mudan tensai genkin desu -yuki
その事件は、後にファルサス城の公表すべきではない出来事として闇の中に葬られることになる。
「たまにはちゃんと採寸してください! お召し物の注文を出せないじゃないですか!」
そう言ってラザルが王に苦言を呈したのは、いつも通り大量の布を携えた仕立て屋が城を訪れたその日のことだった。
今までオスカーは、妃である魔女などには細かく採寸させドレスをいくつも頼むのに、自分のは面倒らしく「適当に作っとけ」としか言わない。
たまったものではないのはそんな注文を出される仕立て屋の方で、彼らはいつも苦心しながら最善を尽くそうと努力していたのだが、ついに嘆願が王の従者のもとに
届いた、というわけなのだ。
オスカーは嫌そうな顔になったが、ラザルが決して譲るまいという目で自分を見据えていると分かるとあからさまに溜息をついた。
その上お茶を淹れていたティナーシャに「子供じゃないんですから、それくらいしてくださいよ」と呆れられてしまったからにはさすがに限界だろう。
かくして彼は普段傍観している採寸攻めにあうことになった。
これが事件の遠因となったかどうかは意見の分かれるところである。
魔女は数字の書かれた紙を覗き込んで唸り声を上げた。
唇の片端を曲げて、夫である男を見上げる。
「いい体してますね。むかつきます」
「何故そういう反応が返って来るのか分からんぞ」
「私ももうちょっと大きくなりたいです」
そういう魔女の肉体年齢は二十歳らしいのだが、肉感的とは程遠い華奢な体と低い身長は少女姿の頃から変わりがない。
彼女自身はそれを「体質のせいです」と言っているが、どうやら子供の頃大量の魔力を取り込んだ為の後遺症のようなものであるらしかった。
オスカーは並べられた布を手に取って眺める。
「子供を身篭ると体が丸くなるらしいぞ」
「それって産んだら戻っちゃうんじゃないですか」
「さぁ……」
さすがにそこまでは男の彼には分からない。
ティナーシャはまだ不満そうな顔で採寸表を覗き込んだままだった。
近くには書類を届けに来たシルヴィアもいるのだが、さすがに彼女は無礼だと思っているのか王の方には興味がないのか、少し離れた場所で苦笑を保っている。
「……何かこう、強制的に痩せる薬とか飲ませちゃおうかな」
「それがお前にとって何の得になるんだ?」
「え! ティナーシャ様、そんな薬作れるんですか!?」
「作れますよ。単なる強力な下剤ですけど」
「怒るぞ」
よく分からない不満で下剤を飲まされたらたまったものではない。
オスカーは妻の手から採寸表を取り上げると、それを困惑していた仕立て屋に手渡した。
ふてくされた顔の魔女はようやく諦めがついたのか軽くかぶりを振る。がっくりと肩を落としている友人を振り返った。
「何ですか、シルヴィア。痩身薬が欲しいんですか?」
「欲しいです! 勿論!」
「太ってないですよ。何処も」
「み、見えないところが……っ」
「見えないなら別にいいじゃないですか」
「自分が嫌なんです!」
若い魔法士は両拳を握って力説したが、オスカーとティナーシャの二人ともが理解しがたい表情を浮かべている。
ややあって王妃はシルヴィアの剣幕に―――― 「まぁ、ちょっと研究してみましょうか」と呟いたのだった。
手軽な痩身とは女性の夢、らしい。
という認識を王と王妃の二人は得たものの、彼らのどちらもがそういった希望を持った事がないせいか、いまいち共感できなかった。
執務の合間に魔女を膝の上に乗せて髪を梳いていた王は、軽すぎる妻の体を見やって苦笑する。
「お前みたいに体型が変わらない人間はともかく、必要以上に細くならなくてもいいと思うんだがな」
「貴方は本来はもっと肉付きのいい女性の方が好みですからね」
さらりと投げ込まれた爆弾は、だが不発のまま二人の間に転がった。
さすがにしばし沈黙して―――― オスカーはもっともな疑問を口にする。
「…………誰がそんなことを言った?」
