mudan tensai genkin desu -yuki
「ティナーシャ様! また部屋を抜け出されましたね!」
「あー……見つかってしまった……」
自室を出て、城の見張り塔の最上階で涼んでいた王妃は頭を掻いた。
思わずぼやく声にパミラの声が重なる。
「ご懐妊されてらっしゃるんですから、窮屈でもお部屋にいらしてください!
お体も心配ですし……何よりよからぬやからにでも目撃されたらどうするんです!」
「だって、部屋が暑かったんですよ。蒸しーっとしてて」
「そういう時はレナートでも呼びつけてください。お体に障らぬ程度に冷風を吹かせればいいです」
「うわ。そんなことに第一線級の魔法士を使うのはちょっと」
ティナーシャは渋々作りつけの椅子から立ち上がる。
ゆったりとしたドレスは腹部のところで少し盛り上がっていた。彼女はその部分を庇いながらパミラのもとに戻ってくる。
妃の懐妊が明らかになってから4ヶ月が経過していた。
今のところ危ないことは起きていないが、だからといって警戒を解くわけにはいかない。
今は王妃付きの女官となったパミラは、うやうやしく主人の手を取ると階段を下り始めた。ティナーシャは大人しく彼女に従う。
「私が今でも魔法を使えればよかったのですが……申し訳ございません」
「そんなことで謝らないでくださいよ。当然のことじゃないですか」
「ですが、それでティナーシャ様がお部屋を抜け出されてしまうのですから。後悔することしきりですわ」
「もう抜け出しません! すみません!」
降参した主君にパミラはくすくすと笑った。
妃はばつの悪い顔をして肩をすくめたが、不意にその表情が真剣なものになる。
闇色の瞳が自分の手を取り前を行く女に注がれた。
「パミラ……今まで色々ごめんなさい」
「どうされたのです、急に」
「いえ。言えなくなる前に言っておこうと思いまして。私のせいで面倒をかけているでしょう?」
苦笑する王妃の目には幾許かの罪悪感が見て取れた。
パミラは一瞬目を丸くし……次に笑い出す。
「面倒なんて少しも。むしろ幸運であると思っておりますわ」
「幸運、ですか?」
「ええ、勿論。だからこれからもずっと……お仕えさせてくださいませ。私が死ぬまで」
温かいというよりも熱い声に、ティナーシャは微苦笑する。
幸運というのなら長い旅路の果てに今にたどり着けた自分こそ幸運なのだろう。
恵まれているのだ、とても。自分の手の中に収まらないほどに。
螺旋状の階段の途中、窓から中庭が見える。
今は赤い薔薇が咲き誇っている景色がしばし二人の視線を引き寄せた。
数十年経っても変わらぬ風景を見ながら魔女はぽつりと呟く。
「……私が死んだら、子供たちをお願いします」
「あら、その頃には私も既に死んでいるか、お子様たちは大きくなられていますわ」
「そうですかね」
「そうです。それより今のご自分を大事になさってください。まずはそれからですわ」
説教くさい言葉にティナーシャはもう一度手を上げて降参を示す。
塔の上から吹き抜ける風が、心地よく髪を揺らしていた。
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