取り扱い注意

mudan tensai genkin desu -yuki

それは誰一人予想だにしない事故であった、と思われる。
少なくとも仕組まれたことではなかった。関係した三人の魔女の誰にも分からなかったことだ。
青き月の魔女が建てた塔の最上階にはその時、塔の主人の他に二人の魔女がいた。
一人は主人の友人であり、もう一人は彼女の契約者から見て血縁上の祖母にあたる魔女である。
たまたまそれぞれの用事で塔を訪れ顔を合わせた二人は、テーブルを挟んでお茶を飲みながら他愛もない話を展開させていた。
「それが面白い男なんだよね。あんたに似てると言えばちょっと似てるかも」
「血が繋がっているだけで性格まで似てたまるか。私には関係のない話だ」
「えーそうかな。自分の孫とあの子が結婚したら楽しそうだと思わない?」
「別に」
「嫌ですよ! 何言ってるんですか!」
言いながら部屋に戻ってきたティナーシャは長い髪を纏め上げ、料理をするために袖をあげていた。
手の中には焼き菓子が盛られた白い皿がある。ルクレツィアに教わった新しい菓子を試していたのだ。
「何で私があの人と結婚しなきゃならないんですか……勘弁してください」
「私が面白いからよ」
胸を張ってそう言われてティナーシャは沈没しそうになった。とりあえず脱力しながら皿をテーブルの上に置く。
人の血とはまったく面白いもので、彼女の現在の契約者である男は、ラヴィニアやレギウス、ララなど彼女が知る人間たちの誰にも似たところがあり、そしてそれ以 上に誰よりも彼自身である。絶妙な配分で出来上がった押しの強い男に、ティナーシャは振り回される毎日を送っていた。
たまに息抜きに塔に帰ってくれば、何故だかこんな話になっているくらいだ。乾いた笑いを零さざるを得ない。
「それより味を見てくださいよ。焼き立てなんですから」
「はいはい」
「頂く」
魔女二人はそれぞれ焼き菓子を手に取る。
ティナーシャが菓子を口に運んだ二人の反応を待っていると「美味い」「あ、よくできてるじゃない」と返ってきた。どうやら上々の出来のようだ。
彼女は自分も椅子を引いて座ると焼き菓子をかじった。ほどよい甘さに満足を覚える。
ルクレツィアは二つ目を摘みながらラヴィニアに話しかけた。
「向こうは乗り気なのにこの子が頑固だからね、媚薬でもあげようかと思ったんだけど……」
「それしたら絶交しますからね! 森ごと焼き払いますよ!」
「自然は大事にした方がいい」
どこかずれた会話の間にも菓子は徐々に減っていく。
ふとその時ルクレツィアは何かを思い出したかのように顔を上げた。
「菓子と言えば私も試作品作ったのよね」
「またか」
「またですか……」
二人の冷淡な反応にもかかわらず、ルクレツィアはテーブルの上に小さな皿を転移させる。
上には数枚の焼き菓子が乗っているが、当然ながらティナーシャもラヴィニアも手に取ろうとしない。
ティナーシャは腕組みをして友人をねめつけた。
「で? 効果は?」
「筋力増強。魔法を使えない人間が力仕事をするのに便利かと思って」
「その理由、今考えましたね?」
「うん。作ってみたかっただけ」
「…………」
ルクレツィアを除く二人の魔女は沈黙の後にそろって溜息をついた。
よく怪しげな魔法薬を作ってはそれを人に振舞う癖のある魔女は、二人の反応に人の悪い笑みを浮かべると、 自分の焼き菓子をティナーシャの作ったもののうえに移 動させる。 止める気にもなれず、ぼうっと見ていたティナーシャが片眉を上げたのはその時だった。すぐに残りの二人も表情を変える。ルクレツィアが満面の笑みを浮かべた。
「噂をすればってやつかな」
「私は帰る。本は後で使い魔に返しに来させる」
「お構いもしませんで」
ティナーシャが苦笑すると同時にラヴィニアはその場から消え去った。誰が塔に来たのか分かったのだろう。顔を合わせたくないらしい。
ルクレツィアも「じゃ、ごゆっくり」と言い残すと転移してしまう。
唐突に一人になったティナーシャは、ひとまず二人のお茶のカップを片付けに厨房に消えた。
彼女が洗い物を始めるのとほぼ前後して、最上階の扉が開かれる。
「ティナーシャ、いないのか?」
剣を携えた男の問いかけに、ティナーシャは厨房から声を上げた。
「います。何の御用ですか」
「お前がいないとつまらんから遊びに来た」
「私にも休息させてください」
彼の無茶苦茶ぷりに疲れて塔に来ているのに、これでは何も変わらない。
ティナーシャは疲労感に苛まれながらも男の為にお茶を淹れる準備を始めた。部屋から男の声が聞こえる。
「この菓子、お前が作ったのか?」
「そうなんですよ。ちょっと新しい材料を試していて……」
「貰うぞ」
「どうぞ」
返事をして数秒後、ティナーシャは凍りついた。
菓子を盛った皿。
確かその上にルクレツィアが自分の試作品を乗せていたのではなかったか?
ティナーシャは慌てて厨房を走り出ながら叫んだ。
「待ってください! やっぱり駄目!」
「ん?」
男の青い瞳と目が合う。彼は、手に持った菓子の半分を既に口の中に入れてしまったところだった。
ティナーシャは男の手に飛びついて残り半分を覗き込む。淡い希望も抱いていたのだが、それはやっぱり彼女の作ったものではなかった
「あああああ、最悪だ!」
「毒でも入ってたのか?」
「似たようなものです!」
魔女は頭を抱えて座り込む。何故自分はあの時、お茶のカップだけではなく菓子皿も片付けなかったのだろと深く後悔しながら。

