空の茫洋

mudan tensai genkin desu -yuki

「結局さ、こういうのって形式でしかないと思うんだよね」
赤い髪の少女が宙に浮きながらぼやく。その場にいる他の十一人の精霊はそれぞれの表情で同意を示した。
数年前には彼ら全員の主人であった女が苦笑する。
「形式を重んじるんですよ。これでも一応王家なんですから」
彼女の両脇には二人の子供が立っていた。八歳の第一王女と三歳の第二王子。今はこの二人が精霊全員の主人だ。
二人の子供は姉の方はともかく弟はよく分かっていない顔で居並ぶ人外たちを見上げていた。
「契約の破棄は双方に権利があります。
 貴方たちが使役下にない場合で、なおかつ王の了承が得られる、もしくは王族全員に貴方たちを使役できる程の力がない場合、
 貴方たちは自分の意志で契約を破棄することが可能です。
 逆に力を持っている王族の命令、或いは王と貴方たちの合意が見られれば、そこでも破棄ができます」
「かしこまりました」
精霊たちは居住いを正し、一瞬の静寂が訪れる。
そこに何百年の年月が想起されるのか。それは最後の女王であるティナーシャでさえも分からないことだ。
何人の王たちが彼らを精霊として従え、そして消えていったのだろう。
国の名を変え、血を継いで繋がれていくこの流れは、あとどれだけ彼らを人の世に繋ぎとめていくのか今はまだ想像もつかなかった。
けれどそれは、今の彼女も同様のことなのかもしれない。
子が孫が、友人が臣下が皆死した後にも長く在り続けるであろう変質した魂。どこまでも終わらない旅路にある魔女。
何百年か後、もしこの城を再び訪ねることがあれば、その時彼らもまた変わりなく彼女の名を呼んでくれるのだろうか。

城の奥宮にある中庭には緩やかな風がそよいでいる。
その中にたたずむ十二人の精霊と一人の女王は、今は亡き国から来た強大な力の象徴でもあるのだ。
そしてこの力はこれから新たな国へと注がれていく。彼女の血と、知識と共に。
弟が母親の服の裾を引く。女の子にも見える綺麗な顔立ちは父よりも母に似ていた。
「母様、何をするの?」
「ああ。像の礎を作るんですよ。精霊の像のね」
「何でもいいの? ぼく、アヒルがいい」
「…………アヒルはちょっと勘弁して欲しいな……」
主人の思いも寄らぬ希望にミラはさすがにげっそりとした顔になる。この先数百年残るであろう像だ。アヒルなどにされたらたまったものではない。
きっとアヒルで決してしまったら彼自身も大人になった時に後悔するであろう。
「俺は別にアヒルでもいいけど。ミラは鴨にでもする?」
「エイルは黙ってろっての! 一人でアヒルになってろ!」
「一つでもアヒルの像があったらかなり見た目がやばいと思うぞ」
「別に王族しか立ち入らないでしょうし、子供の遊び場みたいなのでもいいんじゃないかしら」
「アヒルのまんまで眠るってのも嫌なんだけど」
「えー、でも形式でしかないならアヒルでも……」
「はいはい! そこまで!」
しょうもないことでガヤガヤと話し合う精霊たちを留めたのは女王の声だった。ティナーシャは腰に手を当てて呆れ顔である。
「アヒルの像なんか作ったら後世から私が恨まれますから! ルイスには後で本物のアヒルを買ってあげますよ」
「ほんとう!?」
「本当。その代わり大事にするんですよ」
母が約束の為に手を伸ばすと、精霊を継いだばかりの子供は顔を輝かせて微笑む。その反対側では姉が含み笑いをもらした。
女王は息子の小さな手を一度ぎゅっと握ると向き直る。
そして彼女は契約を礎として残すために、長い詠唱を始めたのだった。

報告を聞き終わった王は背後の窓に目をやった。
窓から見える庭では五羽のアヒルを三人の子供たちが追い回している。
女官もついてはいたが、まるで人間くさく木陰で居眠りしているカルがいるからには何も問題はないのだろう。オスカーは喉を鳴らして笑った。
「アヒルの像か……傑作だな」
「作ってませんよ! 大体今は全員使役されてますからね。土台の陣があるだけです」
「分かった。何か必要なことはあるか?」
「特には。形式ですからね」
「だが必要だ」
破天荒な王としては珍しくそう言うとペンを手の中で回す。
かつて彼は愛しい魔女を娶った時、精霊の継承については一切何も問わなかった。
それは自分の領分にないものだと思っていたからなのだが、精霊についての認識不足で一度妻の生死を見誤ったことに何かしら感じ入るものがあったのだろう。
末の息子が精霊を受け継いだのを切っ掛けに、精霊の像を作らないかと妻に持ちかけたのは彼の方だった。
礎さえあれば主人の使役を離れた精霊は像に戻る。逆に言えば像の有無で主人の生死を判断することも可能なのだ。
かつてトゥルダール城の地下にあった精霊の間は、こうしてファルサス城奥宮の中庭へと移された。
これからは精霊の名はファルサスと共に語られていくであろう。王族に強力な魔法士が現れ続ける限り。
「どれくらい持つと思う? これから先」
「百年はまず必ず。それ以降はちょっと分かりません。魔力の生まれつきの潜在量がどこで決定されているのか分かりませんから」
必ずしもそれは血によるものではないのだ。
ティナーシャの魔力の半分は後天的なものにもかかわらず、彼女の産んだ子供は恐るべき魔力の持ち主として生まれた。
この先彼女の血を継いで行く人間たちの魔力がどれ程保たれるのかは分からないが、それは伴侶となる人間によっても影響を受けるはずだろう。
そして、精霊の継承が危ぶまれるような時代にはきっと彼らの二人ともが玉座にいないのだ。
大陸のどこかにいるか、或いはもっと別の場所にいるのかは分からないが、もはや遠い世界の出来事として人づてにかつて治めし国の話を聞く、そんな未来が一瞬彼女の頭をよぎった。

オスカーは淡黄色のずんぐりしたアヒルが庭をもたもた飛び回っているのを見て首を傾げる。
「あのアヒルは東でかけあわされたらしいが……美味いのか?」
「……子供の飼ってるものを食べないでくださいよ。時々信じられないこと言いますね、貴方」
「世話をしなくなったら食うと言って脅すんだ」
「それ、一歩間違えるとかなりの心の傷になりますよ」
王妃が自分の眉間によった皺を指で軽く叩く。しかし難しい顔は指の動きとは逆にまったく和らがなかった。
妻の反応に王は心外だと言った表情になる。
「ちゃんと面倒みるなら何もしないぞ」
「貴方は極端なんですよ、言う事が。よく子供たちに嘘を教えてますし……まったくろくでもないです」
「五十のうち一つくらい嘘を混ぜると素直に信じて面白い」
そしてその度に妃に怒られたり側室のスタシアに苦言を呈されたりしているのだが、懲りているようにはとても見えない。
どちらが子供か分からないなどと重臣たちに影でこぼされているくらいである。
ティナーシャは大きな子を叱るように遥か年下の夫をねめつけた。
「貴方もちゃんとしてくださいね。子供たちをからかってばかりいないで」
「仕事はしてるしアヒルは飼っていない。どうやって俺を脅すつもりだ?」
「塔に帰りますよ」
間髪置かずの切り替えしに王は少し目を丸くする。
ややあって彼は「それはとても嫌だ」と言うと、机に向い直し妻の淹れたお茶を手に取ったのだった。