蝙蝠

mudan tensai genkin desu -yuki

紙が燃える灰が風に乗って空に舞い上がる。
それをぼんやりと見上げながら、ラザルは物思いに耽っていた。
隣国の女王となる予定の美しい魔法士が来てから早4ヶ月余り。
決して長い期間ではないが、彼女は次第にこの城に馴染んできている。
最初は彼女にそっけなかった主君が、最近はひどく優しい目で彼女を追っていることをラザルは知っている。
彼女自身は気づいていないのかもしれない。
彼女と面と向かっている時は、王は相変わらずなのだ。
だが彼女がその背を向けている時は違う。
繊細な花を愛でるように、だがそれが決して手に入らぬことを知っているように 王は彼女を見つめているのだ。
ラザルは燻る火の中に新たに紙を追加しながら溜息をついた。
彼女がこの城に着たばかりの頃、戯れ交じりに言っていた言葉を思い出す。
「解析が出来なければなぁ……」
他愛もない、だが心からの呟き。誰にも届くはずがないと思って口に出したそれに
だから「そうですよね!」と強く相槌を打たれて、ラザルは飛び上がりそうになった。
振り返るといつの間にかそこには同じく城に仕える3人が立っている。
目を輝かせているシルヴィアと、にやにやと笑うドアン、最後に苦笑しているアルスだ。
蒼ざめるラザルに、シルヴィアは胸の前で両拳を握ってみせる。
「解析が出来なければ後はどうにでもなりますよね! 早速手を打ちましょう!」
解析の終わりが見え、解呪可能であることが分かった為、オスカーとティナーシャから
呪いについて聞いたらしいこの可愛らしい魔法士は、そう言うとラザルに向かってにっこりと微笑んだ。
「じゃあ構成を壊してきてください!」
「え……?」
「ティナーシャ様の私室にありますから、水盆ごとガシャーンとやっちゃえばいいんですよ!」
「いや、あの……」
「応援してます!」
「ま、待ってください……」
助け舟を求めて男二人を見るが、彼らはそれぞれの表情で笑っていて止める気配がない。
これは不味い。
ラザルは慌てて両手を振った。
「無理です! ティナーシャ様の私室になんて入れませんよ!」
「そうですね……作戦を練らないと……
 結界は破れませんから入れてもらうしかないんですよね」
「入れなくていいです……」
「そんな弱気でどうするんですか! 将来の為に決心しないと!」
誰の将来だろう。
ラザルは手に持った残りの紙ごと頭を抱えた。
さすがに限界と思ったのかアルスが口を出す。
「まぁ、無理だろうな。男は入れない」
「じゃあ私が行って来ます!」
本気としか思えないシルヴィアを、さすがにドアンが留める。
走り出そうとしたところを羽交い絞めにされたままバタバタと暴れる彼女に、ラザルは深い溜息をついた。
「ちょっと! ラザルさんは誰の味方なんですか!」
「誰の味方と言われても……」
強いて言えばオスカーだろうが、そんなことが出来るはずもない。
呪いの解呪は15年間、彼が待ち望んだはずのものなのだ。
それをこの土壇場で台無しにしてしまうなど許されることではないだろう。
だが……
王の望みが本当は何処にあるのか。
今ラザルはそれを見失ってしまっている。
解呪なのか、それとも稀有なる女王を手に入れたいのか。
誰の味方であるべきなのか、額面通りに主人の言葉を受け取っていていいのか、
ラザルは途方にくれてまた溜息をついた。
いくら考えても答は出ない。
何だかバッと投げ出したくなる。
そうしたら新しい目でオスカーの真意に向かい合えるだろうか。
アルスとドアン、シルヴィアの3人は、突然両手を上げて万歳をしたラザルに目を丸くした。
「ラザル……?」
正気を疑われている。
高々と上げたままの両手をゆっくり下ろすと、彼は深く息を吐いた。
何だかこれだけのことで気分がすっきりしたような気がする。