「ルクレツィアの魔法薬か!」
「うう。すみません……。時間が経てば効果は消えるようなので、半日ぐらい我慢してください」
ティナーシャは急いで残っていた菓子から構成を抽出したが、当然ながら彼女には解呪できるものではなかった。
ルクレツィアのところに問い合わせの使い魔を放ってあるが、帰ってこないところを見ると自宅には戻っていないのかもしれない。
問題の菓子を食べてしまった男は、しかしあまり慌てた風もなく椅子に座って天井を見上げている。
「お前の作ったものだと思ったから食べたのに、塔の罠より巧妙な罠だな。まさに最後の難関というか……」
「事故です事故! ちょっとうっかりしてたんですよ」
「で? 効果は何だ。また媚薬か」
テーブルを挟んで男の向かい側に座る魔女は、お茶のカップを差し出しながら苦笑いを浮かべた。
「また媚薬ってすごい会話ですよね。筋力増強の薬らしいです」
「何だ。それなら大して問題はないだろう」
オスカーはカップを手に取る。正確には手に取ろうとした。
しかし―――― 彼の指が触れた瞬間、カップの持ち手は粉々に砕け散る。
あまりの現象に沈黙がその場にたゆたった。
「………………」
「…………ティナーシャ、カップが古くなってるぞ」
「そんなわけないじゃないですか。貴方が触ったからですよ」
「筋力増強という域を超えてるが」
「ルクレツィアの作るものですからね……」
オスカーはふと視線を彷徨わせると、テーブルの隅に転がっていたペンを手に取る。
しかしそれも指の触れた箇所から真っ二つに折れた。中に染み込んでいた黒い染料が流れ出る。
男はむしろ感心したように己の手を見やった。
「これじゃ仕事が出来ないじゃないか」
「…………もうやだ」
どこか遠くに旅に出てしまいたい。
ティナーシャは数瞬そんな埒もない現実逃避に浸りながら、それでも放置するわけにはいかない事態に頭痛のし始めた額を押さえたのだった。

