慣例通り

mudan tensai genkin desu -yuki

「ティナーシャ、起きろ」
彼の人生において、もっとも多く繰り返されている無意味な行為が何かと言えば、こうして朝、妻に声をかけることかもしれない。
結婚前から非常に寝起きの悪かった魔女。彼女が声をかけただけで起きてきたことなどない。精々唸り声を上げて縮こまるだけである。
だから大抵の日において、オスカーは一言かけて放置することが常になっていたのだが、この日は違った。
朝から国の式典準備が予定されており、妃である彼女も立会いが必要なのだ。
寝台の上に起き上がったオスカーは、眠る女の頬をぺちぺちと叩く。
「起きろ起きろ。起きないと怒るぞ」
「……う、うー」
寝ている女はうなりながら顔を枕にうずめた。聞く気がないと全身で表している姿に、オスカーは溜息を飲み込む。
彼は今度は上に来た後頭部をぺしぺし叩いた。
「起・き・ろ。このまま引きずってくぞ」
「ううう」
みしり、と嫌な音がする。
それが何の音であるのか、確信する前にオスカーは反射的に妻の体を抱えた。寝台から飛び降りて距離を取ったと同時に、ティナーシャの枕があった部分が思い切り陥没する。
穴の開いてしまった寝台を見て、オスカーは脇に抱えたままの魔女を小突いた。
「家具を破壊するな! どれだけ寝起きが悪いんだ!」
彼女の魔法が暴走することは稀にあるが、寝起きが悪くて寝台を壊されていてはきりがない。
ふゅー、と息をついて再び寝始める妻を、オスカーは頭痛を堪えながら見下ろした。

「とりあえず立ち会ってさえいればいいんだよな」
「へ、陛下……」
城の大聖堂内、王と対になる左側の椅子に置かれた「それ」を臣下たちはおのおの複雑な表情で見つめた。
国宝の封飾具を首輪として嵌められ丸くなっている黒猫。安らかな寝息を立てている王妃を、オスカーは横目で確認する。
「さ、始めるか」
「あの、ですが」
「起きたら説教してから説明する。予定通りに行くぞ」
「は、はぁ」

人生には無駄と分かっていてもやらなければならないことがある。
だがそれを事前に避けられるなら、その方がずっとましだろう。
これ以降、ファルサスでは王妃の出席が求められる予定は午前中に組まれなくなった。
その慣例が間違って三百年くらい続くことになったのはご愛嬌である。