闇火 03 のおまけ

mudan tensai genkin desu -yuki

ファルサスの城都より遠く、離宮にて暮らしている大公妃はその時、小さなくしゃみをした。
同じ部屋で本を読んでいた夫が慌てて立ち上がる。
「どうしました、トリア! 風邪ですか!」
「平気よ」
フィストリアは笑ったが、今の自分の体が自分だけのものではないということはよく分かっている。
大きく膨らんだ腹部をゆっくりと撫でると彼女はふっと微笑んだ。
「多分、誰かが噂でもしたんじゃないの? そうね……ウィルかルイスか……。
 そろそろ私が三十路だとか言ってるのかもしれないわね………………あの馬鹿弟ども」
「…………トリア、あまり怒るとお腹の姫に響きます」
今現在彼女が身篭っている子供の性別は女だと既に分かっている。
一人目の男の子は妹の誕生を心待ちにしているが、この時間は既に眠っているはずだ。
「大体小さい頃、泣きべそかいてたあの子たちの後始末を誰がしたと思っているのかしら……。
 母様の魔法書に落書きをしてしまった時、どれ程誤魔化すのに苦労したと思っているの!」
「その恨み言はまだまだ続くんですか?」
「覚えてなさいよ! 特にルイス! いつもしらっとした顔しちゃって!」
「はいはい。落ち着いてトリア。彼に奥方が出来たら失敗談でも吹き込んでやるのではないんですか?」
カデスの宥める声に彼女はすっと落ち着いた。
しかしそれだけではなく、重苦しい厭世的な光が闇色の瞳に浮かぶ。
「多分、あの子は結婚しないわ。だから言えないの」
「結婚しない? 彼も精霊を継ぐ王族でしょう」
今は公爵位にあり大公などとも呼ばれているが、彼には紛れもなく先代王妃の血が色濃く継がれている。
その証拠である精霊も四人、彼を主人として従っているのだ。血を継ぐこともまた役目であるファルサス王族にもかかわらず彼が結婚しないとはどういうことなのか。
フィストリアは自分の腹部に目を落とす。小さく溜息をついて目を閉じた。
「私は女だけど、あの子は男だから。私があなたにあげられたものを、あの子は相手にあげることが出来ない。
 ―――― でもそれが全てじゃないのにね」
カデスは妻の言葉の意味を詳しく聞きたく思ったが、彼女の表情からそれをすることはやめた。
代わりにショールを身重の妻の肩にかけ、髪を撫でる。
「なら本人に直接言えばいいでしょう。あなたが自由に動けるようになったら、ですが。
 今は風邪をひかないように気をつけてください」
「分かったわよ」
フィストリアは片手を夫に預けると少しだけ淋しそうに微笑む。
その表情に弟を心配する気持ちの欠片を見て取って、カデスは妻の髪にそっと口付けたのだった。