禁転載
貴方の名は愚かであったというその一点のみによって歴史の上に残るでしょう。
全てを間違えられた人。暗闇の中に踏み出した方よ。
貴方は王としてはあまりにも無意味な憎しみをその身に集めた。
貴方は男としてはあまりにも冷たい手によって消えない傷を妃へと刻み込んだ。
何という愚か。
何という滑稽な苦しみよ。
貴方が貴方である限り、私たちは永遠に救われない。
愚かな一対として、歴史の上に残り続けるしかないのです。
だからこれは、拭えぬ喜劇として語られる貴方のお話。
そして私の人生を支配した悲劇の物語。
アウラティカが幼い時を過ごした城の離宮には、小さな中庭があった。
中央にはささやかな噴水が、そしてそれを取り囲むように色とりどりの花々が配され、外周は青々とした葉を茂らせる木々が彼女の楽園を守って揺れている。
彼女は物心ついた時から毎日のようにその中庭で時を過ごした。
季節ごとに異なる花を摘み、冠を作っては母親に見せに行く。
愛らしい彼女の姿こそが花なのだと、皆は口をそろえて誉めそやした。
小さくも豊かな国クルース。その城に守られるこの庭が、彼女の国そのものだった。
だから初めてセデウスに出会った時、まだ七歳だった彼女は不快を抑えることができなかった。
四歳年上の彼は、許可も得ずにいきなり彼女の庭の中に現れたのだから。
自分より背が高い少年の目をアウラティカはまっすぐに睨みつける。
何と文句を言ってやろうかと思った。彼が無礼な行いを自覚するように。
けれど彼女のその意思は、言葉になる前に挫かれた。
セデウスはまじまじと彼女を見つめて―――― 不意にひどく優しげに微笑んだのだ。
「君がアウラティカ? 初めまして。僕はセデウス。これから仲良くして欲しい」
少年はそう言って片膝をつく。
固まっている彼女の手を取り、その甲に口付けた。
今までアウラティカが経験したことのない挨拶。
少しだけ大人になったような気恥ずかしさに彼女は頬を染めた。
たったそれだけのこと。
それだけで、子供だったアウラティカはセデウスを赦し……そしてこの庭は、二人の国となった。
セデウスは隣国ウォルザの王子であった。
四人いる王子のうち年齢から言えば一番上。けれど彼は側室の息子である。
王位継承権から言えば第三位であるセデウスがアウラティカの前に現れたのは、ひとえに早熟なその優秀さの為だった。
将来は宰相となって弟を支えるとみなされていた彼に、クルース第二王女であるアウラティカが嫁ぐことで両国の友好を確かなものにしようと二人の父王は考えたの
である。
ただ政略結婚でも、長じてからいきなり二人を会わせずに、幼い頃から親交を持たせようとしたのは二人を思う親心がそこにあったのだろう。
それが逆に二人の道を歪めたからと言って、両国王を咎めることは出来ないはずだ。
非を負うべきはセデウスであり、そしてアウラティカである。
だがまだ彼らのどちらもがそのことを知らない時代、二人は周囲の思惑通り、会う度に着実に距離を縮めていったのだ。
「セデウス、違うわ。こっちの花から紫の色水が取れるの」
「でもそれは紅に見える」
「花びら五枚に葉を半分混ぜるの。ほら、こうして……」
アウラティカは丁寧に花びらを摘み取ると、それを葉とあわせてすり鉢の中に入れた。
慎重にすりつぶしながら時々香油を注ぐ。セデウスは感心したように少女のすることをじっと見つめていた。
アウラティカは出来上がった色水を硝子の小瓶に移し変えると会心の笑みを見せる。
「ほら、綺麗でしょう? ほんの少しだけれど、よい香がするのよ」
はい、あげるわ、と差し出された瓶をセデウスは受け取ると日にかざした。
「ありがとう。嬉しい」
「長持ちはしないの。だから、色が変わったら捨ててね」
「分かった。アウラティカは物知りだ」
「セデウスが何も知らないだけだわ」
若干九歳の少女の背伸びをした物言いにセデウスは苦笑する。
彼女は自分を対等に扱ってくれる少年の存在が嬉しいらしく、親しくなってからはいつもこんな感じなのだ。
けれどそれは彼に不快よりも微笑ましさを感じさせた。
嘘をつかない彼女の態度は勉強ばかりで張り詰めた彼の心を癒していく。
だからこそセデウスは父王に頼み込んで月に一度はクルースを訪れていた。その代償に勉強時間が増えることなどささいなことでしかないと思って。
アウラティカはまた別の花を摘みながら、彼の持ったままの瓶を指差す。
「あのね、眠る前にそれを少しだけ枕元で開けるの。そうすると、よく眠れるのよ。疲れがなくなるの」
「アウラティカ」
「いらない? でもわたしと遊ぶと、セデウスが疲れてしまうのではなくて?
