過ぎし日

mudan tensai genkin desu -yuki

城に入って初めての記憶は、剣の師匠であるエッタードに兵士の為の訓練場に連れて行かれたことである。
当時18歳だった彼は、そこで待っていた少年を見て目を丸くした。
剣を帯びた少年は整った顔立ちに青い瞳を持っている。その容貌に現王と似たところを見て取って彼は反射的に頭を下げた。
「アルス。殿下のお相手をしなさい。力を見たいと仰っている」
エッタードの命に彼は頷くと、受け取った練習用の剣を抜く。自分より若干背の低い少年に相対した。
王族も護身用に剣の稽古を受けることは常とされているが、一体どれほどの腕前なのか。
どうせ宮廷で安穏と育ってきたのだ、大したことはないのであろう。
自分の剣の腕にいささかの自信を持っていた彼は、けれど15分後、その自信を粉々に打ち砕かれることとなる。
まだ幾許かの余力を残していると思しき少年は、3戦やって3戦とも敗北した彼に向って
「お前はまだまだ強くなるだろうな。これからよろしく頼む」
と言って快活に笑ったのだ。
そしてこの日からアルスはファルサス城に仕える武官の一人として、名を連ねることになったのである。

「な、何だこりゃ」
アルスはその場の惨状を見て、当然な叫び声を上げた。
魔法士が普段詰めている講義室前の廊下は人だかりが出来ており、その中からおかしな色の猫が運ばれていくのだ。
彼があげた声に、その場に居たラザルが振り返る。
困ったような顔をしている王の従者の腕の中に赤と紫の縞になってる猫が抱かれているのを見て……アルスは頭痛を覚えた。
「何だこれは……何があったんだ?」
「ティナーシャ様が魔法薬を作られていたところに、他の魔法士の魔法が暴走してぶつかっちゃったみたいなんですよ」
「それでこれか。参ったな。誰か魔法士に来てもらいたかったんだが」
見たところ講義室で起こった事故の為か、ほとんどの魔法士が猫化してしまっているようであり、残った魔法士も後始末に追われている。
おそらく彼の期待に反して手の空いている人間はいないのだろう。若き将軍は頭を抱えて唸った。ラザルは怪訝な顔になる。
「どうかされましたか」
「いや。魔法士……できればドアンに用があったんだけど」
「猫になってましたよ。どの猫かは分かりませんが」
「だろうな。ティナーシャ様は?」
張本人とは言え魔女の彼女なら、この惨事から逃れられたかもしれない。
半ば最終手段であった王妃の名前を挙げると、ラザルは無言で廊下の片隅を指した。
そこには腕組みをして壁によりかかった王が後始末の様子を苦い顔で眺めている。
彼の腕にはぐったりとした真っ黄色の猫が乗っており……どうやら気絶しているようだった。
「…………お手上げだな」
「そのようですね。公式記録にどう書けばいいんでしょう」
「隠蔽した方がいいんじゃないか?」
もっともかつ後ろ向きな意見にラザルは唸り声を上げる。
そうしてアルスは、当初の目的を諦め一人で待ち人のいる部屋に向うことになったのだ。

アルスが向ったのは城の入り口近くにある来訪者を迎える為の一室だった。
扉をくぐると待っていた女は笑って軽く手を振る。
「やっほー。久しぶり!」
「久しぶり。元気そうだな」
「元気元気。そっちも元気そうじゃん。メレディナも元気?」
「ああ。年を経るごとに小言を言われてるよ」
昔馴染みの言葉に苦笑してアルスは女の向かいに座る。彼より少し年上に見える女は、自分の横に座ってる少年の頭を軽く叩いた。
「で、この子なんだけど。お願いできるかな」
「ああ。今ちょっと魔法士が捕まらなかったんだが、問題ないと思う」
「そう。ならよかった」
少年は不愉快そうな顔でアルスを睨んでいる。
その瞳に負けん気の強さを見出して、アルスはかつての自分のことをつい、思い出した。

ファルサスの城都で生まれたアルスは、子供時代はいわゆるガキ大将というもので、 他の子たちを束ねあちこちの家で悪戯を起こしては逃げ回る、どうしようもない悪童だった。 幼馴染のメレディナはそんな彼に文句を言いながらもついて来ては一緒に怒られ―――― 悪戯の度が過ぎたアルスが忍び込んだ先のエッタード将軍の屋敷で剣術を叩き込 まれ始めてからは、彼女も剣を習うようになった。
そして今、目の前に座るロッテという幼馴染は彼に悪事のやり方を示唆しながらも、自分は手を下さず怒られもしないという要領のいい子供で、今から思うとどうも アルスは彼女に上手く乗せられ、遊ばれていたようである。
5年前に結婚し、城下町で宿屋をやっているという彼女は今回、友人から預かっている子供のことで城に相談に来たのだ。
「どうも魔力を持ってるんじゃないかなーっていうことは度々あって。制御訓練とかそういうのした方がいいんでしょ?」
「多分。腕がいいならそのまま宮仕えにもなれると思うし、制御訓練さえ受ければ元の生活にも戻れるんじゃないかな」
「うんうん。よろしく」
ロッテは立ち上がると少年の肩を叩く。
「じゃあネイド、彼の言うことよく聞いてね。住み込みでも通いでもどちらでもいいから」
「とりあえず城を案内する。そろそろ手がすいた魔法士もいると思う」
大人同士で話をまとめると二人は立ち上がった。ロッテは不機嫌そうな少年をアルスの方に押し出す。
先に帰ってるね、という彼女は最後にアルスを見て
「随分落ち着いちゃったね。あのガキ大将が今は将軍様なんてびっくりだよ」
と笑った。アルスは幼馴染の率直な感想に苦笑いを禁じえない。
「城には色んな人間がいるからな。止める側に回ってたらいつの間にかこうだ」
「問題児だらけなんだ? 楽しそう」
「飽きないと言えば飽きない」
なら幸せってことね、と言ってロッテは去っていく。
それは少しだけ懐かしく温かい邂逅であった。

