たとえばのお話

禁転載

後ろを走ってくる足音は、非常に軽くおぼつかないものであったが、アージェにはその主に心当たりがあった。
長い裾を踏まないようにして彼を追いかけてくる女。
嫌な予感を覚えた彼は、このまま振り返らず全速力で走り出そうかと一瞬迷う。
しかしそれをしたら、後で公的には睨まれ、私的には泣かれることは明らかである。
結局彼は諦めて背後を振り返った。その途端、飛び込んでくるような勢いで女が彼の胸にぶつかってくる。
「あう!」と悲鳴を上げて額を押さえた彼女を、青年は冷たい目で見下ろした。
「何をなさっているのですか、陛下」
感情を差し挟まない問いに、レアリアは一瞬うっと表情を硬くする。
しかし彼女はそこで怯んでしまうことなく、自分の騎士である男に手を伸ばした。
「お、お弁当……作ってきて……」
「……それをどうしろと」
「た、食べてほしいの」
若干腰が引け気味の彼女だが、何とか最後まで言い切ることが出来たらしい。レアリアは美しい顔をほっとほころばせる。
一方最後まで言われてしまったアージェは、苦い顔でため息をついた。諫言を呈すように女に返す。
「陛下」
「うう。今はお休み時間、だし」
「―――― あのなぁ……そういうの、俺は困るの。もっと主人らしくしてろよ」
色々と諦めて口調を取り繕うことをやめると、レアは目を輝かせた。怒られているのだが、それよりも嬉しさが勝ったらしい。
花が咲き誇るような笑顔を見せて、手に持っていた弁当包みを上げて見せた。
「ちょっとでいいから……」
「それだけ走って持ってきたら中ぐちゃぐちゃだけどな」
「!?」
「ありがたく頂きます、陛下」
「レ、レアって呼んで」
「やだよ」
長身の青年は、小柄な主人の手から弁当包みを引き取ると城の中庭を歩いていく。
その隣を跳ねるようについていく女。色々複雑ながらも仲のよい二人は、その日は外で昼食を共にしたのだった。