日常の騒ぎ

mudan tensai genkin desu -yuki

「よし、では殴らせろ。恒例だからな」
「そんな恒例初めて聞きました。どこの国の恒例だか言ってみなさい」
王とその精霊の畳み掛けるような応酬に、しかし話題の中心にいる男は微塵も動揺していない。
しかしそれは豪胆であるというより何も考えていないだけであろうと、彼と結婚したいと主張しているフィストリアは思った。
今、この部屋にいる人間は七人。その内王族でないのは彼、カデスのみである。
一番奥の正面に座っている国王を筆頭に、彼の王妃であった精霊、側室、王の三人の子供が少々歪な円を描いてそれぞれの椅子に座っていた。
きょとんとしているカデスの隣に座るフィストリアは父親を睨みつける。
「何で殴るのよ!」
「そういうものだと古来から決まっている。結婚は許可だ。ただし、殴らせろ」
「まだ言いますかこの口は……」
「父様に殴られたら、カデスは死ぬわよ!」
よく似た顔の精霊と娘に同時の反論を食らって、オスカーは機嫌悪そうに横を向いた。
その態度からは何だかんだ言って大事な娘を男にやるのが嫌なのだという気持ちがよく伝わってくる。
だがそこでそれまで黙していた二人の息子のうち、父と同様に苦い顔をしていたウィルが口を開いた。
「あー、俺も聞いたことあるよ。うん。結婚申し込んだら父親に殴られるって」
「だな。大陸共通の話だ」
「私は初耳よ!」
男二人は何が何でもカデスに一発食らわせてやりたいらしい。フィストリアは平静な顔をしている末弟に視線を移すと「何か言ってやりなさいよ」と目で促した。
しかしルイスは
「別にいいんじゃないでしょうか。一発くらい。減るものもないでしょう」
と無情にも返してくる。言葉の端々に気のせいか冷ややかなものが見て取れた気がして、フィストリアは頭を抱えたくなった。
「歯が減ったりしたらどうすんの! もう! 私は結婚しちゃ駄目なの!?」
「そんなことはいってない」
「そんなことないよ。おめでとう」
「そんなわけありません」
揃って返ってくる三人の答にフィストリアは顔を引き攣らせる。
そして彼女は―――― こんなことならあらかじめ婚約者の挨拶を自分が考えておくのだと、心の底から後悔したのだった。

もともとはと言えば、カデスの求婚を受けたフィストリアが家族全員に彼を紹介することになった、というだけのことである。
それまで父親は苦い顔をしながらも娘の意を尊重しようとしていたし、弟二人は内心何を考えていたのかは分からないが祝いの言葉をかけてくれていた。
だが、実際みなが集まった後、カデスが挨拶をする段階にいたって問題は発生したのだ。
本来なら自分の素性と来歴を述べて結婚の許可を願うはずの男は、いつもと変わらぬまったく緊張の見られない真顔で、あろうことかフィストリアへの愛情をせつせつと語り始めた。あまりに気恥ずかしくて途中から耳を押さえて悶絶していた彼女自身は、彼のそういうずれた頓着のなさも好きと言えば好きなのだが、男たちはそうではなかったらしい。「こんな馬鹿にフィストリアをやらなければならないのか」という共通意識を彼らは持つと「結婚は仕方ないがせめて殴らせろ」という主張をしだしたのだ。

「力で解決しようってことね? 分かった。私が受けて立つからかかってきなさいよ、ウィル、ルイス。
 あ、母様、父様はお願い」
「了解しました。ちょっと貴方にはお仕置きが必要なようです。いい年なんですから大人になってください」
言いながら立ち上がる二人の魔女に、おかしな緊張が漂っていた室内の空気は一変する。
彼女たちに対抗できる唯一の剣を持っているウィルは、さすがに不味いと思ったのか顔色を変えた。
「まぁちょっと待って。城が壊れる」
「なら外に出てあげてもいいわよ? また逆さに吊るして泣かしてやるから」
「またって二十年も前の話!」
「クリスティネの前で泣かしてやる」
「もう負けないから!」
がたがたと騒がしい室内。その中で今まで沈黙していた女が口を開いた。決して大きくはないが芯の通った声が響く。
「皆様、いい加減になさってください」
穏やかな微笑みさえ湛えているスタシアが静かな威を込めて注意すると全員が押し黙った。
普段自分から表に出ない彼女がこういう風に発言する時は誰も逆らえない。言うまでもなく彼女が正しく、皆がおかしいのだ。
まるで全員揃って叱られているような空気の中、スタシアはにっこりと笑顔を作る。隣にいるウィルが僅かに蒼ざめた。
「おめでたい話でしょうに喧嘩なさることもないでしょう。
 寡聞にしてわたくしも求婚してきた男性を父親が殴るかどうかは存じ上げませんが……」
精霊に首を絞められたままのオスカーがさりげなく視線を逸らす。しかしそれを追及することはせずスタシアはそのままカデスに向き直った。
「ご本人を黙らせたまま話を進めることはありませんわ。言いたいことがあるのならば直接彼に仰ればよろしいのです」
「……もう充分聞いた」
充分すぎるくらいなのだ。彼がフィストリアに並々ならぬ想いを抱いているらしいということは全員に伝わっている。
何とも言えない視線が集中する中、カデスは一同を見回して王の首を絞めている女に目を留めた。
彼の婚約者に非常によく似ている若い女は、しかしフィストリアの母親ということらしい。
今までずっと気になっていたのだが、彼はついに軽く手を上げる。
「あの、よろしいでしょうか」
「何だ」
「そこにいらっしゃる女性はトリアのお母上なんですよね」
「です」
「ということはファルサス王妃で青き月の魔女で、故人でらっしゃいますよね」
ほぼ全員が、うっと言葉に詰まる。
一体どう説明すればいいのか。
困惑するフィストリアとは対照的に、首を絞めてくる手を掴んで引き剥がした王は平然と「そうだな」と答えた。
「死後に魔族になって今は俺の精霊だ。例外中の例外だな」
「なるほど。凄いですね。さすが最強と言われた方は違います」
「気味が悪いか?」
「まさか。トリアも嬉しいでしょうし、僕もお目にかかれて嬉しいです。よろしくお願いします」
即座にかえってきたカデスの返事はまったく裏のない、よく言えば正直な、悪く言えばやっぱり何も考えていなそうなものだった。

―――― 彼は最初からそうだったのだ。魔女だろうと王女だろうと一向に構っていない。
彼が見ているのはその人本人だけで―――― それがフィストリアを安心させている。

オスカーは軽く目を細め、二人の息子もそれぞれの表情で沈黙した。
少し間が抜けているかもしれないが、これが彼のいいところなのだ。それを分かってくれないだろうかとフィストリアは全員を見回す。
久しぶりに見る娘の縋るような視線を受けてオスカーは数秒の間の後に盛大な溜息をついた。
妻と同じ双眸、しかし彼にとっては幼くも見える娘に頷く。
「……婚礼衣装を作らなければな。職人を呼ぼう」
「本当!? あ、でも私、母様のドレスが着たいの。駄目かしら」
「勿論いいですよ。採寸して調整しましょう」
一気に和らぐ空気の中、楽しそうに相談を始める女性陣とは対照的に、カデスを除いた男三人は色々なものを飲み込んで…………しかし結局心からこの婚姻を祝福することに決めたのだった。