後に残された少年は不服そうな顔でアルスの顔を見上げた。若く固い声が彼にぶつけられる。
「オレは魔法士なんかにならないからな!」
「何だ突然。なりたくなきゃならないでいいんじゃないか? でも危ないから制御訓練は受けとけ」
「この城には魔女がいるんだろ! 城にいた方が危ないじゃないか!」
「あー……」
アルスは頬をぽりぽりと掻くと、左手を少年の襟首に伸ばした。
反射的に逃げ出そうとするネイドを捕らえ、そのまま軽々と釣り上げると目の高さを合わせる。
ぎょっとして蒼ざめかけた少年にアルスはにやりと笑って見せた。
「いいか? ここにいるならその手の言葉は禁句だ。俺もお妃様の悪口を黙って聞いてはいられないしな。
 王はティナーシャ様を大事にしておられる。ティナーシャ様ご本人はともかく陛下の耳にでも入ったらよくて逆さづりだ」
「何だよ! 魔女は魔法を使って王様を誑かしたんじゃないか!」
「もっと禁句。大体そんな魔法はあの人には不要だよ。結婚はしたくないって言ってたティナーシャ様を陛下が口説き落とされたんだから」
目を丸くしたネイドをアルスは無造作に床に放る。少年は数歩よろめいたが何とか体勢を整えた。顔を上げてアルスを睨む。
なおも反抗的な目をやめない子供に彼はつい笑ってしまった。
「何だ。何故魔法士になりたくないんだ?」
「魔法士なんて後ろからこそこそ魔法撃つだけじゃないか! オレは剣が強くなりたいんだよ!」
ネイドの主張はこの年頃の少年としては珍しくない、真っ直ぐなものだった。アルスは吹き出しそうになるのをかろうじて堪える。
もう少し大人になれば或いは、先天的にしか持てない魔力を自分が持っていることに感謝するのかもしれない。
けれど今、少年がなりたいのは剣士であって魔法士ではないのだ。
魔法士なんて男らしくないと言わんばかりの態度にアルスは笑い出さないでいるのが精一杯だった。
何だかかつての自分の姿が重なって仕方ない。これが年を取ったということだろうか。
アルスはネイドを手招きながら部屋を出る。
少年は用心しながらも他に行くところがないというのもあり、彼の後をついてきた。
「剣が習いたいっていうなら教えてやるよ。けどな、制御訓練もやるんだ。
 鞘に入っていない剣を振り回してるなんて剣を使う者としては失格だからな」
「…………分かったよ」

かつては自分もそうだったのかもしれない。
オスカーに敗北した後、彼は二日落ち込み、二日後もう一度試合を申し込んだ。
4歳年下の王子は笑いながらそれを受けて―――― 結局何度でも、彼の挑戦を受けてくれたのだ。
初めは負けん気に溢れていたアルスも敗北の数が重なる内、色々なものが見えるようになったし、オスカーが背負っている他のものも理解できるようになった。
知った上で自分の未熟を感じ、彼はようやく忠誠という言葉の意味を知ったのである。

「ん、もう降参か?」
「まだ、やる!」
「いい心意気だ。ほらかかってこい」
左手で手招くと、ネイドは長剣を振りかざして走ってくる。
どうにも隙だらけだ。あちこちが打ち込んでくださいといわんばかりにアルスには見える。
少年の粗い剣筋を、彼は体勢を変えただけで避けた。慌てて向きを変えようとするネイドの右手首を掴む。
そのまま彼は手首を捻り上げると剣を取り落とした少年を軽々と投げた。
砂に塗れながらころころと転がったネイドはしかし、跳ね起きるとまたアルスの元へ走ってくる。
「まだやる!」
「はいよ」
アルスは剣の柄を少年に向って差し出す。彼はそれを引ったくるように手に取った。
距離を取り、剣を構える少年を見て、彼はまた少し笑う。
人を作るのは人との出会いであろう。
彼自身もまた幼馴染や師、主君との出会いによって今の彼に至るのだから。
実によい人生だ。飽きないし楽しくて仕方ない。皆に感謝してもし足りないくらいだ。
だから自分もまた、誰かにとっての指針になれればいいと、そう思っている。
誰かが誰かを育て、その誰かがまた新しい力を育てる。人の歴史とはそうやって連綿と紡がれていくものなのだから。