無知の時代

mudan tensai genkin desu -yuki

ファルサスの王剣アカーシアは本来、即位式に先代王から新しい王へと受け渡されるのが通例である。
だが何事にも例外というものは存在しており、それは形式よりも実を重んじるファルサスでは尚更顕著だった。
即位前であり、また十八歳という若さながら、簡略な式を経て王よりアカーシアを継いだ主君を、控えの間で待っていたラザルは憧憬の目で見上げる。
無駄なく鍛えられた男の体は少年から青年のものとなりつつあり、青を基調にした正装がよく似合っていた。
「よくお似合いですよ。殿下」
「殿下はやめろというのに。それより着替えるから少し待ってろ」
「もうですか!?」
折角珍しくも正装を纏ったというのに、それを式の終わった直後に脱いでしまうというのだろうか。
これが着替えの手伝いを命じられたのなら苦言して留めるところだが、その間もなくオスカーは部屋に帰ると、さっさと自分で軽装に着替えてしまった。悄然とするラザルに彼はアカーシアを持ち直すと笑ってみせる。
「よし、では行くか」
「……どこにいらっしゃるんですか」
「とりあえず未踏破の遺跡を端から」
「…………」
ひょっとして一番手にしてはいけない人間に、手にしてはならないものが受け継がれてしまったのかもしれない。
そんな不敬な不安がラザルの脳裏を一瞬よぎったが、彼は溜息をつく暇もなく襟首を引き摺られ、城を脱出する羽目になったのだった。
実にいつものことである。






魔女の時代現在、遺跡と呼ばれるもののほとんどは、暗黒時代以前から初期にかけて作られ、忘れ去られた遺物を意味している。
それらの多くは発見後、各国の城などから調査の手が入っているが、解析出来ぬ魔法障壁などにより途中までしか人の手が入っておらず、立ち入りを禁止されているものもまたいくつか存在していた。
そのうちの一つ、ファルサス城から馬で二時間程走ったところにある森の遺跡の中を、ラザルは肩を落とし歩いている。
あちこちが欠けた石畳は彼が一歩進むごとにざりざりとした音を鳴らし、誰も立ち入らずにいた時間の長さを声高に主張していた。
彼は何の武装もなくただランタンだけを持ちながら、自分より広い歩幅の足跡を追う。
「殿下、帰りませんか……」
「断る。これからが面白いところじゃないか」
「もう二時間も迷子になってるんですよ! どっから面白くなるんですか!」
「俺は結構楽しんでるぞ。だってほら」
言うが早いかオスカーは振り返った。ラザルに駆け寄り片手で頭を押さえ込むと自らも身を屈める。
間を置かずして彼らの頭上を青白い魔法の光が貫いていった。光はずっと後ろの壁に到達し、焼け付くような耳障りな音を立てる。
侵入者を排除する為の罠。食らえば間違いなく命がなかったであろう攻撃にラザルの顔色は蒼白になった。
「で、ででっで殿下!」
「どうした、ラザル。あ、今アカーシア使えばよかったのか」
「そうではなく! 今の……」
「仕方ない。もう一回攻撃が来ることを期待しよう」
「…………」
暗闇に覆われた中を、二人は足取りも対照的に進んでいく。
暗黒時代以前に滅んだ国の神殿だったらしい遺跡の最深部に、彼らが到達するまではあと四時間。
―――― その最後にはラザルの涙も枯れ果てていたことは言うまでもない。






「うう……七度位死ぬかと思いました……」
「いやそれは多すぎだろう。せいぜい二回だ」
「充分すぎますよ!」
地下深くに開けた神殿。その奥の小部屋に到達した二人は、残されていた魔法具などを見渡しながら暢気な感想をかわしあっていた。
もっとも暢気なのはオスカーだけでラザルの方はげっそりと壁によりかかっている。
精魂尽き果ててしまった様相の彼は、空っぽの石棚を眺める主君を眺め、ようやく細い溜息をついた。その場に崩れ落ちそうな体を何とか石壁で支える。
小さな部屋は元は書庫であったのか三方を作りつけの本棚が占めていたが、そこには本の一冊も残っていなかった。
代わりにオスカーは奥の壁一面に彫られた石画を見上げる。
「アイテア神話の壁画か。ということはアイテアの神殿だったということか?」
「そのようですね……。あの時代には今以上に信仰が篤い国があったでしょうから」
大きな石画には三人の男と一人の女が描かれていた。
そのうちの一人は右手をかざし、流れる川から水を吸い上げている。
吸い上げられた水は隣に座る女が抱えた水瓶に注がれ、残る二人の男が彼らに向かって頭を垂れていた。
主神アイテアと神妃ルーディア、そして彼らに仕えた剣士と精霊術士の壁画である。

