mudan tensai genkin desu -yuki
食堂に入れなかった猫、もといティナーシャは、猫の姿のまま街をふらふらと散歩していた。
下を歩いていては人に踏まれそうになるので屋根の上を歩いていく。吹いていく風がここちよく黒い毛を揺らした。
彼女が足を止めたのは街の最北部、大きな屋敷の前だ。地上から怒鳴り声が聞こえてきてティナーシャは屋根からそれを見下ろす。
見ると、貴族らしき男がなにやら通りすがりの子供に怒鳴っているようだ。姉弟らしき二人は身をよせあって怯えていた。
「よくもわしの服を汚しおって! このガキ!」
服装の割りに汚い言葉を使うな、とのん気に思いながら彼女は屋根を蹴った。そのままはるか下の地上に音もなく降り立つ。
彼女が子供たちの隣までてくてく歩いていくと、彼らは今まさに殴られようとしているところだった。姉が弟を庇って抱きしめる。
けれど、来ると思っていた衝撃はいつまで経っても彼らを襲わなかった。震える姉の頭に軽く手が置かれる。
「ほら、今のうちに逃げなさい」
「―――― え?」
見上げると彼らの前にはいつの間にか一人の女が立っていた。彼女は片手で男の拳を受け止めながら、もう片方の手で少女の頭を撫でる。
細い体のどこにそんな力があるというのか。逆に女に手を握られた男は苦痛の声を漏らした。
「何だお前は!」
「どうでもいいじゃないですか。それよりさっさと屋敷に戻ってください。私もそろそろ帰らないといけないんで」
「ふざけるな!」
男は自由な逆の手を振り上げる。しかし次の瞬間彼は体ごと後方に吹き飛ばされた。地面にしりもちをつくと駆け寄った護衛に支えられる。
主人に攻撃をしかけた見知らぬ女に、付き従っていた者たちは顔色を変えると次々と武器を抜いた。
それをを見て、女は肩をすくめると危機感なく姉弟を振り返る。
「ほらほら。行って行って」
「でも……」
「大丈夫ですから。私の方があの人の服を汚してますからね。私が怒られますよ」
確かに地面に転がされた男の服は砂まみれだ。姉弟はためらいながらも再三促されてその場を後にする。
そして角を曲がった彼らが数秒後に聞いたものは―――― まるで門を強烈な力でぶち破ったかのような爆発音だったのである。
余裕綽々で十人以上の武装した男たちを一人でねじ伏せた女。
その彼女が街の中央にある広場で悲鳴を上げる羽目になったのは、この僅か一分後のことである。
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