彼は従者であると同時に、オスカーの幼馴染でもあるのだ。
王が言わなくてもその意を汲みたい。
政治的な理由でティナーシャと添うことが困難なら、同じく政治的な理由で彼女を引き寄せればいいのだ。
その為に解呪を阻止する。
決心がついた……ような気がした。
「よし!」
「何がよしなんだ……? 手紙が飛んでるぞ」
呆れたようなアルスの声に、ラザルは我に返った。
「うわぁぁぁっ!」
誰にも見られぬよう処分しようとしていた手紙たちなのだ。
つい考え事に夢中になってばらまいてしまった。
慌ててしゃがみこむと拾い集める。
万歳をした時に風に乗ったのか、大分遠くまで行ってしまった手紙を走り寄ってかき集めると ラザルは焚き火のところに戻ってきた。
「こ、これで全部かな……」
枚数を確認しようとするラザルに、シルヴィアをまだ捕まえているドアンが尋ねる。
「何なんだ、それ」
「いやこれはちょっと……」
「私信ですよね」
よく通る美しい声。頭上から突然降ってきた聞き覚えのある声に
ラザルは青い顔を通り越して真っ白くなった。
話題の渦中にあった魔法士が宙に浮いている。
中庭に面していた談話室の窓から下りてきたのだろう彼女は、 ふわりと地面に降り立つと、折りたたんだ紙片をラザルに差し出した。
「はい、どうぞ」
にっこり笑って出された紙片を、彼は震える手で受け取った。
「よ、読みました?」
「読むつもりはなかったんですが、突然窓から飛び込んで来たので……ちょっと見てしまいました。
 オスカーに謝っておいてください」
強張った笑顔で、自分が果たしてちゃんと頷けたのかどうか、ラザルは分からなかった。
ティナーシャは彼の背後で燻る焚き火を見やる。
「処分してたんですか?」
「あ……は、はい」
「無用心ですね。恋人からの手紙くらい自分で処分するように言うといいですよ?
 何があるか分かりませんから」
彼女は言いながら指を鳴らす。
途端にラザルが抱え込んでいた手紙が全て跡形もなく灰になった。
まったく熱を感じなかった。その突然の出来事に唖然とするラザルの指をすり抜けて 灰は地面に零れ落ちる。
だが問題はそこではないだろう。いまや背後の3人の顔色も揃って真っ青である。
今にも逃げ出したそうな彼らに向かって後ずさりながら、ラザルは尋ねた。
「お、怒ってらっしゃいますか?」
その問いにドアンが小さく「墓穴」と呟く。
ティナーシャは満面の笑顔で小首を傾げた。
「怒ってる? 何故です? そんなことあるわけないじゃないですか」
近くに置かれていた岩が砕けた。
魔力を伴った風が巻き起こる。
シルヴィアが目を閉じて震えている。
だがその中にあってティナーシャは一部の隙も無いほど艶やかに笑った。
「さて、そろそろ部屋に戻りませんと。一刻も早く解析を終わらせなければなりませんからね。
 正室でも側室でも、候補を山ほど選んでおくといいですよ?
 多すぎて困ることはないでしょうから」
彼女は片足を引いて、こんな時でもなければ思わず見惚れたであろう優美な礼をすると
その場から消え去った。
数拍置いて4人の溜息が重なる。
「無用心……」
「何で焚き火」
「終わったな」
冷酷な宣告にも似た3人の言葉を受けてラザルは項垂れた。
ありえない失態だ。おそらく一番見られてはならない人間に見られてしまった。
ラザルは僅かに顔を上げて3人を見上げる。
「このこと陛下には……」
「言わなきゃ駄目だろ」
「当然ですよ……」
もう何度目か、数える気にもなれない溜息を吐ききったラザルは
先程の決意もまた、肺の中の空気と一緒に散り散りになってしまっていた。
勿論その後オスカーに恐る恐る報告し、彼が血も凍るような冷ややかな視線を浴びたことは言うまでもない。

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