地を埋め尽くす紅い花びら

mudan tensai genkin desu -yuki

硝子窓に張り付いて中庭を見下ろしていた魔女は、不意に肩を叩かれて顔を上げた。
そこに立ってるのは彼女の夫でありこの城の主人である男だ。思わず苦笑で応える。
彼はティナーシャの肩越しに窓の下を見下ろした。
「何見てるんだ?」
「いえ、薔薇が咲いたなぁって思って……」
白い指が指す先には深紅の花が咲き誇っている。
毎年この時期になると中庭は薔薇園と化すのだ。
視界のほとんどを占める薔薇の花をティナーシャは懐かしげに眺めた。
彼女の黒絹の髪を指で梳きながら、オスカーは微笑む。
「あれを植え始めたのはお前か?」
「え、何で知ってるんですか!? 70年以上も前の話なのに」
「勘」
「…………」
本当はいつも口からでまかせを言ってるんじゃないだろうか。
ティナーシャは頭痛がしかけたこめかみを軽く押さえた。
「あの頃は花の育て方なんて知らなくて……本を見たり庭師に教わったりしながら
 結構苦労したんですよ」
「お前も結構色んなことに手をだすな」
「暇でしたからね。城の中にいるとレグがべたべたうるさかったですし」
「迷惑なやつだな。その場にいたら殺してやったのに」
「そしたら貴方生まれてませんよ」
夫と、その曽祖父は顔立ちには若干面影があるが、性格はまったく似ていない。
しつこいほど純真で盲目だったレギウスに対し、オスカーは平然と人をからかい支配するのだ。
その最たる被害者であり続けた彼女は、しかし彼の腕の中、心地よい温度に目を閉じた。
孤独であった長い月日が溶けて行く。
これを幸福と呼んでいいのだろう。
蕩ける微笑みを浮かべるティナーシャを、オスカーは目を細めて見やった。
「切ってこさせるか? 部屋に飾るといい」
「うーん……やっぱりあのままで。ここから見ると絨毯みたいで綺麗でしょう?」
「なるほど」
オスカーは頷くと窓辺から退いた。執務机に戻り書類を手に取る。
振り返ったティナーシャは男の端正な顔立ちに瞬間不快がよぎったのを見逃さなかった。
彼の椅子の肘掛に腰掛けながら覗き込む。
「何の書類ですか?」
「ん。セザルから強盗団が流れ込んだらしい。国境付近の村が襲われた」
王妃は差し出された書類を手に取った。さっと目を通す。
女子供まで殺し、家に火を放ったというくだりを見て、彼女は美しい眉を寄せた。
襲撃者の中にいた魔法士が不思議な術を使って子供の体を引き裂き、その臓腑を集めたのだという。
おそらく禁呪絡みだ。
ティナーシャは短くそう断定した。
「近くの山を根城にしたみたいだからな。あぶりだしてやる」
そう言って軍を手配しようとする王の手に、彼女は自分の白い手を添えた。
「私が行きますよ。首領だけ生かしておけばいいですか?」
「お前が?」
「身軽ですから。夜には帰ってきますよ」
言いながら浮かび上がる彼女の手を、オスカーはかろうじて捕らえた。
日が沈んだばかりの夜空を閉じ込めたような両眼が彼女を見据える。
「お前が手を汚す必要はないんだぞ?」
射すくめるような、しかし気遣うような言葉に、ティナーシャは苦笑した。
「ありがとうございます……
 でも私が行きたいんです。上手くやりますよ」
開いている方の白い手を夫の頬に添えた。
闇色の瞳が妖艶な光を帯びる。
人を酔わす美酒のような囁きが紅い唇を揺らした。
「薔薇でも、血でも、地を埋めるほど差し上げます。
 望んでください? 私が叶えますから」
最強たる魔女。
比類なき力と美貌。
死の宣告を思わせるほど甘い言葉に、王は苦笑した。
取ったままの彼女の手の平に口付ける。
「俺の望みはお前がちゃんと帰ってくることだ。油断するなよ?」
「余裕」
短い返事と共に彼女は姿を消した。
鮮烈な存在が残滓となって部屋に残っている気さえする。
オスカーは口元だけで笑うと、中庭を染め上げる紅い花を思い出した。
彼女ならば本当に地を覆うほどの血を流させることも簡単なことなのだ。
そしてそれが彼の為になると思えば、進んでその役を引き受けるだろう。
「あれの手綱を取るのも大変だな」
小さな嘆息。
だがそれは決して不快ではない。
彼女の力を使うことに慣れてしまえば、彼女の姿も見えなくなってしまうだろう。
残酷さも優しさも全てが彼女の真実なのだ。
そしてその全てを彼女は無造作に差し出す。
ただ一人の男である彼の為に。
「まったく……俺を試すな、爆発玉め」
帰ってくれば花のように微笑むのだろう。
少女のように。
無垢であるかのように。
闇の中は薔薇の紅でさえも見えない。
だがその闇の蠱惑を彼はよく知っているのだ。

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