相似の形

mudan tensai genkin desu -yuki

「姉様を騙している魔物を懲らしめて欲しい」

まだ十歳を過ぎたばかりの程に見える少女は、必死な目でそう言った。魔女は眉を顰めて腕組みする。
「と言われても。本当に魔物なんですか?」
青い塔の三階、失格となった一行に、だがティナーシャは望みを聞く為に下りてきていた。
それは十人を越える大人たちの中に一人の少女が含まれていたからである。
こんな危険な場所に子供を伴ってくるなど何か余程の事情があるのだろう。
その事情を聞きに来た魔女はしかし、少女の望みを聞いて釈然としない顔になった。
「本当なの。だってわたし、聞いてしまったのだもの。あの男が『二百年前の方が面白かった』って言っていたのを」
「ああ……」
それではまず間違いないだろう。ティナーシャは組んでいた腕を解いて頭を掻く。
人間の寿命は約七十年。大陸にはそれを遥かに越える年月を生きる魔法士が数人いるが、例外なく彼女たちは女性なのだ。
男の体は長く生きるには向いていない。無理に延命を施しても、術が未熟であれば肉体や精神が耐え切れずに変質してしまう。
にもかかわらず二百年前から生きているという男がいるとしたら、それは魔族である可能性が高いだろう。ティナーシャは少女に向って頷いた。
「分かりました。やりましょう」
「本当!?」
「ただし、私のことは他言無用です。あと二度とこんなところへ来たり、無茶はしないこと」
魔女は喜色を浮かべる少女と、兵士らしき男たちを溜息混じりに見渡す。中の一人が歓声をあげかけるのを魔法で封じると、彼女は大人たちを転移陣を使って全て外に放り出した。驚く少女の手だけを取る。
「では行きましょうか、王女殿下。貴女の国、ガンドナへ」

栗色の長い髪を指先で弄ぶ。
それだけで女は恍惚とした目になった。隣にいる男にもたれかかる。薔薇色の唇から零れる声は嬌声のように甘いものだ。
「本当にそんなことが可能なのかしら」
「出来ますよ。貴女がまもなく女王となるのだから。あれら大臣たちは貴女を操り私腹を肥やそうとしている。今のうちに処刑するべきです」
「でも……後で困ってしまわない?」
「貴女には私がいますよ」
酷薄な本音に砂糖をまぶして覆い隠しながら、美貌の男は微笑みを浮かべる。
人間は、こうして簡単に変節してしまうのだから面白い。
家族に、恋人に、悩みながらも刃を向け殺しあう。奇麗事で己を騙し人を踏みつける。その弱さと複雑さが楽しくてたまらないのだ。
何故同族たちが皆、人間に興味を示さないのか、彼はまったく分からない。これ程までに面白いものが元の位階にあるだろうか。
この世界に来てしまったことは偶然に近いが、帰るつもりは今のところ微塵もなかった。
男はしなだれかかる女の顎に指をかける。抗うはずもない女に顔を寄せようとした。その時―――― 違和感を、覚えた。
彼は詠唱もなく右手に複雑な構成を展開させる。
それは、前触れのない攻撃が扉を破るとほぼ同時であった。
鋭く研がれた槍の如き一撃。
そのままでいれば確実に彼の頭を貫いたであろう魔法を防いだ男は、寄りかかっていた女を押し退けて立ち上がった。
砕かれた扉の向こうには十五歳程に見える黒髪の少女が立っている。だが、彼女の黒い双眸は奥底に老成した光を宿していた。
少女は男ではなく、隣で硬直している女を見やって口を開く。
「王女よ。魔族に踊らされれば国が滅ぶぞ」
「…………魔族?」
「堂々と横槍入れてくれるじゃねーか、小娘」
二人の視線が交差する。それは、同じくらい冷ややかで同じくらい意外さを込めたものだった。少女は思わず眉を顰める。
「まさか……最上位、か?」
「成長を止めてあるのか。お前も魔女か?」
殺意よりも鮮やかな戦意がその場で跳ねる。
それは余人には理解できない魔力となって広い部屋に充満した。豹変した恋人と「魔女」の言葉に女は慄く。
だが、空中に迸る雷光に悲鳴を上げて蹲った彼女は、しばらくして何も異変が感じられないことに気づき、恐る恐る顔を上げた。
「トラヴィス……?」
名を呼んでも答える男はそこにはいない。
いつの間にか部屋からは、男の姿も、そして闖入者である少女も忽然と消えてしまっていた。