結局相談の結果、オスカーは薬の効果が切れるまで城に戻らないことになった。
魔女の魔法薬によって人間兵器となってしまった男を人の中に放って何かあっては困る。
代わりに城に言付けに行ったティナーシャは書類の束を持ち帰ってくると、オスカーの口述筆記をして処理を始めた。
目の前に書類をかざされながら内容を読む男はきりのいいところで溜息をつく。
「別に何の拘束もされていないのに実質拘束されていると同じだな、これは」
「触ったものが破壊されますからね。手に効果が集中しているみたいで、それだけは救いです」
何しろ書類を持てばその部分が破れ散ってしまうのだから仕方ない。
どういう構成で薬を作ればこうなるのか、ルクレツィアの無駄な恐ろしさを知る思いだ。
オスカーは目の前で書類を処理していく魔女を残念そうに見やった。
「あと、お前が目の前にいるのに触れないのはつまらない」
「私は別に困りませんけどね。貴方、人にべたべた触りすぎです」
ティナーシャは全て終わった書類を纏めて揃えると立ち上がった。胸の中に抱え込む。
「じゃ、これ置いてきますからいい子にしててくださいね」
「頼む」
魔女が転移して一人になると、男は何となく自分の前髪を手であげようとする。
だが途中でその行為の不味さに気づき、行き場のない両腕を上げて伸びをした。
自業自得の感はあるとは言え窮屈極まりない。
いい子にしてろと言われても他に何もしようがない彼は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
この塔にいる間は時間の流れが他と違う気がする。
特に魔女の住むこの最上階はひどくゆっくりと時が進んでいるような、停滞しているような感じだ。
それは彼が日頃の多忙から解放される場所ということもあるだろうが、それ以上にここには彼女の、数百年の生が凝縮されている気がしてオスカーはほろ苦さを含ん だ感慨を抱かざるを得なかった。
一体いつまで彼女はここを自分の居場所とするのか。もっと別の生き方も選ぶ事も出来るだろうに。
だが、今の彼女にそう言っても受け入れられないことは明白である。
彼女の道を変えさせるには、自分はまだまだ彼女にとって単なる子供で、契約者でしかないのだ。
「まったく強情な女だからな……」
男の呟きには愛しみが多分に含まれている。自分より数百歳年上の魔女を、一人の女として見ている感情が。
そしてこの感情故に彼は魔女を傍に置く。彼女が呼吸する孤独を少しでも和らげられればよいと、彼はいつも思っているのだから。

数分後、書類を置いて魔女が戻ってきた。ティナーシャは男を見てふっと笑顔になる。
「ちゃんとじっとしてましたね。いい子いい子」
「何にも触れないのは、かなり精神的にくるぞ」
「寝ちゃえばいいんですよ。起きたらきっと効果が切れてます」
投げやりになったのか、何てことのないように言う魔女は、男の手招きに首を傾げた。
「何かして欲しいことあるんですか?」
「触れなくて不満だ。だからお前が来い」
「断る」
「髪が鬱陶しいから上げてくれ」
「自分で自分の体触ったらどうなっちゃうんですかね。怖いなー」
ティナーシャは言いながらも男の膝の上に乗ると彼の前髪をかきあげた。夜になったばかりの空色の瞳を至近から見つめる。
とても綺麗な色だ。彼女が好きになった色。
この瞳を見ている時は、何だか自分が魔女であることを忘れる気がした。
もっとも魔女に相反する男のものだというのに自分でもおかしいと思う。
だが、いくらおかしくとも、この安らぎは本当のものだった。
彼女はそのまま顔を寄せ、男の瞼のすぐ上に口付けると笑う。
「貴方の子供の瞳もこんな色になるんですか?」
「どうだろう。お前の方の色を継ぐかもしれない」
「私は生まないよ!!」
ティナーシャは男に背を向けその胸によりかかると、彼に見えないように微笑む。
今の彼は彼女を捕らえることは出来ない。抱きしめることも何も。
そしてだからこそこの居場所はとても心地よくて、安堵できる温かさに満ちているのだ。
ほんの束の間の時は、限られたものであるが為にひどく心に響く。
魔女は小さく息を吐き出すと、眠りに落ちる子供のように目を閉じたのだった。

後に魔女が産んだ二人の子供は、二人とも父親の瞳の色は受け継がなかった。
彼女はそれを少し残念に思ったが、むしろよかったのかもしれないとも思う。
自分が惹かれ続ける男の空の色は、確かに彼女が知る限り誰も持たない、無二のものであったのだから。