日常的な風景である。



のんびりと過ごす時間はいつの間にか、表面的には穏やかなものとなっている。
かつて彼らがもっと幼かった頃は、共にいる時はほとんど外を駆け回り過ごしていたものだが、今は室内で本を読んでいる人間の方が多い。
その筆頭とも言えるジウは、お茶を淹れ終わり下がろうとしたところでセファスに手招きされた。長椅子の前に立つと温度のない目でファルサス王太子を見下ろす。
「何でしょう」
「一緒にファルサスに帰らないかい?」
「帰りません」
代わり映えのしない応酬はそこで沈黙を迎えた。セファスはしばし何事かを考え込むと、再度笑顔でジウを見上げる。
「では勝負事で決めようか。僕が勝ったらファルサスに来なさい」
「私が殿下に勝てることなどございません」
「そうかな。意外とあるとは思うけれど」
セファスとジウは立場の違いもあるが傾向の違いも大きく、セファスが万能型の人間であるのに対し、ジウの本分は学徒である。
なりふり構わず「料理勝負」などをすれば、ジウが勝利することも出来るだろうが、そのような勝負をセファスが認めてくれるとは限らない。
出方を窺う少女の視線に、彼は余裕のある笑みを見せた。
「なら特別に代理を立ててもいい」
「代理? ですがそう仰いましても……」
「いるだろう? 一人だけ僕と張り合える奴が」
二人の視線が同時に一点へと集中する。
その先にいた少年―――イルジェは本の頁を捲る手を止めると、怪訝そうな顔で兄と幼馴染を見返したのだ。



要するに、だらだらと過ごす時間が退屈だったのだろう。
そのだしに使われたジウは二人の兄弟が「何の勝負をするか」で話し合っている様を遠くから眺める。
小さい頃はよく二人で剣の試合などをしていたが、その時は体格差もありセファスが勝つことが多かった。
だがイルジェが成長してきた今ならどうなのか、それは誰も知らないことだろう。本人たちも分からないに違いない。
しかしそんな未知数の可能性などまるで考えていないかのようにセファスは暢気な声を上げる。
「ただの試合じゃ面白くないね。もっと訳の分からないことをやろう」
「別に構わないが何をやるんだ? この離宮じゃ出来ることなどたかが知れている」
「では草『狩り』などいかがでしょう」
愛想のよい声に広間にいた子供たちは皆、入り口の方を見やった。
そこには遅れてやって来たシスイが立っており、最後の子供である彼は分厚い皮手袋を嵌めた手を上げてみせると「裏庭が大変です」といつも通りの笑顔で告げたのである。



四人の子供の父親が彼らの為に国内南西の田舎に立てたこの離宮は、子供たちの遊び場として広い裏庭を擁している。
元々暑い陽気の国であるため最近こそ彼らも裏庭に出ることは少ないが、そこはまさしく彼らの育ってきた「庭」そのものだった。
六人の子供たちは裏庭の入り口となる生垣の傍に並び、青草の茂る景色を見やる。
そこに広がる非現実的な光景をエウドラは一瞥しただけで慄き、イルジェの背後に隠れてしまっていた。
一番年長のセファスが代表してシスイに問う。
「で、何だい、これは」
「草です」
「そうか。てっきり魔物かと思ったよ」
「よくそう思われますが、草です」
普段であれば刈り込まれた青草が一面を覆っているはずの広い庭は、今はおかしな物体に埋め尽くされている。
子供が両手で抱えあげるほどの大きさの緑の球草。それがところせましと庭中で蠢いているのだ。よく見ると細い蔓が絡まりあって球となっているそれを、ジウは呆れた目で見つめる。
「まだ持ってたの? こんなに増やしてどうするの」
「増やすつもりはなかったんだよ。種が取れたからそれを瓶詰めにして持っててさ。
 で、成長促進剤の粉と合わせて鉢で実験しようかと思ってたらレーン殿下が」
「…………」
全員からの冷たい視線が集中しレーンは顔を背けた。
ここまで来れば何故彼がこそこそ隠れていたのかエウドラにも分かる。黙り込んでいるレーンをよそにシスイは続けた。
「殿下が躓いて並べてあった瓶を割られて。で、風が吹いてきて種と粉がばーっと」
「なるほど。よく分かったよ」
セファスは球草の群れを見ながら背後へ手を伸ばした。逃げようとするレーンの襟首を掴む。
そのまま彼は弟の体を難なく引き摺ると、目の前に吊り下げて笑顔を見せた。
「このままでは僕とレーンが父上に怒られるということもよく分かった。よし、勝負は草狩りにしよう」
通常下の子供たちの不始末は、同国の兄姉の責任となる。
その為この庭の変貌が知られれば、怒られるのはまずレーンと彼を監督していなかったセファスだ。
かつてちょっとした悪戯から大惨事が起こった時、親たちに怒られ全員で廊下に飛び散った緑液を掃除する羽目になった彼らは、このまま何もしないでいて待っているであろう事態を想像した。そうしてある者は溜息混じりに、ある者は淡々と得物を取りに行くと庭の草を狩る分担を決め始める。
「とりあえず勝負事だからね。庭を三分しよう。一つは僕、一つはイルジェ。残る一つはお前たちがやりなさい」
お前たち、と指されたジウ、シスイ、レーンは頷く。エウドラは球草への恐怖が限界を越えたらしく、回廊に逃げ帰って近寄って来ようとはしない。
セファスは精霊を呼び出すと、彼女に炎を保たせるよう命じた。続いて自分の剣の刃をその炎で熱する。
「魔法で直接焼き払ったら他の草まで焼けるからね。蔓は焼き切ればそれ以上伸びないんだろう?」
「そうです」
「じゃ、これで狩っていこう。イルジェ、いいかい?」
「ああ」
二人の王太子は剣を手に、蠢く蔓草を切り払って奥へと進んでいく。
その背を見送った三人は何とも言えない表情で顔を見合わせると、おのおの自分の剣を取り、残る蔓草伐採を始めたのである。



