どこか遠くで

禁転載

彼らの関係は飼い主と犬ではなく、また親友といった積極的なものでもない。
強いて言えば何となく同行している仲間のようなもので、だがアージェはそれで充分だと思っていた。
小さな村、納屋の裏にある空き地で、アージェは剣の稽古に励んでいる。
その姿をルトは日陰に座って眺めるともなしに眺めていた。
暑くも寒くもない陽気。何処かで鳥の囀りが聞こえる。

「あれ、ルト」
黙々と稽古を続けていたアージェがふと振り返った時、そこには困惑顔(に見える)ルトの姿があった。
見るとルトの傍、灰色の毛に埋もれるようにして白い子犬が眠っている。
いったどこから現れたのか、アージェがまじまじとその子犬を見ていると、納屋の方から一人の少女が現れた。彼女はずっと子犬を探していたらしく「見つけた!」と声をあげると白い子犬を抱き上げる。
「それ、君の犬?」
「うん。勝手に紛れ込んでごめんね」
「別にいいよ。ルトも犬の友達がいなくて退屈してただろうし」
いささかの社交辞令をこめてアージェがそう返すと、少女はにっこりと笑った。
ジオという名の少女と、彼女の子犬。
はじめの時には大して気にもしなかった出会いは、しかしその後ちょっとした岐路を生むことになる。

「お、もうこんなに大きくなったのか」
四度目に村を訪れた時、入り口にやってきたアージェたちを迎えたのはまずジオの白い犬だった。
いつの間にか成犬の大きさになっていた白い犬は、しきりとルトの周りをぐるぐる回っている。
それを追うように走ってきたジオは、息が上がって真っ赤になった顔でアージェに笑いかけた。
「久しぶり! 怪我とかしてなかった?」
「平気平気」
宿屋に荷物を置いたアージェは、ジオに招かれて彼女の家に立ち寄る。
定住地を持たない代わりに、自分宛の手紙は全てここに届くよう、彼はジオの厚意に甘えて手配しているのだが、手紙の整理をしているうちにルトは白い犬と遊びにいってしまったらしい。夕方になっても帰ってこないので、アージェは自分一人で宿へと戻った。
そんなことが、その滞在中に何度もあった。

駆け出しの傭兵として国々を渡る彼の旅に、ルトがついてこなくなったのは五度目に村に立ち寄った時のことだ。
出立する馬の鞍に乗らず、白い犬の隣から自分を見てくるルトに、アージェは彼が何を言いたいかを察した。ルトの前にしゃがみこむと頷く。
「分かった。そういうの、俺はいいと思う。―――― 今までありがとう」
家族を得て、家を得て、穏やかな暮らしを送る。
それはかつてルトが失ったもので、だがもう一度得られるということは幸運なのだろう。
アージェは旅を終えた彼の姿を眩しげに見つめたが、羨ましいとは思わなかった。
そう思うには彼はまだ、頑なであったので。

アージェは銀貨を数枚、ルトの為にとジオに渡す。少女は驚きながらも承知して、アージェに尋ねた。
「アージェも、いつかこういう風に誰かと結婚してどこかで暮らすの?」
素朴にも聞こえる疑問。彼は苦笑して己が身を振り返る。
そしてまだ何も見えぬ先へ向かって、アージェは答えた。
「多分しない。今の生活の方が気が楽だ」
少し傷ついたように表情を曇らせるジオを置いて、アージェは馬に乗る。
彼は自分を見つめてくるルトに微苦笑して見せた。
「また来るよ。元気で」

馬首を返す。
そうして一人になった旅路に、だが寂しさは感じない。
それは彼とは別の場所にいる親しき人間たちが、この戦乱の世にあってもどこか遠くで穏やかに暮らせていると信じているからだろう。
アージェはそう願って手綱を取る。
行く先はない。ただ彼は進み続ける。
蛇行する道の先には何が待っているのか。新たな幕はまだ上がってはいない。