川に浮いている花一つ一つにまで見入っていたオスカーは、ふと何かに気付いたように首を傾げた。壁画の下にある長方形のくぼみを指差す。
「これ何だ?」
「何だと仰られましても……説明書きに見えますが」
覗き込んだラザルの言葉通り、それは神話の場面について概要を記した説明書きだった。
ファルサスに生まれたものなら誰もが知っている内容に、何を問われているのか分からぬラザルは主君を見上げた。オスカーは形の良い眉を寄せる。
「いや、説明書きはそうだろうが、何でくぼんでいるんだ? まるで一度失敗したから削って書き直したみたいじゃないか」
「言われてみれば。記述が間違っていたんじゃないでしょうか」
「そんな馬鹿な。彫りだす前に気付かないか? 普通」
削られた部分は乱暴に抉り出したというわけではなく、綺麗に整えられ切り出されている。
その中に書かれた文字は装飾の違いは見られたがまぎれもなく共通文字のものだった。二人は何の変哲もない文章を見ながら考え込む。
だが他にめぼしいもののない部屋の中ということもあり、その答はまったく見当もつかなかった。ラザルは困惑顔で主君を仰ぎ見る。
「とりあえず写しでも取って城の魔法士に見させますか?」
「そうだな……いや、いい。単に俺の気にしすぎだろう」
オスカーは壁から視線を離すと、部屋の中をもう一度見回した。何かを探すような目にラザルは胸の痛みを覚える。



この主人はとかく無謀で危険な場所に行きたがるが、それは単に冒険好きだからという性格の為だけではない。
幼い頃に魔女から受けた呪い。その呪詛を拭う方法を探して、彼は自らあちこちを彷徨っているのだ。
だが彼の努力にもかかわらず解呪については糸口さえも掴めていない。自然と重くなる気に、ラザルはつい表情を曇らせた。
幼馴染のそんな様子に気付くと、オスカーは端正な顔立ちに苦笑を浮かべる。
「大丈夫だ。まだ俺も十八だからな」
「そう仰られましても……」
三年前も同じことを言っていたではないかと、いいかけてラザルは口をつぐんだ。
当の本人が泰然と己の運命に向き合っているのだ。仕える自分が弱音を吐いて落ち込んでは仕方ない。
彼は瞬間で表情を和らげると、いつもの少し困ったような微笑を見せた。抑えた声音で主人に問う。
「呪いが解かれたら……どのようなお妃を迎えられたいですか?」
「ふむ? 妃と言われると急に想像つかなくなるな。誰でもいいぞ。俺が気に入った相手なら」
「その気に入られる相手をお聞きしてるんですよ。希望とかこだわりとか。」
「そのこだわりがよく分からん。長く一緒にいられる相手が一番とは思うがな」
「長くですか……」
玉座に在る数十年、まだ見ぬ女性が主君を支えてくれるなら、それはラザル自身の喜びでもあるだろう。
彼は数秒間、何も分からぬぼんやりとした未来に思いを馳せた。知らずうちに両眼が見えぬものを求めて細められる。
言わずとも伝わる空気。それは彼らが共に過ごした十数年で培ったものだ。
昔からの友の肩をオスカーは叩くと戸口に向かって歩き出した。
「まぁ、とりあえずは無事戻れるかが問題だな。途中罠で崩落した廊下もあるし」
「ああああああああ! そういえば! どうやってあれ向こう側に渡るんですか!」
「何とかなる何とか。さ、帰るぞ」
「次は魔法士も連れてきてください!」
絶叫する少年を引き摺って、オスカーは笑いながら再び遺跡の廊下を戻り始める。
あっという間に駆け抜けた少年期の終わり―――― それはまだ彼らが運命を知らない時代の、遠き日の記憶であるのだ。