「別に聞いてないですよ。時折、私を殺したいばかりの目で見てくる女性の共通項を上げたまでです」
魔女の闇色の瞳が背後の男を見上げる。大きな瞳には無邪気な意地の悪さが浮かんでいる気がして、彼は苦い顔になった。
「待て。それだけで決め付けるな。誤解も甚だしいぞ」
「違うんですか?」
「外見的なことはおまけみたいなものだ」
「へぇ」
納得したのかしていないのか、ティナーシャは笑いながら空中に浮かび上がる。
垂れ下がるつややかな黒髪を引っ張ってやりたいとオスカーは思ったのだが、そう思った時すでにその髪先は彼の手の届かない場所にあったのだ。
現在大陸でもっとも魔法薬に卓越している人間と言えば、閉ざされた森の魔女、ルクレツィアだ。
魔女の中でも何百年生きているのか不明である彼女は、魔法薬について膨大な知識をその頭脳に蓄えている。
勿論構成や技法もさることながら、彼女は魔法薬の材料となる薬草を数十年をかけて魔力を注ぎ改良することから手をつけており、その技術はたとえ最強の魔女ティ
ナーシャであっても到底追いつくに至らないものだ。
「……なんですけど、ルクレツィアに頼んだら絶対よくないもの寄越されますからね」
ティナーシャは手元に並べられたガラス瓶を開け、中身を硝子の皿の上に少しずつ注いで混ぜ合わせた。
軽く詠唱して構成を溶け入らせる。
「それにしても痩身かぁ……。どういうものにしますかね。周囲の人間の知覚に作用して『痩せて見える』っていうのでいいですか?」
「そ、それは服が入らないんじゃ」
「ああ、そうかも」
おそらく体が太くて着れない服があった経験など一度もないであろう魔女は、言われて初めて気づいたという顔になる。
どちらかと言えばティナーシャは胸が足りなくて似合わない服はありそうだが、もともと露出の高い格好をする人間ではないのでさして困りはしないのだろう。
「じゃあ変化系の薬にしましょうか。毎日飲めばいいですよ」
「へ、変化系?」
何だか希望と微妙にずれている気もしたが、シルヴィアはその新鮮さに頷いた。
変化とは魔女には使えるが、普通の魔法士にはとてもではないが使えない類の魔法である。
どうやら古代の構成を元にしているらしく、一度講義中に構成を見せてもらったが、難解な上膨大な魔力が必要で、皆が実行できなかったのだ。
その時は猫の姿に変化して見せてくれたティナーシャを思い出して、シルヴィアは首を傾げた。
「魔法薬で変化が出来るなら、猫になる薬とかも作れるんですか?」
「多分……。薬でそこまでの変化をさせると体に負担がかかりそうなので、実用できるかは分かりませんが」
ティナーシャは薬に注いでいた構成を打ち消すと、右手を平を上にして目の前にかざした。そこに複雑極まる構成を組む。
人間の体を一時的に作り変える為の精密な構成にシルヴィアは視線を奪われた。
いくつかの箇所を細かく修正して魔女は頷く。
「うん、多分できますね。効果時間は……頑張って半日?」
「すごい! 楽しそうですね!」
「うーん。需要があるのかな」
異変が起こったのはその時だった。
壁一枚隔てた隣の講義室、そこに突然、巨大な魔力の奔流が生まれたのだ。
後にドアンやカーヴを含め、数人の魔法士で実験中の構成が暴走したと判明するそれは―――― 何の前触れもなく壁を突き破り、魔法薬の実験をしていた二人へと向
った。
魔女は目を丸くしながらも慌てて振り返る。
防壁を張る為に左手を上げた。向ってくる力を遥かに上回る魔力を注ぎ……
「あれ?」
ティナーシャは左手で暴走した魔力を受け止めながら、右手を見る。
変化の構成を残したまま魔力を通わせた白い手は……実験台の上の硝子の皿に突っ込んでいた。調合しかけの魔法薬にどっぷりと浸かりこんで。
「あ……不味い」
壁に開いた穴の向こうから、そしてすぐ隣から、魔法士たちの恐怖の視線が王妃に集中する。
次の瞬間、ファルサス城には―――― 粉袋を大きくはたいたようなまぬけな爆発音が響き渡ったのだ。
