禁転載
「シスイ。大変なことに気付いたぞ」
「何でしょう」
「この再編纂……七十二巻だけでは終わらない」
「そう仰ると思って、既に七十三巻の資料もご用意しておきました」
今年十一歳になったシスイの一日は、その半分以上がキスク宮廷内での活動にあてられている。
文官ではない彼の身分は実質「王太子の従者」として周囲に認識されているが、それはその通りだと答えて支障ないだろう。
イルジェは彼の幼馴染であり友人であり主人でもある。これは自我が確立するより早く彼に備わった意識であり、長じるにしたがって強固なものとなっていった。王太子の希望を先回りして過不足なく必要なものを用意し……というか、一見必要なさそうなものまで入念に用意してしまう少年は、今もイルジェの机の上に次々と参考文献を積んでいく。
あっという間に高い本の山が出来上がる机に、けれど王太子は微塵の動揺も見せない。イルジェは黙って付箋の挟み込まれた一冊目を手に取った。広い図書室内に、頁を捲る音とペンの走る音が響き始める。
だがそんなシスイも四六時中イルジェと共にいるわけではない。彼の主人には次期王として学ぶべきことが沢山あるのだ。
その為シスイは、一人になる時間を自分の勉学と趣味に費やしているのだが、彼の趣味は有益であるだけでなく―――― しばしば有害でもあった。ごく一部の人間にとって。
「よし、今日はもういい。俺は母上のところに行くからな」
「かしこまりました」
「……ああ、もし時間があったらエウドラを見ていてくれ。あいつは目を離すとよくないからな」
先日エウドラが城を抜け出そうとした件は、ジウもシスイもイルジェには報告していないはずなのだが、この王太子は妹のことをよく把握しているらしい。まもなく授業が終わるであろうエウドラを見張れとの命に、シスイは恭しく頭を下げた。
「では姫のお守りはお任せ下さい、殿下」
「頼んだぞ」
この決定をエウドラがまったく喜ばないことを、勿論二人ともが知っている。
自室に戻っていたエウドラは、訪ねてきたシスイを見るや嫌な顔になった。
「何よ。何の用?」
「姫の暇つぶしの相手を務めようかと思いまして。殿下より申しつかりました」
「要らないわ。自分のことをなさい」
「焼き菓子を持参しました」
「…………入ってもいいわよ」
大人ぶろうとしても残るこの素直さが、最年少であるエウドラの「らしい」ところなのだが、彼女本人は自覚がないようである。
小さな王女は椅子にちょこんと座りなおすと、シスイにおやつの準備をするよう命じた。
少年は背中に背負っていた袋を下ろす。そこから菓子をはじめ様々なものを取り出すと、手際よくお茶を淹れ菓子を盛り、テーブルの上にそれらを並べていった。最後に大量の蝋燭を袋から引っ張り出す。
笑顔を隠しきれず花型の焼き菓子に手を伸ばそうとしていたエウドラは、その蝋燭の山を見てさすがにぎょっとしたようだ。菓子を手に取りながら、左手で色とりどりの細い蝋燭を指差す。
「何なのそれ?」
「小道具です」
「何の」
十数本どころではない。百本近い蝋燭を、シスイは次々受け皿の上に立ててはテーブルの周りの床に並べていく。
その意味不明な行動にうすら寒さを感じたのか、エウドラは小さな体を震わせた。火をつけようとするシスイにもう一度問う。
「何なの? ちゃんと説明しなさい」
どれほど彼の作る菓子が美味だろうと、周囲に大量の蝋燭があっては落ち着かない。
理由を問う王女にシスイは胡散臭い笑みを見せた。床に膝をついたままエウドラを見上げる。
「姫―――― 百物語ってご存知ですか」
勿論彼女が知るはずもない。
百物語とは、シスイの母が生まれた国に伝わる怪談の様式である。
百本の蝋燭を灯し、一つ怪談が終わるごとにそれを消していく。そして百本目が消えた時、怪奇現象が起きるという話なのだが――――
「何をそんなもの私の部屋でやろうとしてるのよ! やめなさい! 消しなさい!」
「姫を退屈させてはいけないと思いまして。あ、大丈夫です。ちゃんと僕が百個ネタを持ってきましたから」
「……っ最低! 最低っ!」
「まずは一話目。昔々キスクの城に……」
「どうしてよりによってそういう話を持ってくるの!?」
人の死後、魂は四散して自然に溶け入る。
であるからして「幽霊」など存在するはずもないのだが、怖がりのエウドラはありえないと分かっていながらも怪談に耐えられないのだろう。椅子の上に蹲って背もたれにすがりつく。シスイはだが容赦なく話を続けた。
「その女官はちょっとした失敗で高価な皿を割ってしまったそうなんです。それを酷く責められ自殺を……」
「割っていい! 割っていいわよ、何枚でも! だから死なないで!」
「夜になると皿を数える女の声が何処からともなく……」
「やああああああああ!」
かつてのエウドラは、少々子供らしい無鉄砲さのある性格だった。
だがその為、好奇心が災いして散々小さな怪我を重ね、心配したイルジェがシスイに「何とかしろ」と頼んだのだ。
シスイは真面目に王太子の願いを承り、エウドラに一週間かけて「怖いもの」を色々と語って聞かせた。
結果エウドラは九歳になった現在―――― 非常な怖がりとなってしまっているのである。
「では、二十三話目の始まりです……」
「聞こえないっ! 聞こえないいいいいいいい!」
両耳を手で押さえ絶叫するエウドラを前に、シスイは蝋燭を持って語り続ける。
彼の密やかな趣味である「王女を半泣きにさせる」は、こうして五十一話目でエウドラが力尽きて放心するまで続いたのだった。
非常に満足して帰宅した彼が後日、母親と姉の両方から怒られたことは言うまでもない。
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