闇火 08 のおまけ

mudan tensai genkin desu -yuki

遠くで鐘がなっている。
これから始まる式の為の鐘だろうか。シエラは大きく開けられた窓辺によって空を見上げた。
よく晴れた日だ。申し分ない結婚式日和。彼女はほっと息をついた。
「シエラ様、花はこちらに置いておきますね。あとフィストリア様がお会いしたいとのことです」
「様って、やめてほしいのですが……」
「ルイス様の奥様を呼び捨てにはできませんわ」
朝からシエラの着付けを手伝ってくれたライラは、白い花束をテーブルの上に立て置くと満面の笑顔を見せる。
あの日ライラが彼女を案内してくれたのはルイスの私室であり、しかも彼には彼女が来ていることをわざと伝えなかったらしい。
理由を聞いたら「教えて逃げられたら困りますから。あなたに泣かれるのが嫌で事後処理を私に押し付けて帰っちゃった人ですよ」と返ってきた。
それを耳に入れたルイスは苦い顔で「逃げてませんよ」とだけ言ったのだが真偽の程は定かではない。

ライラが別の支度があるとのことで一旦退出するとほぼ前後して、控え室の扉が叩かれる。
返事をすると入ってきたのは闇色の瞳の美女だった。一度見たら忘れようのない印象的な美貌。シエラは丁寧に頭を下げる。
「大公妃様、わざわざありがとうございます」
「いえ、一度貴女にお会いしておきたかったので。本日はおめでとうございます」
シエラは少しだけ違和感を抱いて顔を上げる。
確かに彼女は知っている顔だ。前にも何度か会ったルイスの姉。だが、何かが引っかかる。
女性は背後を振り返ると誰かを手招きした。それに応えてもう一人、長身の男が部屋に入ってくる。
どこかで見たような気もする若い男はシエラを見て微笑しただけで何も言わなかった。
「あの、大公妃様?」
シエラは女をよくよく見つめる。闇色の瞳、そしてルイスと同じ色の髪。
けれど彼女もその背後に立つ男も、これから式に出るにしては簡略な格好をしていた。男などは長剣を佩いている。
―――― 何がおかしいのか分からないがおかしい。
しかし疑問が具体的な形になる前に女は深々と頭を下げた。
「あの子のこと、よろしくお願いいたします」
「え? あ、はい! こちらこそお願いします!」
勢いこんで頭を下げると女は微笑した。その頭を背後の男が軽く叩きながらシエラに向って会釈をする。
まるで不思議なひととき。
来客二人はお互いの顔を見合わせて笑った。次の瞬間、風が部屋の中に吹き込んでくる。シエラは突然のことに思わず目を閉じた。
鐘の音が鳴り響く。
風が顔をくすぐっていく。
それが止んだ時、シエラはゆっくりと目を開いた。
「……大公妃様?」
そこには誰の姿もない。扉も開いていない。
後にはただ、窓の外から風によって飛ばされてきたのか、白い花びらが床を一面覆いつくしていた。
あまりのことにシエラは絶句する。白昼夢でも見てしまったのだろうか。
慌しい準備で疲れているのかもしれない。彼女は目を擦ろうとして化粧をしていることを思い出した。
その時再び扉が叩かれる。
入ってきたのは子供を抱いたフィストリアと、これからシエラの夫となる男で……先程の女とはまったく違う格好の大公妃に彼女は目を丸くしてしまった。
「あの、大公妃様?」
「フィストリアでいいのに」
「いえ、あの、先程この部屋にいらっしゃいませんでした?」
「え? 今来たばかりだけど」
妙な沈黙が部屋に流れる。
シエラは頭を抱えたくなって、今度はヴェールをつけていることを思い出した。ままならなさに暴れたくなってしまう。
しかしそんな彼女の煩悶をよそに、ルイスは平静さを保ったまま姉に向き直った。
「姉上は神出鬼没ですからね。少しは落ち着きを持っていただきたいものです」
「落ち着いてるわよ。落ち着いてるからあなたを殴らないでいてあげてるんじゃない」
「避けますから殴っていいですよ」
この三ヵ月ですっかり慣れてしまった会話にシエラは声をあげて笑い出す。
笑顔のまま姉と睨みあっていたルイスは肩をすくめると花嫁に向って手を差し伸べた。その手をシエラは取る。
「とても綺麗ですよ。サ……」
「サ?」
「いえ、何でもありません」
「別にいいけど」
二人は顔を見合わせて笑い出す。そしてしっかりと手を繋いだまま、新しい家族となる一歩を踏み出したのだった。