それぞれの風

禁転載

そよぐ風。庭の隅に植えられた木が、葉々を揺らしてざわめいてる。
青草の匂いが立ち込めるそこは、白い柵によって隣家と区切られており、今は六歳ほどの少年が一人何かを組み立てて遊んでいた。
あちこちから拾ってきたのだろう板の切れ端を、彼は試行錯誤して組み合わせる。二本の棒を交差させて麻紐で縛った。
そんな作業に熱中していた彼は、突然の強い風に煽られぎゅっと目を閉じる。
砂埃が顔にぶつかる感触。風が去ったことを確かめると、少年は瞼を開けた。
「あれ?」
目についたものは、白い柵の上に座っている黒猫だ。
先程までは確かにいなかった動物。少年は好奇心にそっと立ち上がった。猫が逃げ出さないよう姿勢を低くしながら一歩一歩近づく。
「ねーこねこねこ」
彼は指を一本立てて、ゆっくりと手を伸ばしてみた。
近所の女の子がこうすると猫は寄ってくると言っていたのを思い出したのだ。
だが猫は、その仕草にぷっと噴き出しただけである。
少年は吃驚して飛び上がった。
「……笑った?」
「すみません」
黒猫は首を傾げると、少女の声でそう言った。
まるで不可思議な生き物。普通の人間であればまず夢かと慄いていただろう。
だが彼は子供の柔軟さで目を輝かせただけだった。警戒もせず黒猫に近づく。
「逃げない?」
「逃げませんよ」
「何で話せるの?」
「何ででしょう。気にしても仕方ありませんよ」
黒猫は柵を飛び降りると彼の足下に擦り寄った。ふわふわの毛皮は柔らかく、本物の猫にしか思えない。
二人は並んで庭に座ると、取り留めない話を始めた。黒猫はしっぽをぱたぱたと動かして草を払う。
「お父さんは優しいですか?」
「うん。ちょっとドジなところあるけど。あとお母さんに頭が上がらない」
「そうですか」
楽しそうに笑う猫は、少年からは優しそうな存在に見えた。おそるおそる背中を撫でると猫は目を細める。
父の話や母の話、友達の話などを彼が次々口にすると、黒猫は時折笑って、時折頷いてそれらの話に聞き入った。
ややあって清んだ声が彼に問う。
「お父さんは何か教えてくれますか?」
「色々。魚の取り方とか、野宿する時に気をつけることとか」
「戦い方は?」
猫が尋ねると、少年は不思議そうな顔になった。
「喧嘩のやり方はちょっと。それだけ」
「そうですか―――― そうでしょうね」
黒い尾が少年の足をくすぐる。空を見上げる猫はその時、少し嬉しそうにも見えた。
少年は猫の頭を撫でる。
「何でそんなこと聞くの?」
「いえ、何でもないです。あの人の技は私が教えてもらいましたから……あなたはそれでいいんですよ」
黒い瞳の猫はそう言って―――― 微笑んだように、彼には思えた。
少年は小さな体を抱き上げようと手を伸ばす。だがその時、家の中から母の声が彼を呼んだ。
彼は立ち上がりながら猫に問う。
「まだここにいる?」
「いえ。もう行きます」
「また来る?」
猫はそれには答えなかった。
彼女は優美な仕草で踵を返すと、手を振るように尻尾を振りながら、柵の向こうに消えていく。
美しく気紛れな後姿。
不思議な黒猫をその後彼が見ることは、二度となかった。