双頭の蛇 14 のおまけ

mudan tensai genkin desu -yuki

耳の上にかかる黒髪を指で除ける。
露わになった白い耳朶に、そして肩にラジュはそっと口付けた。未だ眠りの中にある彼女は小さく震える。
「ティナーシャ、朝」
「ん……」
「起きない?」
「うう」
「起きれないなら寝てていいけど」
「……………………起き、ます」
力ない宣言からたっぷり一分後、彼女の白い躰はようやく動いた。まだ半分以上眠っている黒い瞳がラジュを見上げる。
「おはようございます……」
「おはよう」
結婚してから分かったことだが、彼女は猫の時よりも人の姿の方が寝起きが悪い。
猫の時はつまみあげればよたよたと自分で歩いていったが、人の時は歩くのも危ういらしく、起きてすぐは家の中でも転移で移動している。
この日も例に漏れず、彼女は服を着ると転移して寝室から消えた。おそらく朝食を作りに行ったのだろう。ラジュは苦笑すると自分は浴室に向かう。

「荷解き、私がしちゃっていいんですね?」
「いいよ。大してないし。重いものがあったら置いといて。俺がやる」
「魔法使うから平気ですよ」
結婚を機に二人は城都に小さな屋敷を買った。
城砦から異動になったラジュはそこから城に通い、一方、城に住んでいたティナーシャは王の補佐をやめて屋敷で暮らすことにしたらしい。
結果、まだほとんど物のない新居を整える役目は彼女の手に委ねられ、その一環としてティナーシャはラジュの引越し荷物を解こうとしていた。
朝食に手をつけながら彼女は前回の荷造りを思い出す。
「村から引っ越した時も荷物あんまりなかったですからね。必要最低限というか」
「そんなに必要なものもないしな。適当でいい」
「了解です」
食事を済ませると、ラジュは城に出仕していった。夫となったばかりの少年を見送った彼女はさっそく掃除と荷解きに取り掛かる。
彼の荷物は本人の言う通り、服と本をはじめ最低限のものしかなかった。
ティナーシャはあっという間にそれらを片してしまうと、最後に箱の底にあった紙の束を拾い上げる。
「何これ」
大きさの異なる紙を紐で軽く括っただけの束。だが、紐が緩んでいたのかそれらは手に取ると、半分以上が床に零れ落ちてしまった。
彼女は慌てて散らばった紙を拾い集める。どうやら全て手紙の類らしい。村にいる叔父からの手紙などを彼女は丁寧に重ねていった。
だが、最後に拾い上げた一枚を手にとってティナーシャは動きを止める。

最年少で将軍位を得たラジュは、既に初日から城の有名人であった。
それは剣術大会で圧倒的な腕を見せて優勝したということに加え、王の寵姫と言われていた女を得て妻にした為に。
「彼女ってどんな人間なんだ? やっぱり怖いのか?」
訓練場でそんな風に話しかけてきた年上の将軍に、ラジュは苦笑いを浮かべるしかない。
彼女がここでどんな生活をして周囲からどう思われていたのか、ラジュはモーラウからの手紙で知っているが、彼女を直接知らない人間にとってはやはり怖いながらも興味の対象なのだろう。剣を置いた少年は回廊を見上げて口を開いた。
「確かに怖いところもありますが、別に……」
「ティナさん待って! 殺さないで!」
ラジュの言葉を遮るような叫び声に訓練場にいた二人は回廊を見やる。
二階部分にあたる長い廊下。そこを文官の格好をした男が走っていた。彼の背後からは女が一人追いかけてきて何かを投げつける。
「煩い変態! 海に放り込んでやる!」
「ちょっとした冗談ですよ、あははははは」
「黙れ無能! あることないこと手紙で言いつけて……誰がいつ王を半殺しにしたんですか!」
「痛い! ティナさん角があたった!」
「知るか!」
悲鳴を上げる男と、それを追う女はあっという間に見えなくなった。再び静寂が訪れる訓練場で、将軍とラジュは顔を見合わせる。
「…………」
「………………」
何故モーラウが痛い目にあっているのか、心当たりは少しあった。
そう言えば手紙を封筒に戻していなかったかもしれない、とラジュは自分の荷物を思い出す。心の中で密かに謝罪した。
話しかけてきた将軍はいささかの困惑と共に、だが何とか笑ってみせる。
「可愛い奥方だな」
「……爪をしまっている時はおおむね」
まったく仕方のない猫だ。だが、いずれはそれも落ち着くだろう。
そうでなければ繰り返し言い聞かせるだけだ。
ラジュは剣を手に取り訓練へと戻る。広がる青空はいつの時代も変わらぬ晴天だった。