空を飛ぶ彼女の後を、炎の弾が追ってくる。
ティナーシャはそれを短い詠唱と共に打ち落とした。間を置かずに新たな構成を組む。
二連では足りない。三連でも到達できるか分からない。
今まで出会った中でもっとも手強い相手であることをひしひしと感じさせる男に、彼女は苦心して五連からなる攻撃構成を完成させた。
ふっと息を吐いてそれを打ち出す。
構成は空に広がると同時に三つに分かれた。トラヴィスは具現化し向ってくる刃を見やって口笛を吹く。
「お前がトゥルダールの生き残りか。随分捩れた構成組むじゃねーか」
「最上位が何故この世界にいる?」
「召喚されたんだよ」
トラヴィスは襲い掛かる刃を寸前で門を開いて転移させた。同様に空に浮く彼女の、すぐ真後ろに。
ティナーシャは舌打すると同時に攻撃を避けて自らが転移する。
かわしきれなかった刃が耳のすぐ上を掠めていった。黒髪が一房、遥か下の地上に落ちていく。
だが彼女はそれに僅かばかりも拘泥しない。十指に繋がる魔力を繰ると、空に広がった構成の一部が棘を持った蔓として男の体に絡みついた。
続いて無数の氷の矢が魔族の男目掛けて降り注ぐ。
到底かわしきることの出来ない攻勢。けれどトラヴィスは唇の端を軽く上げただけで動かなかった。
「消えろよ」
その一言で、氷の矢は全て弾け飛ぶ。
彼は体に巻きついた蔓を笑いながら引き剥がすと、それを振るって背後から向ってきていた不可視の球を叩き落した。
蔓の棘によって傷ついた体を一瞥すると、何事もなかったように傷跡が塞がる。
「この程度か? 小娘」
「残念。もう一歩だ」
ティナーシャは軽く指を弾いた。途端、男の皮膚を突き破って数百本にも及ぶ針が現れる。
魔女は棘の先から忍び込ませていた魔力を彼の体内で針と成したのだ。
矛先のように集中して男の目を狙う針の大軍をトラヴィスは罵りながら打ち消した。一転して血まみれになった腕に指を滑らせながら治癒を施す。
「……ここまで傷をつけられたのは初めてだ」
「初めてついでにいっそ死んでみてはどうだ?」
「お前が死んで俺を楽しませろよ」
ぶっきらぼうな男の言葉と共に、空中に巨大な構成が描かれる。
ティナーシャは皮肉な笑みでその構成を見やって、新しく組み上げた魔法を発動させた。

三百年を越える腐れ縁は、こうして始まる。
魔女はやがて王妃に、そして精霊となって歴史の影へ消えた。
男は一人の女王に添い、彼女を死の床に到るまで支えた後、世界から姿を消す。

斜めに降ってくる真空の矢の雨をティナーシャは最低限の結界だけで受け流した。男に向かって距離を詰める。
余裕の笑みを崩さないトラヴィスの攻撃を自らの構成で相殺すると、彼女はその眼前に飛び込んだ。
だが、新たな構成に魔力を通そうとした魔女は、刹那の判断で半歩後ろに跳ぶ。遅れて、ひやりとした感覚が背筋を走った。
それが何であるのかはっきりと認識する前に、ティナーシャは手を自分の左足に触れさせる。
半ば無意識な動作―――― けれどその判断は、彼女の命を救った。
膝のところで半ば切断されかかった左足。彼女は激痛が襲い来る前にその箇所の感覚を封じることに成功したのだ。
少しでも遅れれば痛みで隙が出来るか、悪くて気絶するところだった。息を飲む魔女にトラヴィスが喉を鳴らして笑う。
「どうした? 気が挫けたか?」
「いいや、まったく」
表情を歪めたのは今度は男の方だった。
ティナーシャが投擲したただの短剣が、目晦ましである構成の隙間を縫って彼の腹部に深々と突き立ったのだ。
人間と同じ体の作りで現出する上位魔族は、血が染み出す傷口を手で押さえた。癒す隙を与えずティナーシャは右足で空を蹴る。
彼女は左手の中に転移に似た構成を生んだ。それに応えて男の腹に刺さったままの短剣が引き抜かれる。そして右手には新たな剣を呼び寄せた。
研ぎ澄まされた意志を細く保つ。何の揺らぎもない戦意を殺意に。
刃を揮う彼女を待っていたのは、もはや笑っていない男の苦々しい貌だった。



千切れかけた足を繋ぐのには時間がかかった。
その作業に集中しつつもティナーシャは、今更ながら空恐ろしさを実感する。
もし、あの後男が「飽きた」と言って消えてしまわなかったら、或いは死んでいたのは自分の方だったかもしれない。
塔を建て、自分の目的の為に情報を集めている身にもかかわらず、こんなところで死んでしまうのは御免被りたかった。
彼女は不ぞろいになった髪をかき上げると嘯く。
「まぁ、次は殺しますけど」
治療を終えたティナーシャは慎重に立ち上がった。左足をゆっくりと曲げ、伸ばしてみる。
感覚も動きも問題ない。魔女は安堵の息を洩らした。
―――― そうは言っても、もう彼とまみえることはないだろう。
最上位の魔族など、それだけで充分異常な存在なのだから。
だが、そう思っていた彼女は一月後、たまたま出かけた街の酒場で同じ男と再会する。
何度も殺し合いを繰り返しながら、何処かでお互いを認める奇妙な関係に彼ら二人がなっていくのは、それから先のことなのだ。