お母様がそう仰ってたわ。だからあんまり無理を言ってはいけないのよって」
セデウスは少女の本当に心配そうな目を見返して―――― 小さく吹き出した。
日頃の多忙の疲れを見抜かれたのかと思ったが、そうではないらしい。
彼女と会うことはむしろ彼にとってかけがえのない休息であるというのに、母親の嗜めを真に受けて自分が彼に負担を強いているのではないかと思っているのだ。
だがそれで遊びをやめるわけではなく、疲れを取る香を作って渡す彼女を少年はいじらしいと思った。
噴水の縁に座っていた彼は立ち上がると、花の中にしゃがみこんでいるアウラティカの隣に立つ。
「アウラティカといて疲れることなんてない」
「本当? 無理をして合わせていない?」
「いないな。僕がアウラティカといたいんだ。とても落ち着くから」
セデウスは少女の赤みがかった金髪を指で梳いた。絹糸のような手触りが儚く愛おしい。
彼女は自分の髪を通っていく少年の指を見送ると、目も眩むほど鮮やかな笑顔を見せた。
「なら、わたしたちは大人になればずっと幸せでいられるのね。
あなたと一緒にいると、私、とてもほっとするのよ」
―――― それは、幼くはあるけれど間違いなく愛情が込められた言葉だった。
少年は胸を突かれて声を失う。
これまで彼女ほど強く、真っ直ぐに彼個人を求めてくれた人間が誰か一人でもいただろうか。
セデウスは王子であり、側室の子であり、将来の宰相である。
その義務を放棄することは出来ず、彼は影のように自分の後をついて回る期待と陰口を知りながら、ずっとその背に負い続けてきたのだ。
彼を疎んじる父の正妃から腕に熱湯をかけられたこともある。その火傷の理由を誰にも言えずに一人寝台にもぐりこんで苦しんだことも。
厳しい教師に「所詮側室の子か」と罵られ鞭打たれたこともあった。
生まれてすぐに母親を失っていた彼には、子供であることを許された時間などほとんどなかったのだ。
けれどそれら全てを彼は今日まで歯を食いしばって乗り越えてきた。
おそらくこれからも続くであろう労苦が何の為であるのか、今まではっきりと意識したことはない。せいぜい王族に生まれた宿命だと思っていただけだ。
しかしこの時セデウスは……確かにアウラティカの存在に救いを見たのだ。
この庭においては、彼女だけは、余計なものを何も持たない。彼を彼のままでいさせてくれる。
まるで暗い森に差す日の光のような楽園。
かけがえのない彼だけの少女。
王子として生まれなければ、彼女に出会うこともなかった。
今の彼だからこそアウラティカの前に立てているのだ。
そして彼女もまた王族としての責務を負っているのなら、そこにままならなさがあるのなら―――― それを和らげられるのは、自分だけなのかもしれない。
セデウスはあどけない少女の貌を見下ろす。
今はまだ届かないだろう。宮廷で交わされるような美辞麗句も睦言も。
小さな庭という王国に守られた王女には届かない。
だから彼は少女の手を取る。初めて出会った時と同じように。彼女がくれるのと同じくらいの純粋な思いを込めて。
「少しだけ待っていて、アウラティカ。僕が大人になるまで。
そうたら、君を迎えに来て……きっと幸せになろう」
「それはあなたの約束?」
「僕の約束だ」
セデウスは両目を閉じる。盲目の忠誠に似た誓いを白くなめらかな甲に口付けとして刻んだ。
少女は身を硬くしてそれに応える。
穏やかな春の日。
風が辺りの葉を揺らし、衣擦れのような音が響いた。むせ返るような緑の青臭さが世界に満ちている。
それはまだ、二人が子供であった頃のお話。
純粋がゆえに歪みを生み出した、始めの約束であった。
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