王と黒猫

mudan tensai genkin desu -yuki

「貴方って本当に魔法が苦手なんですね……」
妻であった精霊にしみじみと言われてオスカーは閉口した。手の中に作りかけていた構成、というより何だかよく分からないものを放棄する。
宙に逆さに浮いている女は困惑を隠せない目でそれを見下ろしていた。
王であるオスカーは現在、長男ウィルの即位を来年に控えて城の奥宮に隠遁し、息子たちに国政を任せてしまっている。
その代わりと言っては何だが、彼は「これから絶対必要になるから」と言う魔女に魔法を習うことになったのだ。
「何で小さい頃に誰も教えなかったんですか? こういう基本って大人になってから身につけるのは大変なんですよ」
「習った。が、出来なかった」
「…………」
戦闘をする魔法士に必要なのは魔力と構成力と構成を組む速度である。
この三つの要素で戦闘の強弱が決まると言われているが、彼には最初の一つ以外何もない。ティナーシャはこめかみを押さえて悩んだ。
「貴方の場合、構成力が剣での戦いの構想の方に引き摺られてしまうんでしょうね。まったく畑が違うんで仕方ないと言えば仕方ないんですが」
彼女自身は構成について、膨大な努力で身につけたものだけではなく天賦の才もあった為、正直言って「何故出来ないのか」が分からない。
むしろ彼を見て、構成力には頭脳の切れる切れないはあまり関係ないのかなぁと思ったくらいである。
現に王の三人の子供は、魔女が産んだ二人の方は突出した構成力を持っているが、王となるウィルは父に似たのかやはり魔法が非常に苦手だ。
三人とも頭は良い子供だったので、これはもう向き不向きなのだろう。
「何か構成力を鍛え上げるより、よく使いそうな構成だけを丸暗記させた方がよく思えてきましたよ」
「俺もそんな気がする。いくつか絞って教えてくれ」
「とりあえず最優先なのが、空中移動と治癒ですか……。何か治癒は向いてない予感がするんですけど。あと転移かな」
オスカーは膝の上に下りてきた女の頭に顎を乗せた。彼女の提案を反芻する。
「転移って高等なんじゃないのか?」
「空中移動だって高等ですよ。でも必要ですから! 魔力は充分にあるんで、頑張って暗記してください!」
本当はもっともっと覚えてもらいたいことあるんですけどね! と口を尖らせる妻に王は降参せざるを得なかった。

翌日から彼はまず浮遊の構成を叩き込まれることになった。何故これかというと、危急時になると彼は無意識にこの魔法を構成統御できる為である。
「出来るんだからやってください」
と冷たい突込みを浴びながら王は、彼女の示した通り構成を組み始めたのだ。
はたから見ると外見年齢差の為、若い娘にいい年をした親が怒られているように見えてしまうのだが、幸い誰も目撃者はいなかった。
「できました? 失敗してたら不味いですから、まずそこの花瓶を浮かせてください」
「なるほど」
オスカーは完成した構成を意識してテーブルの花瓶に放つ。
構成に支えられた花瓶はゆっくりと空中に浮かび上がり―――― そして不意に砕け散った。
「…………」
「…………花瓶が古くなってた」
「なってないよ!」
ティナーシャはぶつぶつ言いながら破片を集めて消してしまうと、今度は丈夫な鉄製の花瓶を手元に出現させる。
そして魔法の訓練は半日に及んだのだった。

「頭が痛いぞ……」
「普段使わない部分を使ってますからね。その内慣れますよ」
ソファに座って天井を仰ぐ男の額に、ティナーシャは氷を包んだ布を乗せる。ひんやりとした感触は疲れを吸い取ってくれるようでオスカーは一息ついた。
「もう俺が一度死んで生まれ直した時に、子供時代から教えたほうがいいんじゃないか?」
「何てこと言うんですか!」
叫び声と共にティナーシャは飛びついてくる。訓練を投げ出そうとしたことを怒ったのかと思ったのだが、彼女は怒りよりも必死な目で彼を見上げていた。
「絶対嫌ですからね! 延々生きててくださいよ!」
「……それは、まぁ、そういう生き物になってしまったしな」
「城を離れたら体も魔法で作り変えますからね! 最盛期に戻しますから簡単には死ねませんよ!」
魔女はまるでほんの少女のように不安そうに見える。そこに、普段は見えない彼女の深奥を垣間見てオスカーは瞠目した。
どちらがどちらを置いて先に死ぬのか。どちらがよりそれに耐えられるのか。
それは比べられるようなものではないのだろう。実際その時になってみなければ分からない。
オスカーは額の上にある氷を手にとって彼女の頭の上に乗せた。そのまま細い体を抱きしめる。
「大丈夫だ。ちゃんと傍にいる」
温かい感触。無数に繰り返した時。そして、それとは別の悠久をこれから彼は体験していく。
彼女が魔女として重ねてきた年月と同じくらいに、おそらくそれ以上に、長く人外として時を渡っていくことになるのだ。
少女だった彼女が四百年の間に様々な変質を経たように、自分も変わっていってしまうものなのだろうか。
その可能性に恐怖を感じないわけではなかったが、彼はまた一人ではないのだ。
ティナーシャは無言で男の胸に顔を押し付けていたが、もぞもぞと動くと真下から彼を見上げる。
「そう思うなら訓練もしてくださいね」
「―――― 分かった」
力をつけることに異論はない。
どのみち彼女を守る為に必要なものだ。オスカーは伸びをすると立ち上がる。
腕の中に抱いたままの女を見下ろして、彼は頷いた。
「よし、訓練はするがちょっと気分転換がしたい」
「貴方の気分転換ってろくなことないから嫌ですよ」
「猫を洗いたい。猫になってくれ」
「い、嫌だよ!!」
ティナーシャは男の意図を悟ってばたばたと暴れるが、オスカーは彼女を放さない。笑い声をあげながら部屋の奥の浴室に向かった。
「やですって! 私、ちゃんとお風呂に入ってるじゃないですか!」
「あの猫が濡れてしょぼんとするところが好きだ。ほら、猫になってくれ」
「さ、最悪だ……。本物の猫洗ってくださいよ!」
「本物は逃げるし怒る」
「私も怒ってますよ!」
「乾かすとほわほわして可愛い」
「知るか!」
ちっとも離してくれない男に湯船に放り込まれそうになって、ティナーシャは慌てて転移して逃げた。
それを残念そうに見送った彼が、数日後に娘から聞き出して身につけた最初の魔法、それは彼の間合い内での転移禁止の構成だったのである。