視界は蔓草の死屍で累々と埋め尽くされていた。剣を払って次の球体を刈り取ったイルジェは頭の中で時間を計る。
「そろそろ父上が来てしまいそうだな……」
勝敗よりもそちらの方がずっと問題だ。彼は転がる蔓草を蹴り転がした。これらの始末もどうつけようかと考え込む。
時折遠くからレーンの叫び声やエウドラの悲鳴が聞こえてくるが、一応精霊がついているのだから心配は要らないだろう。
イルジェはまた次の蔓草を刈り取る。そうして彼は剣を一閃すると、刃を焼きなおす為の詠唱を始めたのだった。



まるで触手のように蠢く草を踏み潰す。
そうすると足に絡みつくように細い蔓が伸びてくるのだが、根が切り離されているため締め上げるほどの力はないらしい。
セファスは生気が抜けたようにばらける蔓を振りほどくと一歩を進めた。
もはやほとんど残っていない球草を探して歩いていく。
「さて、皆は順調かな」
このような勝負でジウを手に入れられるとは思っていないが、これがばれたら間違いなく草刈りをさせられる。
そうなる前に勝負にかこつけて皆でやってしまえば後が楽になるだろう。セファスはよく晴れた青空を見上げた。
その時、遠くからエウドラの「向こうへ行って!」という悲鳴が聞こえてくる。
「……少し急ぐか」
彼は駆け足になるとすれちがいざま新たな草を刈り取った。
しかし時既に遅く―――― 次の瞬間裏庭には、少女の叫び声と共に大きな爆発音が鳴り響いたのである。



「エウドラ……」
すんでのところで爆発を避けたレーンは、黒焦げになった庭とその向こうでべそをかいている妹を視界に入れた。
別の方向に逃げていたシスイが肩を竦め、ジウが爆風の余波に咳き込む。
前方の草にばかり目をやっていた三人は自分たちの背後、エウドラの影に小さめの球草があったことに気付かなかったのだ。それは促進剤の影響を受けてじりじりと大きさを増すと、ついに回廊で見ていた王女に絡みついた。
元々恐がりの彼女だ。恐慌状態になったエウドラは魔法を暴発させ、蔓草だけではなくその周囲がこんがりと焦げてしまったのだが、これはどうにも出来ないであろう。父王に何と言われるか想像して、レーンはエウドラに駆け寄りながらも彼女以上に蒼ざめる。
「エウドラ、大丈夫だ。えーと」
「何が大丈夫なんだ? レーン」
「…………父上」
大きな手がエウドラの体を抱き上げた。四人の子供たちの父である男は青い目で焦げている庭と、あちこちに転がる蔓草を見回す。
爆発音を聞きつけたのだろう。二人の王太子が現れ、父親を見つけるとぎょっと硬直した。
王は底知れない笑みを湛えたまま四人の子供を順番に見やり、最後に膝をついて頭を垂れている二人の姉弟を一瞥する。
「さて、面白そうなことをしていたようだが……この先は言わなくても分かるな?」

勿論全員が分かっている。
こうしてエウドラを除く彼らは、事前の証拠隠滅努力も虚しく、王の命令で黙々と庭の後片付けに励むことになったのだった。当然勝負はうやむやになった。