微かに壁を伝う振動が過ぎ去った後、ばふん! という何とも言えない音を遠くに聞いてオスカーは顔を上げた。
同様に書類を抱えていたラザルも辺りをきょろきょろ見回している。
何の変化もない執務室にいる二人は、けれど城内で何かがあったのだとういことをすぐさま理解した。
王は立ち上がりながら剣を手に取る。
「何だ、今の音は……」
「講義室の方からのようですが」
ファルサスにおいて魔法実験の失敗は決して少なくない。
だから今回も、それの度の過ぎたものだろうかと思いつつ、オスカーは一応確認のため執務室を出た。
そして現場に着いた時、普段豪胆な王もあまりの光景にさすがに硬直することとなる。
異臭と煙漂う講義室。
その前の廊下には何故か ―――― 色とりどりの猫が、数十匹、転がっていた。
「……何だこれは。俺の白昼夢か?」
「私とおそろいの夢ですね。何か原因があるのでしょうか」
「実は猫を飼いたいと思っている、とか」
「いえ別に……。それに、一匹いればいいです。何か気持ち悪い色してますし」
いささか気の抜けた会話をしているオスカーとラザルの背後に、新たな気配が現れる。
「陛下、煙を吸われないでください」
突如横から差し出された布を、我に返ってオスカーは受け取った。レナートは自分も布で口を覆いながら、煙漂う講義室の内部を指差す。
「おそらく魔法薬か何かの爆発です。煙を一定量吸い込むと気持ち悪い色の猫になってしまいます」
「ティナーシャの仕業か?」
こんなことが出来る人間は他にいない。そう思って問うた言葉に、レナートは主君の為か明言を避けたものの恐縮して頭を下げた。
王はもう一度惨状に目をやる。
単なる猫であればこれ程異様な光景にならなかったかもしれない。
けれど、廊下に揃って気絶しているのは、何故か紫や緑など……鮮やかに薬品色をした猫ばかりだ。
駆けつけてきた衛兵たちも背後で絶句して立ちすくんでいる。無理もない。夢に出そうな光景だ。げっそりすることこの上ない。
オスカーは一番手近にいた赤と紫の縞になってる猫を、首の後ろを摘んで持ち上げ、ただ気絶しているだけであることを確認した。
そのまま毒キノコのような配色の猫を隣のラザルに放って渡す。
「これは治るのか?」
「効果が切れましたら、おそらく」
「まったくあの爆発球は……ろくなことをしないな。変えるならせめて食える動物に変えろ」
「陛下、毒を持ってそうな色ですし、ついでに元は人間です」
「人間はついでなのか」
彼はそのまま転がる猫を避けて講義室に入っていく。ラザルとレナートが後に続いた。
王は壁に開いた大穴を顔を顰めて見やり、やはり床に累々と転がっているおかしな色の猫を見て溜息をつく。
その内の一匹、黄色の猫に目を留めるとオスカーはつまみあげた。猫は他のものと同様に気絶しておりぐったりと四肢をぶら下げている。
「起きろ、ティナーシャ」
「え、それが王妃様なんですか?」
「見れば分かる。さっさと起きて責任取れ」
と、言われてもどこがどうティナーシャなのかさっぱり分からない。レナートとラザルは顔を見合わせた。
けれど、どれほどゆすってもその猫は目を覚まさず……結局数十匹の猫と壁の大穴は、巻き込まれなかった人間たちが片付けざるを得なくなったのである。
何の事故か襲撃かと思って集まってきた人間たちは、運び出される色鮮やかな猫たちに何も言えず己の正気を疑った。
中にはそのまま頭痛を訴え、早退してしまった人間もいると聞く。
後日この事件については緘口令が敷かれ、事件に関わった魔法士たちに三ヵ月の減給と魔法実験の謹慎が言い渡されたのだというが、その事実は記録に残っていない。
ただその後しばらくの間、普段白か黒の服しか着ない魔女が真っ黄色のドレスを王命で着させられていたということが、事件を知らぬ人々の印象に強く焼きついたのみだったのである。
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