燭台へ飾る

mudan tensai genkin desu -yuki

髪を撫でるその手を彼女は心地よいものとして目を閉じた。
温かく大きな手。剣を取る男の手はしかし、壊れ物を扱うように彼女に触れるのだ。
大事にされている。
それはくすぐったいような腰が引けるような不思議な感情を生む。
彼の妻となった今でもそれは変わらない。
自分が何であるのか、よく知っているつもりだ。忘れたことはない。
だから時折自問する。
彼の隣りに相応しいのか。真っ直ぐ立てているのか。
答は出ない。
ただ問うだけの真摯を重ねていく。
「ティナーシャ? 寝たのか?」
「起きてます」
長い睫毛を揺らして目を開けると、彼女は隣の男を見上げた。
闇色の瞳が寝台の傍に置かれた燭台の火を受けて輝く。
深淵そのもののような両眼は、一瞥で男を縛るのだ。
オスカーは顔を寄せて彼女の瞼に口付けた。
「今日、ルストと楽しそうに話してただろう」
「そうでしたっけ……?」
夫の言葉に僅かな棘を感じて、ティナーシャは頭を上げた。
うつ伏せになっていた上体を両肘で支える。
明日はオスカーの誕生日だ。そしてそれを理由とした今日の式典で
彼女がタァイーリの王子と話しをしていたことを言っているのだろう。
魔女であったことが知れ渡っている彼女を招待客は遠巻きにするが
結婚前の彼女と面識があるルストは気負わずに話しかけてくる。
笑顔で受け答えていたかもしれないが、仏頂面で答えていたらもっと問題だろう。
怒られる筋合いはないと思ったのが顔に出たのか、オスカーは唇を曲げた。
「誰にでもいい顔するな。お前は押しに弱いんだからな」
「押しに強かったら貴方と結婚していない気もしますね」
「ほう? それは押されたら誰とでも結婚するということか」
「痛い痛い痛い!!」
頬をきつくつねられてティナーシャは寝台に突っ伏した。
「そんなことないって返事を聞いてからつねってください!」
「腹が立ったからな」
なんてことのないように返される。
ティナーシャは深い溜息を敷布についた。
「どんなに強引でも意に添わない求婚は断りますよ。ご存知でしょう?」
妻の言葉にオスカーは「ふむ」と頷いた。柔らかな肢体を腕の中に抱き寄せる。
彼が知っているだけでも彼女は二人からの求婚を断っている。
一人は彼の曽祖父。もう一人は話題に上がったばかりのルストだ。
二人はにべもなく断られ、そうして彼女はただ一人、オスカーのみの求婚を受けてここにいる。
間近にある美しい女の顔を眺めて、オスカーはぽつりと呟いた。
「俺はお前の過去をほとんど知らないからな」
彼女が本来何者であったのか、何故魔女になったのか、そのことは知っている。
だが魔女になってから彼の元に辿り付くまでのおおよそ400年間何をしていたのか、オスカーは知らない。
たまに聞く話は戦ったり呪歌で悪さをしたり変な話ばかりだが、魔女ともなればそれは仕方ないだろう。
詮索したいわけではないが、ふと洩れた呟きをティナーシャはしかし聞きとがめた。
「気になるんですか?」
「少しな。別に言いたくないならいいが。純潔だったことはよく知ってるし」
「そういうことを言わないでくださいよ!」
僅かに赤面しているように見えるのは蝋燭の火のせいだろうか。
滑らかな肩から背にかけて手を滑らせると彼女は身をよじった。
「他に何人に求婚された?」
「さぁ……400年もありますからね……でもそんなに多くないですよ。引きこもってましたし」
ということは他にもいるんだな、とオスカーは胸中で呟いた。
彼の妻の美貌は他に類を見ないほどだ。
出会った頃は16-7の少女に見えたが、それでも充分女の魅力を兼ね備えていたし
中身は多少癖があるが、それを補って有り余るくらい蠱惑的だ。
魔女であるとしても、それを気にしない男もいるだろう。むしろその力を欲しがる人間もいるかもしれない。
そう言えば初めて口付けた時、彼女は微塵も動じなかった。
外見年齢通りの反応を期待するわけではないが、それにしてもだ。
オスカーはそこまで一気に考えると、何だか不愉快になった。
細い躰を閉じ込める腕に力を込める。
不穏な空気を感じ取ったのか、ティナーシャは若干顔を引き攣らせた。
「な、何ですか……」
「俺はお前と違って結構嫉妬深い」
「無用な心配ですよ。貴方がいいと思うものを万人が同じ様に思うわけではありません」
持って回った言い方は呆れているようにも聞こえた。
だがオスカーの考えが杞憂なら彼女の宥める言葉も同じくらい根拠がない。どちらも単なる主観なのだ。
彼の胸に顔を埋めて眠りかけている女の耳に囁く。
「他の男のところに行きたいならいつでも言うといいぞ?」
「……言ったらどうなるんですか?」
目を閉じたまま彼女はくすくすと笑う。安心しきったその貌が愛しくて憎たらしかった。
今は見えない闇色の目を思い出す。
何もかも吸い込むその瞳はしかし、強い光もまた帯びているのだ。
オスカーは長い睫毛に顔を寄せた。
「そうだな……その目を置いていってくれるなら行ってもいい」
「両方?」
「片方でいい。飾って懐かしむさ」
他愛もない戯言。
だがオスカーは、瓶の中に漂う闇色の眼球と、それを燭台の火にかざす自分が鮮明に思い浮かんで 胸を焼く焦燥に目を閉じた。
彼女は魔女だ。
本来なら長い時を渡っていける。そうして自分の元にもたどり着いたのだ。
共に年を取ると言ってくれている彼女だが、自分が死ねば姿を変えまた別の生を送ることも可能だろう。
そうしたら彼女はそこでまた誰かを愛するのだろうか。
いつになく感傷的だ。
魔法で灯したのではない燭台の明かりのせいかもしれない。
蝋燭の炎は彼女の白い貌を照らし、影を作る。
確かに腕の中に温もりがあるのにも拘らず、ひどく遠くにいる気がするのだ。
その時ふっと風が吹いた。
部屋が暗くなる。
腕の中から女がすり抜けていく感触。
明かりが消されたのだ、と気づいた彼は目を開けた。
雲間から覗く青白い月光だけが、静謐な寝台を照らしている。
彼女は月を浴びるように半身を起こし、彼を見下ろしていた。
白く細い体。
深い夜の瞳。
神秘的とさえ言える物憂げな表情。
けれどそこに愛しむような棘を以って、彼女は微笑んだ。
「長くてあと50年ですか? 数十年なんて……私からすればほんの一時です。
 そんな短い間に心変わりするわけないでしょう?」
小さな手が彼の髪をかき上げる。
触れる指先に言葉以上の思いが灯っている気がして、オスカーは苦笑した。
「俺が死んだら?」
「そうしたら私もそろそろ死にましょうか。お供しますよ」
「先に死ぬなよ?」
「善処します」
ティナーシャは笑いながら男の額に口付けた。オスカーはその頭を撫でながら抱え込む。
出会う前の400年に比べれば、二人で過ごす時はきっとささやかな時間でしかないのだろう。
だがそれでも彼らはここに、共に居る。
人の出会いは全て奇跡だと、いつか彼女は言った。
だから今はその中で眠る。
明るい夜空に月が浮かぶように、無二の瞳が傍にあることを信じながら。

title by argh